86 シュトルツ村:マトカリア―10
「ま、まずいよ……」
一気に走り込んでは、グリーンドラゴンが爪や尻尾で迎撃してくる。
『韋駄天』で一瞬で回り込んでも、奴は対応して的確に攻撃する。
黄花が叢生している場所は、グリーンドラゴンの背後。
なぜ、花畑を守るように動いているのは不明だが、縄張りだからだろうか。
しかし、マトカリアに考える時間はない。
こうしている間に、クラヴィスの瘴気侵蝕が進行している。
奴は二本足で立ち、両腕を構え、前かがみの姿勢で様子を窺っている。
「逆転した『マイクロヒーリング』も、あまり効いていないし。素早いし。なんか、テカテカしてるし。素早いし。尻尾叩きつけで土とんでくるし。素早いし。……どうしたらいいの!?」
「他に黄花、咲いてるところないのか?」
マトカリアは、脳内を駆け巡るが思い当たらない。
「なら、逃げるしかないな」
「なんでぇ!? 手に入らないよ!」
「逃げながら、回り込んで取る。これしか方法がない。いいから、やるぞ!」
「そ、そうだね……やろう!」
そう言うと、覚悟を決めて逃げ回ることにした。
全力で走ると『韋駄天』が発動するので、弱めに調整しながら逃げる。
とにかく遠ざかること。
背後から、巨体の走る音が聞こえてくる。
これで追い付かれず、隙を見て……と思っていたが、足音が近くに聞こえる。
マトカリアが後ろに顔を向けると。
「め、目の前ー! やばッ!」
筋骨隆々の腕が、マトカリアの胴体に直撃する。
衝撃が横方向に体を勢いよく運び、全身を大木に打ちつけた。
「あいったー! 痛い……マトカリア、自分に『マイクロヒーリング』を……逆転させずに」
ダメージはゼゼヒヒが身代わりとなって受けている。
マトカリアの脳みそはシェイクされ、ゼゼヒヒの言葉をすぐに飲み込めなかったが、落ち着きを戻したときに、ようやく唱えることができた。
「『マイクロヒーリング』!」
周りに緑色の粒子が飛び回り、自分の肉体を包むようにして癒した。
ゼゼヒヒの荒い呼吸もおさまり立ち上がったが、正面にグリーンドラゴンがいる。
当たれば死が免れないであろうパンチを躊躇なく放ってきたが、『韋駄天』ですぐさまその場を離れた。
強烈な拳は大木に穴をあけて吹き飛ばし、目線は大木からマトカリアへと向けられた。
「マトカリア! 戻って、花を手に入れるぞ! 早くしろ!」
傍から見れば、自分が自分に命令している奇妙な光景だろう。
ゼゼヒヒの叫びが耳に入る前に、一気に花畑の方へ飛び出した。
とにかく走るしかない。
今度は『韋駄天』で奴に追い付かれないようにすることが最優先。
両腕を一生懸命に振り、疲労で痛む脚も動かし続ける。
気が付いた時には、肩で息をしていた。
遭遇したのは短時間だが、その間に色々と起こりすぎた。
「ゼゼヒヒ、後ろは!」
「追ってきてる。しかも、運が悪いことに『韋駄天』でも距離が離せてない! 奴は『疾風迅雷』を使用しているみたいだ!」
「隠れることもできないの!?」
「どうする! 何かで目を眩ませるか!」
汗が垂れ落ちているのも感じないくらい、必死に走っている。
後ろからは樹木を腕でへし折りながら、加速するグリーンドラゴンが鋭く睨んでいた。
だけど、再び黄花のもとへ帰ってきた。
叢生する花のまわりは穴ぼこで環境破壊されているが、目的の黄花に被害はない。
マトカリアは、次へと踏み出す足に思いっきり力を入れる。
黄花に狙いを定め……飛んだ!
