81 シュトルツ村:マトカリア―5
道具袋を片手に草原を駆け抜ける。
はち切れんばかりに詰め込まれた道具袋には大量の魔物の素材がある。
これを解決屋に買い取ってもらえれば、行商人から万能薬を買うことができるはず。
それだけを考えて、マトカリアは足を動かす。
ようやく村の入り口が近づき、中に入ろうとした瞬間、反対側の入り口に向かう行商人の姿があった。
待って、と口にして手を伸ばすが聞こえるはずも、ましてや届くはずもなく。
『憑依』を解除し、普段のマトカリアで行商人を追いかける。
突然解除されたゼゼヒヒは空中に本体が現れ、走る勢いそのまま地面に激突し「ヌヤッ!」と低い声を出して、動かなくなった。
マトカリアは村人を避けながら、大荷物を背負った行商人の前に立ちはだかり、道具袋を見せつける。
「こ……ここには、残り8000エン分の素材があるの! だ、だから……ちょっとだけ、まって!」
「へぇー、やるじゃないか。だが、それを解決屋で換金するまでに、どのくらい時間がかかる?」
行商人は左手に付けた腕時計を見て。
「さすがに、もう待てない! 今日は、どうしても行かなければならない場所があるんだ!」
「も、もう少しで……」
「何事も時間厳守だ! 限られた時間がもつ価値を知れぇ! この意味が分かるだろ! 約束通り、この12000エンはもらっていく。達者でな」
道具袋を持ったまま固まっているマトカリアの横を通り抜けて、行商人は12000エンが入った袋を胸元のポケットに仕舞い、歩いていった。
呆然と立ち尽くし、握りしめていた道具袋を落として目を伏せる。
「な、なんで……私はこんなに頑張ったのに……お父さん……」
マトカリアの目からは涙が溢れ、地面に吸収されていく。
腕は力なく垂れ、しまいには膝からも力が抜け、跪く体勢になってしまった。
マトカリアのそんな様子に村人は声をかけることもできず、沈黙ばかりが場を支配する。
万能薬を欲しいのは、マトカリアだけではない。
畑仕事に従事する若者の親も、謎の病に侵されている。
皆、同様に目を伏せて、悲しむしかなかった。
「いてッ! おい、何ぶつかってんだ!」
「ああ、すみません。あの、万能薬というのをもらえますか?」
行商人は村にやってきた者にぶつかったようだ。
マトカリアは万能薬という言葉を聞いて、顔を上げた。
そこには男が二人、行商人とぶつかったのは背が高く体格も大きい男。
もう一人は、あくびをする小さめの男だった。
「おい! 万能薬の値段を知ってて、その口動かしとるのか?」
「いえ、何エンですか?」
「20000エンだよ! こいつは調合するのが難しい薬だ」
「なるほど、では……持ってるだけもらいましょうか」
行商人は驚きの表情を浮かべるも、すぐにもとの怒り顔に戻る。
「あいにく、一つしか持ってねぇんだ。そもそも冗談か、それは。冷やかしは金になんねぇんだよ! さっさと退け!」
明らかに身長の高い大男を押しのけようと体を動かそうとした行商人だったが、胸に押し付けられた手で押し戻される。
その手には巾着袋が握られていた。
大男は、その袋の中身を確認させるように大きく開き、行商人に見せる。
「はい、20000エンですよ。きっちり20000エンです。気になるのなら、丁寧に確認されてはいかがでしょう?」
「2、20000!? え、あー、いやー! すみませんねぇ、またご贔屓に!」
大男の手には万能薬が握られ、行商人は袋を受け取って、さっさと行ってしまった。
万能薬を摘み、注意深く観察している大男は納得したのか、うんと頷いて、マトカリアの方へ近づいてくる。
しゃがみ込んでいるマトカリアの正面に迫ってきた大男は、ゆっくりと万能薬を近づけながらしゃがむ。
「万能薬、これが欲しかったのでしょう? どうぞ、受け取ってください!」
「あ、え、はい……」
マトカリアはゆっくりと手を伸ばし、紙に包まれた万能薬を受け取り、礼を言う。
「あの、ありがとうございます……」
「いえいえ! どうしました?」
巨体で鍛え抜かれた筋肉が見せる圧倒的な雰囲気。
おまけに頭部に小さく黒髪に隠れているが、角が二本生えている。
