78 シュトルツ村:マトカリア―2
「……猫ちゃん?」
「助けるということをしてみたが、あまりいいことではないみたいだ。だって反応がない」
「そ、そうじゃないの! けど」
言い終わらない内に吹き飛ばされた絶食狼は体勢を立て直し、猫に飛び掛かった。
腹が立っているのだろう。
「猫ちゃん!」
「『憑依』する!」
絶食狼が狙った灰色の猫の姿は、そこにはなく。
どこかに消えてしまったようだ。
だとすると、残ったマトカリアに絶食狼の怒りをぶつけるしかない。
「ちょっと待ってー! 猫ちゃーん!」
マトカリアは急いで走りだす。
逃げることはできても、絶食狼相手に走りで勝つことはできない。
それでも!
地面を蹴り飛ばす。
走るために。
だけど、いつもと違っていた。
逃げる足に込められた威力が桁違いとなって放たれたのだ。
「は、速い!」
マトカリアの逃げる速度に絶食狼は近づくことはできなかった。
いや、ついていけるものなんていないほどの速度だ。
あっという間に、トラヒメナ草原を駆け抜け窮地を脱することができた。
慣れない速度であるため、止まろうにも止まることができず、草原に身を投げ出し勢いを殺した。
「あ、いたた……なんなの、これ」
「吾輩が『憑依』したことによって発動した『韋駄天』の効果だ。吾輩に助けられたこと……光栄に思うがいい!」
「え……『憑依』? 『韋駄天』? なに、それ。それよりも猫ちゃんは?」
「『憑依』で今、お前の魂に乗り移っている。だから吾輩の体はない! 吾輩が乗り移ったこと……光栄に」
「――わけがわからないよ! それにさっきから”光栄に”ばっかり、うるさいよ!」
周りに魔物はいない。
村から遠く離れてしまったが、命があるなら大丈夫だ。
そう考え、マトカリアは今起こっている状況を確認する。
仰向けに倒れて、疲労を回復させながら『憑依』している猫に話を聞く。
「あの……あなたは誰ですか」
「吾輩か? 吾輩の名は『ゼゼヒヒ・オワリノハジマリ』だ。吾輩の名を聞けたこと……光栄」
「ぜぜ、ひひ……おわりの?」
「助けられたら何でも言うことを聞いてくれる……はずなのだが」
猫の渋い声? が口から聞こえる。
マトカリアには、自分の口なのにゼゼヒヒの声が聞こえることにひどく違和感があった。
あれ、頭になんかついてる?
そう感じたマトカリアは手を頭にもっていくと。
「あれ!? な、なんかついてる! 猫の耳みたいな感触だ!」
「正解だ。それに腰に付いたしっぽも見てみろ」
「ほ、ほんとだ! し、しっぽが……どういうことなの」
「『憑依』していることを識別するためだ。つまり『憑依』した相手が人なら、もふもふの猫耳ともふもふのしっぽがもれなく付いてくるわけだ。猫耳としっぽがあることを……こう」
「――ひぇー、なんか自分じゃない気持ちになってきたよ」
マトカリアに、白いしっぽとふさふさの猫耳がついていた。
しっぽにも感覚があり、自由に動かす。
握ってみたり、意外と長いので腰に巻き付けたりと遊んでいた。
「光栄に思うがいい!」
「な、なに急に!? ビックリしたよ」
「このセリフを言うたび、お前に遮られてしまう始末だ。こう……が最後だったから、次で消滅しそうだった」
「な、なんの話? それよりゼゼヒヒさんって、私がいつも魚をあげていた……」
「実を言うと、魚は嫌いだ。それでも食べてくれたこと……光栄に思うがいい! よし、言えた」
「うるさすぎて、光栄に思えないよ」
うるさいと一切思っていないゼゼヒヒは、話を続ける。
「これから吾輩のこと、ゼゼヒヒと呼べ。ゼゼヒヒと言えるこ」
「――それより何で猫と喋れているの!?」
「ついに言えなかった。ゴホン……なぜ、喋れているのか。それは吾輩が頑張って、あれこれしたからだ」
「あれこれ?」
「細かいことは気にするな。細かいことを気にしない……光栄に思うがいい!」
「光栄の意味が気になってきたよ」
「まあ、あれだ。いつも魚くれるから、喋れるようになったと思えばいい。ちなみに吾輩、幽霊だから食べなくても生きていけるがな」
「ゆ、幽霊!?」
マトカリアが叫ぶと同時にしっぽと猫耳が消えて、目の前に灰色の猫が現れる。
おそるおそる、その体を触ってみる。
幽霊なら手が透けるはず、と思っていたマトカリアだが、肉をブヨンブヨンと押すだけだった。
「幽霊といっても一度死んで、種族が幽霊になっただけだ。幽霊であること……光栄に思うがいい!」
光栄に、という部分を聞かなくなったマトカリアは『見破る』をゼゼヒヒに使用した。
名前:ゼゼヒヒ・オワリノハジマリ
レベル:1
種族:幽霊
称号:なし
耐性:なし
戦闘用スキル:なし
常用スキル:なし
特殊スキル:『憑依』
確かに種族は幽霊だけど。