「ぅぅうー! とど……けー!」
身を投げ出すように飛んだ姿勢から手を伸ばす。
しかし、背中に嫌な感触……鋭利な爪で引っ掻かれたような電撃を感じたが、怯まなかった。
そうして、花畑へダイブした。
そこに生えていた植物は根元から折れ、花は二度と上を向くことはなかった。
なぜなら、植物に人が滑り込んだからである。
肩までの短い茶髪、腰に短剣と道具袋を身に着けていた女の子。
名前は、マルミナ・マトカリア。
彼女の手には、三本の黄花が握られていた。
「て、手に入れた……あとは」
「マトカリア、右に飛べー!」
手にした黄花をしっかりと握りしめ、ゼゼヒヒの言う通りに従った。
『韋駄天』が、マトカリアの身体を瞬く間に移動させる。
直後、花畑には緑の塊が直撃した。
すると一瞬縮んで、しばらくすると爆発となって威力を発揮した。
抑圧されていた馬鹿力が一斉に弾ければ、何もかもを吹き飛ばす破壊力となる。
緑色の爆裂によって衝撃波が発生し、いともたやすくマトカリアを持ち上げた。
マトカリアだけじゃない。
植物も、近くにいた不運な魔物も、皆等しく宙へ体をもっていかれるか、エネルギーの放出に巻き込まれ肉体を失うか。
「かなり離れたはずなのに……!」
「グ、グリーンドラゴンのスキルか! 奴の必殺技だ!」
マトカリア一人……いや、一人と憑りついている一匹は地面を転がり続けた。
腕に脚に全力を注ぎこむが、止まるどころか踏ん張ることもできやしない。
爆風は奴を除き、全てを吹き飛ばした。
奴はマトカリア一人を狙うために放ったというのに、被害はそれ以上だ。
風も弱まり、なんとか踏ん張ることができたマトカリアは重力と疲労を感じながら、ゆっくりと立ち上がる。
「なぁー……伝説、聞きたくないか? これぞ、伝説……ってやつだ」
ゼゼヒヒは、マトカリアの口を借りながら質問する。
彼女自身には、もう頷くだけの余裕はなかった。
それも分かり切っていたゼゼヒヒは、言葉を続けた。
「それは昔、大昔の話だ。吾輩には飼い主がいたんだ。最強の龍人だ。普段は温厚で、バカな人の姿をしている。しかしだ……」
マトカリアが息を切らしながら黙って聞いている間にも、グリーンドラゴンは真正面から歩いてきた。
大爆発が木々を吹っ飛ばしたおかげで、マトカリアとグリーンドラゴンの間には何もない、大きく開けた”道”があった。
そんな危機的状況に陥っていても、ゼゼヒヒはゆったりとした口調で重々しく話す。
「仲間がやられ、助けはない、敵も強く、飼い主をはるかに上回る圧倒的なステータス……そんな絶望の淵に立たされた状況……バカ飼い主は、どうしていたと思う?」
敵は、どんどん近づいてくる。
グリーンドラゴンには余裕があるのか、大地を踏みしめながら歩いている。
この間に「死ぬ覚悟をしろ」とでも教えられているようだ。
「笑っていた。相手を鼻で笑っていた。これから死ぬからか、諦めたからか? それともバカすぎて、自分の状況も分かっていなかったのか? 目の前の惨状が、喜劇にでも見えたのか?」
また一歩、また一歩、歩いてくる。
時計の針が、一秒を刻むように。
「違うな……死にゆく吾輩の五感で、はっきりと感じたんだ。あれは、まだ諦めていないと! あのバカ飼い主は諦めてなかったんだ! あの笑いは、勝利する未来を見た笑いだ! 現状を変えると確信した笑いだったんだ!」
ゼゼヒヒが強調したい言葉を、大声で伝える。
何かを悟ったのか、グリーンドラゴンが走り始めた。
今まで歩いていたのにだ。
「お前は、今! あの時の飼い主と同じ、絶望の淵に突き落とされている! さあ、お前の選ぶ行動は何だ! 選べ、見つけろ……マトカリア!」
無数の選択肢。
人は選択によって生きる生き物。
選択肢は無数のように見えて、一つ二つぐらいしか見えない時がある。
現状がそうだ。
諦めるか、逃げるか。
だが、マトカリアはそのどちらの選択肢も選ばなかった。
「私は”勝利”する! 今、必要な文字は”勝利”の二文字のみ! それ以外、目に見えない!」
憑依しているゼゼヒヒは、あの頃を思い出しながらニヤリと心の中で笑う。
マトカリアは三本持っている黄花の一本を道具袋に詰め込み、残る二本をそれぞれ両手に握らせる。
「ゼゼヒヒ! いったん、私から離れて!」
ゼゼヒヒは疑問に思いながらも素直に聞き入れ、憑依状態を解除する。
それによって猫耳、しっぽは消えた。
グリーンドラゴンは口を目一杯に開放し、必殺技の準備をする。
マトカリアは、猫の姿に戻ったゼゼヒヒに指示をした。
「私が合図したら、敵に『憑依』して!」
「どこか似ているな、あいつと。……いいだろう! 吾輩がいること……光栄に思うがいい!」