男が笑顔を浮かべているのは分かるが、恐ろしく感じたマトカリアは一歩ずつ後ろに下がっていく。
不思議そうな顔で首をかしげる大男を見て、さらにマトカリアは離れた。
「おいおい、近づきすぎだ。ほら、怖がってるじゃないか」
「えっ、怖い……? そ、そんなことないですよね。お嬢さん」
そう言って笑顔を向ける大男だったが。
「ひぇ! 怖い!」
「即答ですか!? ガクッ……」
顔を伏せる大男の肩に手をのせた、もう一人の男が話した。
「な、言っただろ。だから”撃滅の戦鬼”だとか”怪物の擬人化”とか言われるんだよ」
「じゃあ、どうしたらいいのですか! どうしたら、僕は恐れられないようになるんですか!」
「そりゃ、あれだよ……うん。あれだよ……」
「ミミゴン様も答えられてないじゃないですか!」
「己で見つけるものだからな、これは」
「かっこよく言って、逃げましたね……」
小柄で赤髪の男は、フフンと得意げな顔で、どこか遠くを見ていた。
大男は立ち上がり、あごをさすりながら思考している。
「ミミゴン様、僕はどういう風に生きていけばよいのでしょうか」
「……頭痛薬みたいな生き方だな。半分は優しさで、もう半分は強さ。これを生き方の目標にするのもいいんじゃないか」
「半分は優しさ、半分は強さ……なるほど! さすが、ミミゴン様です! 頭痛薬に関しては、ちょっと理解できませんでしたが」
「もしかして、クラヴィス上級監察官ですか!」
こちらに駆け寄ってくる足音がする。
ここの村を担当している解決屋の上級監察官だった。
そこでマトカリアは、ハッと気づく。
「クラヴィス上級監察官……って、この人なの!?」
静かに呟き、クラヴィスの全身を眺める。
全体的に白い色のラフな軽装備で、赤いマントが特徴的だ。
もう一人、やせ型の男は清潔で手入れが行き届いているものの地味な服を着用している。
「遠いところから、わざわざお越しくださって……ささ、中で話しましょう。クラヴィス上級監察官」
「クラヴィス、で構いませんよ。インドラ上級監察官」
「私もインドラ、で構いません。ところで、そちらの方は?」
「えーと、僕の助手です」
「どうも」
やせ型の男は、インドラに一礼する。
理解したインドラは二人を連れて、解決屋へと向かった。
マトカリアは握っていた手のひらを開け、万能薬がそこにあるのを確認する。
何度も何度も。
決して落とさないよう、しっかりと手のひらを閉じ、建物に入っていくクラヴィスに頭を下げる。
たとえ見えていなくても、しっかりと感謝を込めた礼をしていた。
「ありがとうございます、クラヴィス様! だけど、噂通り怖かったです」
「なぜ、余計な一言を付け加えるんだ。心で思っておけよ、マトカリア」
「ゼゼヒヒ……私、手に入れたよ! 万能薬!」
マトカリアの足元には、ゼゼヒヒがいた。
「それよりも吾輩の鼻を見てくれ。お前のせいで、鼻血が出てきたんだぞ! まずは吾輩を治せ」
ゼゼヒヒの鼻から鼻血が出ていたが、それに気づくことなくマトカリアは走る。
「これで、やっと治るんだ!」
「幽霊の吾輩、とうとう見えなくなったのか? 病気治す前に鼻血を治してくれー!」
「お母さん! 万能薬、ようやく手に入ったよ!」
「ばん、のう、やく……?」
娘の言葉を確かめるように呟いた直後、激しい咳をし、眩暈も襲いかかっている。
そんな母親を早く治そうと、万能薬と川から汲んできた水を飲ませ、寝かせた。
咳も落ち着き、喋れるほど回復したようで母親は娘の手をしっかりと握る。
「マトカリア……あなたは、ここにいるのね?」
「も、もしかして……」
「大丈夫よ。だって、マトカリアが万能薬を買ってくれたものね。クラシック……あなたの娘が、私を救ってくれたわ」
「お父さん……」
心の中で父への感謝をし、マトカリアは立ち上がる。
「私、強くなったよ。だから安心して」
「分かってるわ、マトカリアは強いって。あなたは真の愛で生まれた子だもの。やるべきことがあるのでしょ?」
「うん!」
「強くて優しい者が最強というのよ。あなたは”最強”よ」
母親は、マトカリアの全てを信じ切ったような微笑みを浮かべる。
大きく頷いて、マトカリアは家を飛び出し走り出す。
森での事を報告するために解決屋へ。




