剣の乙女アンジェリカ、郊外での戦い ~その2
アンジェリカ・スキルヴィンクは、苦戦していた。
疲労と、追い詰められた精神状況ゆえに息が上がる。
それでも諦めまいと、険しい表情で、唇を強く結んだ。
彼女は一方的に攻撃されていた。
力場魔術や防護魔術を使い、未だなお、不正者から放たれる衝撃波に耐え続ける。
反撃に、多数の光の剣を空中に展開し、射出。迫る不正者をけん制した。
「くっ、キリがないっ!」
だが、助けた人質を抱えたままでは、防御に回るしかない。
民間人を、倉庫のコンテナを盾に庇い続ける。
顔面から血を流し、意識を失った女性。
男性は、両手で顔を覆いガタガタ震えながらうずくまっていた。
まともに動ける状態ではない。
ひたすら倉庫の中から現れた不正者を一手に、食い止める。
不正者の一人、スーツ姿の若い男が手をかざした。
「消し飛べっ、グラビティボム!」
その不正者の遊びじみた掛け声とともに、生み出されたのは、漆黒の球体。
それが、放物線を描いて飛来する。
アンジェリカは、その攻撃が重力による空間ごと押し潰す攻撃と推測。防ぐのではなく、剣を射出し撃ち落とすべきだと判断。
浮遊させていた光の剣を、漆黒の球体に向かって射出した。
放物線を描いていた漆黒の球体は、光の剣がぶつかった。
瞬間、急激に膨張し破裂。光の剣は相殺しきれず、消し飛ぶ。
破裂した球体は重力波を生み出し、周囲の空間を歪曲させて、圧殺したのだ。
直撃すれば、力場魔術を貫通していただろう。
「へえ。 俺のグラビティボムを相殺するとか……びっくり。 こいつが、今回のボスキャラってとこ?」
「ボスか、倒せば経験値がたくさん入るな!」
まるでゲームをしているかのように、不正者たちは話し合う。
彼らには、現実感や命を懸けているという危機感が欠如していた。
「なら、好都合だ。 今まで貯めていた魔力を、全部叩きつけてやるぜ!」
呼応した不正者が真っ青に輝く剣を振るう。
その斬撃が、巨大なエネルギー波となり放たれた。
「これは相殺しきれない。 わたしを守って、護法剱鎧!」
アンジェリカは、自身の周囲に浮遊させていた剣を操る。
エネルギー波に対し、盾のように割り込ませた。並び立つ剣は結界を作り出し、放たれた、攻撃を防いでいく。
だが、その引き換えに魔力を急速に消耗していく。
アンジェリカの額を汗が伝う。
「……このままだと持ちませんね」
彼女の本来の戦闘スタイルは、兎跳びを使用しての高速戦闘。
光の剣をけん制用の射撃武器として使いながら、敵の懐に潜り込み、両断する。
生粋の強襲兵である。
当然、誰かを庇いながら戦えば、本領は発揮できない。
そんななか、灰色の影が現れる。
夜空から降り立つように、その人物は現れた。
「今宵もご苦労なことだな、『剣の乙女』とやら」
赤き眼に、灰色のローブ。
静かに音もなく忍び寄る、顔もわからぬ者。
再び、アンジェリカとネズミの王『灰色歩き』は相まみえたのである。
灰色歩きが、不正者たちの群れに身を投じる。灰色歩きは腕を振い不正者に向かって、叩きつけるように振るう。
だが、不正者たちはとっさに防護魔術を形成。振るわれた素手による攻撃を、防ごうとする。だが、その振るわれたその右手は、易々と紙を破り捨てるが如くシールドを突き破る。
「こいつ、シールドが効かねえっ」
「やられる前に仕留めろ、シールド無効化能力者だ!」
シールド無効化能力者などという、意味不明な断定を不正者たちは下した。
青い剣を持った不正者が、反撃に転ずる。
剣が振るわれるたびに、斬撃が増大しエネルギー波となって放たれる。
だが、先ほどより、そのエネルギーとなった斬撃のサイズは小さかった。
「ちっ。 溜めが足りてねえな。 それでも直撃だぜぇ!」
その斬撃が、灰色歩きに直撃した。
……かように見えたが、エネルギー波はすり抜けように避けられる。
「なっ、嘘だろ。 当たったはずだ!」
「ふむ。 戯言はいい。 その剣……なにか仕掛けがあるようだな」
「寄るんじゃねえ!」
不正者は激高し、青く輝く剣を振るおうとする。
しかし、灰色歩きは、不正者が振りぬ前にその刀身を掴んだ。