レベルは1で、特殊スキルを一つ持っているだけだ。
「『憑依』の詳細を表示してみろ」
『見破る』によって目の前に現れたステータス画面。
スキル表示を指で押すことによって、詳しい効果などを表示してくれる。
それを知っていたマトカリアは特殊スキル:『憑依』に指を合わせる。
すると表示されたのが。
特殊スキル:『憑依』
《生命体に乗り移ることができる特殊スキル。
自身の肉体は消滅し、宿主となる生命体の精神に接触できる。
宿主は常に『韋駄天』と常に『魔力吸収』のスキルを付与されている。
また憑依状態で『逆転の法則』が使用可能。
宿主がダメージを受けた際、そのダメージは『憑依』した者に与えられる。
ただし、宿主を操ることはできない。
また、宿主が追い出すこともできない。
どう行動するかは宿主次第》
『憑依』についてのスキル効果を知ることはできたけど。
こんなスキルを、この猫はどうやって手に入れたんだろう。
疑問が脳内で膨らみ始めたとき、草を踏みつける音が聞こえた。
立ち上がって振り返ると。
「――ギガースレオ!?」
強靭で巨体の肉体をもち、ライオンが二足歩行したような魔物。
トラヒメナ草原で最もレベルの高い魔物だ。
確か最大で86レベルが確認された魔物だったっけ。
マトカリアは解決屋で教えてもらった情報を思い出しながらも、足を一歩退く。
ギガースレオの右手が、すでに握られていたのを理解した時には遅かった。
速さと重さが威力となり、それは大岩を破壊するほどに強力な鉄拳となっている。
とっさに両腕で身を守ったが、鉄拳をくらって体は宙に浮いていた。
きわめてわずかな時間。
吹き飛ばされた肉体は地面を擦りながら落ちた。
「うぅ……あれ、そんなに痛くない。いや全く痛くない。もしかして私、最強に」
「そんなわけあるか、お前! 吾輩がダメージを受けたのだ! 吾輩が庇ったこと……光栄に思うがいい!」
マトカリアが喋っているときも、ゼゼヒヒが喋っているときも、せわしなくマトカリアの口が動く。
「に、逃げないと」
そう言ったマトカリアだったが、あることを思い出す。
解決屋で教えてもらったギガースレオの情報。
ギガースレオの皮を解決屋が高く買い取ってくれるらしい。
それを思い出したわけだが、目の前に巨体が迫ってくる。
「お前、速く逃げろ! もう吾輩の肉体は耐えられないぞ! 光栄に思わないぞ!」
恐怖で震える足をなんとか動かして、草原を走る。
『韋駄天』により”走る”という行動を強化するスキルは、たった五歩でギガースレオの視界から外れることができた。
日はいよいよ沈むことを始めた現在、マトカリアと憑依しているゼゼヒヒは村からさらに遠く離れた場所にいた。
夜になると草原には通常の魔物に加えて、ゾンビと呼ばれるハンターや旅人の死体が動き始める。
早く明かりのある村に帰らないと。
だが、あることを強く心に決めたマトカリアは、ゼゼヒヒと相談した。
「ねぇ、ギガースレオを倒せないかな」
「『憑依』され、強化されている今ならと? じゃあ、お前のもっているスキルを見せてみろ」
「えっ……戦闘用スキルとか、ろくなものないよ」
「倒したいなら見せることだ。吾輩が」
「――分かった。ゼゼヒヒから光栄に思われたくないから見せるね」
「おい、お前! 言ってはいけないことを!」
マトカリアは自分に『見破る』を使用する。
名前:マルミナ・マトカリア(憑依)
レベル:14
種族:人間
称号:『闇討ち』
耐性:『雷弱点』
戦闘用スキル:『見破る』『潜伏』『視野拡大』『警戒』『ヒーリング』
常用スキル:『暗所:潜伏』『暗視』『回復効果UP』
特殊スキル:『短剣の心得』『シーカー』『調合』(逆転の法則)
「私のステータスだよ。とてもじゃないけど、勝てる気が……」
「ふん! 吾輩がいたこと……光栄に思うがいい! すごいぞ、これなら勝てるぞ!」
「えっ!? 脳みそ、ある? それとも頭がおかしくなったの? それとも、もともとから、おかしかったのかぁ」
「いいかぁー? 今から吾輩の言う通りに動くのだ。それで倒せる。日も暮れてきたし、さっさと倒すぞ!」
ゼゼヒヒの作戦は、マトカリアを驚かせ、同時に絶対に倒すという意志が現れることとなった。
「お母さん……お父さん……」
マトカリアは道具袋から、手のひらからはみ出す手帳を取り出し、最後のページを開ける。
そこには。
【成功】 成功の想像+強い意志 ここに”絶望”を消し飛ばす調合を記した。お前の進む道に、そっと道しるべを置いておこう。迷っても、きっと乗り越える。なぜなら、私が愛する自慢の娘だからだ。
「お父さんの言葉は、私に勇気をくれる。今、ハッキリと未来を切り開けた! 私自身の手で!」