「その剣、振り切らねば斬撃を放てぬか。 つまり、近づけば、結局はただのブレードにすぎんのだな」
刀身を握る力が、どんどん強くなっていく。
不正者は剣を振るおうとするが、微動だにしない。
その握力に耐え切れず、剣にひびが張っていく。
「剣自体は立派なものだが、ただそれだけではな」
とうとう刀身が耐え切れなくなり、剣が砕け散った。
「覚えておけ。 敵を殺すのは、剣ではない。 ……使い手だ」
そのまま青い剣を使う不正者を、一撃で殴り倒した。
灰色歩きを攻撃する余裕は、他の不正者にもなかった。
阿鼻叫喚、不正者たちは悲鳴を上げる。
「ぐぁあああああっ」
「なん、なんだこれはっ!?」
無数のネズミたちが、不正者を襲う。
チート能力による攻撃で薙ぎ払っても、数の多いネズミを始末しきれない。シールドを無効化し、手足を食いちぎる。口内へと侵入し、窒息させようとすらしてくる。
そのすべてのネズミの眼が、赤く発光していた。
「……なかなか見ものよな」
灰色歩きは堂々と佇んでいる。
この世に、自分に立ちはだかりえる者など、ありえないというかのように。
アンジェリカは、愛剣を握りしめた。
表面上は、平静を取り繕った。
「なぜ、今現れたのです!」
アンジェリカは、灰色歩きに剣を向けた。
必要ならば、相討ちの覚悟だった。
「ほう、元気がいいことだ」
面白いものを見たかのように、灰色歩きは笑った。
何度、叩き潰しても、この娘とその部下は刃向かってくる。
どこかで見た連中だ、と灰色歩きは興味を持っていた。
他の警邏騎士は、一度叩き伏せれば、まともに戦おうとしなくなる。
警戒して、逃げに徹するか戦闘を避けるのが当たり前だった。
「お前たちはいつだって、余を倒すために全力を振り絞ろうとするな」
「当然です。 我々は、貴方には屈しませんっ!」
アンジェリカは、そう言い切った。
恐怖を感じていないわけではない。
それでも、彼女には矜持があった。
「わたしたちは、力なき人々の最後の盾にして剣なのです」
強い意志を感じる瞳だった。
今の生き方が最善である、と。今生きることが全力である、と。
そう言わんばかりに。
「いい眼だ。 そのような眼をしている人間を叩き潰すのは、確かになかなかに面白い」
アンジェリカは、武器を持つ手に力を籠める。
だが、同時に灰色歩きから、アンジェリカは間合いを取った。
そのままの距離で戦えば勝ち目はないと、今までの経験から踏んでいる、
灰色歩きは、冷ややかだった。
「しかし、無謀に過ぎると言うものだ。 余に害意があれば、すでに何度も無残な死体となっているはずだ。 それがわからぬ、其方ではあるまい」
その通りだ。
灰色歩きが本気になれば、いつでも自分たちを殺せる。
それは、アンジェリカにもわかっていた。
「威勢が良いのは非常に結構。 だが、子度は戯れるために来たわけではない」
「では、なんのために来たのですか?」
アンジェリカ・スキルヴィンクは、ひるまない。
「其の方に助力にしに来たのだよ」
「……どういうことですか」
「足手まといを抱えてなお、この苦境を潜り抜けられるとは思ってはいまい」
アンジェリカ・スキルヴィンクにはわかっていた。
ミハイルは時間を稼ぎ、かく乱をし続けている。それでもなお、数の利は覆しがたい。
自分自身も戦い終える前に、魔力が尽きるかもしれない。
民間人を助けることを考えれば、灰色歩きの助力は必須だ。
迎撃の隙を見て、火炎使いの不正者が、炎を放つ。
まずは襲い掛かるネズミたちを、焼き尽くすことにしたのだ。
「こいつらなんて燃やし尽くしてやるぜぇ!」
「失せろ」
迫りくる火炎に対し、ネズミたちは集まり束となっていく。
そのままネズミの群れは、火炎使いの不正者に無謀に突っ込んでいく。そのまま焼き払われるかと思えば、途端、炎はネズミたちを逸れ、真っ二つに引き裂かれていく。
炎はネズミ一匹焼くことはない。
「な、これは魔術か? ネズミが魔術を使うだと!?」
「人間だけが特別だと思ったか。 たかだが、二本足で歩けるだけが取り柄であろうが」
灰色歩きが、手をかざす
ネズミたちを焼くために放たれた炎は、真っ二つに分かれている。その炎が、時間を巻き戻されるかのように逆流していく。
真っ赤にうねる炎は、巨大な双頭の蛇となり不正者を飲み込んでいく。
「ぁあああっ!」
「黙れ。 貴様の悲鳴は聞くに堪えん。 まだ、あのおぞましい発情した猫の方がマシなほどだ。 せいぜい、ネズミにでも生まれ直せ」
他の不正者が、衝撃波を飛ばしてくるも、片手でそれを弾き返した。
いつもなら巧みに回避するが、本当に人質を守るつもりなのか、攻撃からかばうように、行動している。
その合間に、アンジェリカが光剣を飛ばし反撃した。
幾重にも連射される剣が、次々に不正者を貫いていく。
「そうだ、防御は余が対応してやろう。 雑魚は其方に任せる」
灰色歩きは、次々に不正者たちから放たれる攻撃に対処する。
ネズミたちを動かし、攻撃をそらし。
正面から飛んできた魔術を、直接、腕で殴りつけるように弾き飛ばす。
「にしても、あの|不正者《チーター》ども。 なぜ、こんなところに集まっている? それも、ここだけではない。 なぜ、分散した?」
「……そこまで情報を掴んでいるのですね」
「この街で、余の知らぬことなど、そう多くはない。 何度も言わせるな、たわけめ」
「相変わらず、得体のしれない人です」
その話し合う、二人の背後。
倉庫のコンテナ上に、突然、不正者が現れた。
「いつの間に!」
「ふん、透明化か。 自分の仲間をおとりにするとは、少しは頭が回るではないか」
灰色歩きは、その不正者がどんな手を使ったか見抜いた。
そのトリックは、透明になり気配を隠すチート能力によるもの。
いくら警戒していても、肉眼では簡単には捉えきれない。
襲撃をかけた不正者は、人質にするべく、身動きのできない民間人に襲い掛かる。
その凶行を阻むことは、灰色歩きにもアンジェリカにもできない。
そう思われた。
――三条の光が走る。
光線が、襲撃者の手足を貫いた。
飛び掛かった空中で射抜かれた不正者は、そのまま無防備な態勢で無様に地に落ちる。
「オグレナスの『三点必中』……。 やはり外しませんね」
アンジェリカは、確信していた。
必ずや、弓兵のオグナレスが、敵の凶行を止めることを。
攻撃の正体は、弓兵である彼による狙撃である。
オグナレスの射撃精度は恐るべきものだが、その特筆するべきは瞬間的な連射火力だ。
狙撃魔術は、通常よりも精度が求められる。
当然ながら、本来、一度に一射が限界である。
それを一度に、魔弓による狙撃三射行い、そのすべてを標的に的中させる神業。
彼の三射必中の構えから繰り出される、狙撃魔術の乱れ撃ち。
本来なら当たらないはずのそれを、成功させるほどの魔術精度、その制御能力。
それがオグナレスの『三点必中』だ。
次々に、弓兵のオグレナスによる狙撃が行われ始める。
徐々に状況が打開されていく。
「これなら、なんとか凌ぎ切れるかもです」
「凌ぎ切る? そんな甘い状況ではない…… すぐに、その足手まといを連れて離脱するがいい。 いや、もう遅いか」
「えっ、どういう意味です?」
そこに二人の不正者が現れる。
先ほど、グラビティボムとやらを作り出した不正者。スーツ姿の若者だ。
それと、もう一人。
「鬼安さん、こいつらやりますね」
「……ああ、思った以上だな。 だが、うまい具合に他のプレイヤーを消してくれた」
サングラスを掛けた坊主頭の男。
鬼安と呼ばれた男は、他の地に伏した不正者を見て、そう言った。
「あなたたちは……いったい、どういうつもりなのです!」
「あら。 お嬢ちゃん、まだわかってないの?」
スーツ姿の若者は、軽薄な口調でせせら笑う。
その一方で、鬼安と呼ばれた男は、感情を見せない。
ただ、ゆっくりと静かに話す。
「この状況こそが……実に、好都合だ。とそう言ったのだ」
それを合図にスーツ姿の若者は、指を鳴らす。
地に伏せた不正者たちから、なにやら煌めく煙のようなものが抜けていく。その勢いは、どんどんと増していき、その煙がスーツ姿の若者の手元に集い満ちていく。
煌めく煙は輪へと変じる。
「門よ、開け。 我が前にいでよ」
煙で描かれた円環は暗黒に染まり、空間が歪む。
その向こう側から、唸り声。爛々とした双眸。
巨大な大鷲の翼が、羽ばたく。
研がれたような鋭い爪が、地を踏みしめた。
「殺戮しろ、グラシャラボラス」
顕現したるは、翼を持つ大狼。
……獣は吠えた。
空気を震わせ、心身へと伝播する。
本能が相対することを拒絶する、精神を切り刻む。
喉が絞まり、手が震える。
声が出ない。息が出来ない。
意識が遠くなる。
「しっかりしろ、娘。 意識を保て」
アンジェリカは、灰色歩きの声で意識を取り戻した。
危うく、気を失う寸前だった。
「……あ、あれはデーモン?」
「やはり、異世界の存在か。 こちらの生物ではないな」
デーモンは異世界でも、恐れられている存在だ。
強力なデーモンを筆頭に、一定の能力を超えた怪物は、人間を恐怖に陥れる強力な精神干渉能力と、下位となる怪物を操る統率能力を有する。
その精神干渉能力の前には、普通の人間ではまず太刀打ちすることが出来ない。まず精神干渉能力に抵抗する能力を身に付けねば、魔術師であっても戦うことすらままならないのだ。
灰色歩きは、アンジェリカの盾になるかのように前に立つ。
大狼グラシャラボラス。その隣に立つ、二人の不正者。
いつも飄々としていた灰色歩きの声には、焦りが滲んでいた。
「さっさと逃げるがいい」
「逃げる……なんて」
「最初は似ていると思っていた。 だが、全て勘違いだった、 これは似てるんじゃない、アレそのものだ。 ……お前たちには手に負えぬ」
「わたしは逃げません!」
どんなに勝ち目がない相手でも、彼女はメジャーサークルである『炎の監視者』に所属する魔術師だ。
『炎の監視者』は、研究者である魔術師の流れを持つサークルに非ず。騎士や軍人の家系が集まる軍事系サークルである。
恵まれた環境にある彼らだが、いざと言う時に命を賭して、人民を守り率先して死ぬのが自分たちの仕事だと、幼いころから教育されている者たちだった。
人類の滅亡を防ぐため、その存続のために死ぬのが責務なのである。
地球にいる平和な世界で生きている人々とは、心構えが違った。
「愚かな、死ぬのならば一人で死ね。 だが、無辜の民衆を巻き込むな」
だが、灰色歩きは吐き捨てるように言った。
死ぬための覚悟など、邪魔でしかない、そう断じた。
アンジェリカは言葉に詰まる。
「剣の乙女。 其方にも、できることがある。 廿日陽介に伝えろ、戯けたことに、この事件に『ハーメルン』が使われている……とな」
「廿日くんがなぜ、関係あるのですか! ハーメルンって……」
スーツの男が漆黒の球体、グラビティボムを放つ。
グラビティボムが放物線を描いて飛来。灰色歩きは、片手で弾こうとする。
しかし、灰色歩きの右手が触れた瞬間、球体は急激に膨張。右腕を巻き込んで破裂。そのまま肩から先が消し飛ぶ。空間ごと重力波が圧殺した。
右肩から先をなくし、呆然と立ったままの灰色の男。
「あれれー。 まさか俺たちが逃がすと思ってるのー?」
スーツ姿の若者は、それが愉快だと言わんばかりに笑う。
……しかし、その笑いは凍り付いた。
灰色歩きは、首をかしげるような動作をした。
自身の消え去った右腕を、観察している。
「ふむ、なんだこの攻撃は。 魔力を乗せた攻撃でも、防げないとは驚いた」
「あ、いや、なんでアンタ……腕もげてるのにピンピンしてんだよ」
スーツ姿の若者は目を見開いた。
灰色歩きは腕を失ってもなお、平然としている。
「驚くのは、まだ早い」
灰色歩きは、こともなげに腕を振るう。何事もなかったかのように、そこには再び右腕が存在していた。
「……こういうこともできる」
スーツ姿の若者は、口とぽかんとあけたままだった。
坊主頭の男、鬼安が左右の革手袋を嵌めなおす。
拳を確かめるように握りしめて、構えた。
「ほう。 どうやらコイツも、正真正銘の化け物ののようだな」
「あー、やだやだ。 マジで、はずれ引いたわ……」
スーツの若者は、うんざりしたような様子を見せてから、手のひらをかざす。十数個にも渡る漆黒の球体を生み出した。
「早く行け、剣の乙女! 余とて、そう長くはもたぬぞ」
「わ、わたしはっ……」
「いいから行け!」
アンジェリカには、無力な民間人たちを抱え、その場から離れるしか選択なかった。
彼女は、必死に駆けだした。