77 シュトルツ村:マトカリア―1
「薬草18個……はい、900エンね」
「いつもありがとうございます、お姉さん。では!」
解決屋の受付にて、彼女は900エンの硬貨を受け取る。
手には銀貨数枚がのっていた。
それらを丁寧に小さな巾着袋に入れて、紐で縛る。
口はしっかりと締まったのを確認し、外に出た。
「900エン……かあ。もっと稼がないと!」
シュトルツ村の真ん中に建てられた解決屋。
晴れ晴れとした空の下で、彼女――マルミナ・マトカリアが目標を再確認する。
村は野菜を育てる畑が目立ち、半分が畑となっている。
もう半分は、まとまって家が立ち並んでいる。
ちょうど間には森から流れてくる川があり、村人は川の水を生活に役立てていた。
マトカリアは腰に短剣と巾着袋をぶら下げ、自分の住む家に歩いていく。
短い茶髪、細い身体の彼女は日夜、比較的倒しやすい魔物の狩猟、素材の採取を行って生計を立てている。
道中で、大きな荷物を背負った行商人と会った彼女は近寄っていった。
「あの……まだ万能薬は残っていますか!」
「マトカリアちゃんか。ああ、ほら」
行商人がつまんでいるのは紙に包まれた粉末状の薬。
万能薬といって、『薬師』のスキルを持つドワーフによって調合されたあらゆる病気、状態異常に効く粉薬だ。
取り出した薬を胸ポケットにしまった行商人は、怒り口調で話す。
「あのねぇ、いつになったら万能薬買ってくれるのかな? 何日も前から買うっていってるよね」
「ええと、後でお金払うので……それを先に」
「ダメだね! この薬の価値を知っているだろう。買わないなら、次の村に行くからね。忙しいんだよ、こっちも」
「……すみません」
マトカリアは巾着袋を握りしめて、家に走っていった。
手を激しく振って、目には涙を浮かべる。
このままじゃ……このままじゃ……
家に付いた木の扉を開け、腕で涙を拭う。
「帰ってきたの……? マトカリア?」
中は狭く、玄関の先はベットとテーブルだけだ。
ベットには、マトカリアの母親が横向きに寝ていた。
母親は目を覚まし、娘が帰ってきたと思い、声をかけたのだが返事がない。
ただ、むせび泣く彼女がいた。
「お母さん……万能薬が」
「大丈夫よ、マトカリア。万能薬なんていらないの。あなたがいれば、それで幸せなのよ」
「でも、病気が!」
「……だんだん、目も見えなくなってきたわ。手足も痺れる。だけど、それだけよ。一番辛いのはね……あなたがいると感じられないことなのよ。だから、私の元に来て」
呼ばれたマトカリアは母親の元に行き、その弱っていく体を抱きしめる。
また涙があふれた。
布団を濡らし、抱きつくように泣きつくマトカリアに、母親はそっと頭を撫でる。
「お母さん! 絶対、助けるからね!」
「たとえ万能薬を買ったとしても、治るのか分からないわ。それなら、稼いだお金はあなたに使いなさい」
母親は正体不明の病に侵されていた。
いや、母親だけではなく村に住む高齢者のほとんどが、この病気にかかっていた。
村に住まう医者もお手上げ状態で、対処方法が分からない。
症状が現れると足が痺れ、徐々に上に向かって麻痺が広がっていく。
母親の言葉を受け止めきれなかったマトカリアは立ち上がり。
「私、まだこなしていない依頼が残っているの。行ってくるね」
より一層、暗い顔をした母親を背に彼女は外に出ていった。
この村で元気にはしゃいでいるのは子供だけとなっている。
大人の多くは畑仕事に熱中し、汗を流していた。
この村でハンターとして活動しているのは、マトカリアだけだ。
さすがに一人だけでは周辺の魔物には立ち向かえないので、派遣されたハンターもいる。
今日も魔物を狩りに出発する。
魔物を討伐する前に、マトカリアがいつも行っているのが。
「おじさん! いつもの魚!」
「はいよ! 釣ったばかりの魚だ!」
「ありがとう!」
いつもの魚屋で買った魚を片手に持って、ある場所に向かう。
向かった先は解決屋がある建物の後ろだ。
他の解決屋と比べて、小さい建物の裏側に歩いていくマトカリア。
「持ってきたよ! 大好物の魚!」
その叫び声に反応して、生い茂った草から飛び出してきたのは。
「ヌャ」
「はーい、猫ちゃん。今日もかわいいねー!」
現れた猫は低い声を出し、毛色は灰色だ。
地面に置いた魚に、むしゃむしゃとかぶりついている。
あっという間に骨が見え始め、肉の部分がなくなっていく。
「また猫ちゃんに、魚もってくるからね!」
「ヌャー」
表情に変化はない。
それでもマトカリアは嬉しそうに村の外を目指した。
いつも狩猟に出る前、同じことを必ずする。
気が付いたら、この村に住みついている猫に魚を与える。
いつもと変わらない。
だが今日は、彼女の跡をつける猫の姿があった。
「『潜伏』『警戒』『視野拡大』」
マトカリアは自身を強化させるスキルを発動させる。
『潜伏』で自身を見えにくくさせ、『警戒』で周辺にいる魔物の気配を感じ、『視野拡大』で周りを見やすくする。
基本の戦術はこっそりと忍び寄って、先手必勝。
右手に短剣を握り、草原の上に腹ばいになる。
『視野拡大』により、あまり目を動かさなくても辺りを見渡すことができる。
解決屋に納品依頼されたのは『ハングリーウルフ』の皮と爪。
シュトルツ村から外は【トラヒメナ草原】になっており、世界地図で見るとグレアリング国から北に位置しており、ミトドリア大平原に接している。
トラヒメナ草原に生息する魔物のレベルは他の場所と比べて、レベルが高い。
なので、初心者ハンターのマトカリアは平均レベル8のハングリーウルフしか倒せない。
「いた! ハングリーウルフだ!」
手と足を器用に動かし、草原を這う。
慎重に。
群れからはぐれ、一匹で食べ物を探している白黒の狼。
開いた口から二本の犬歯が覗き、唾液がゆっくりと流れ地面に吸い込まれる。
奴が歩きを止めた瞬間、マトカリアは一気に立ち上がり、短剣を逆さに持ち直して胴体目がけて刃を突き立てた。
ハングリーウルフの背中に乗り、突き刺した短剣を抜いては刺し、抜いては刺し。
暴れる狼は体にできる傷の数に比例し、弱っていく。
やがて暴れるほどの力を失い、命も失った。
「はぁはぁ……あと二体」
死と隣り合わせの状況を乗り切り、マトカリアは手早く剥ぎ取るためのナイフを取り出し、爪と皮を剥ぎ取っていく。
腰にぶら下げている道具袋に詰め込み、次のハングリーウルフを狙う。
立ち上がろうと脚を伸ばしたのだが、そのとき背中に大きな衝撃を感じた。
あまりにも唐突だったので、脚に力が入らず踏ん張ることができない。
前に身体がもっていかれ、草原を転がっていく。
回転を終えて、何が起こったのか状況を確認する。
「ハングリーウルフが三体!? それに絶食狼まで!?」
背中の痛みが訴えてくるのを気力で我慢しながら、立ち上がる。
正面に、二体のハングリーウルフ。
間に挟まれるようにして、絶食狼が四本足でしっかりと地面を踏みしめている。
いつでも襲いかかれる姿勢だ。
絶食狼はハングリーウルフの進化形で、腕部の筋肉が隆起しており赤黒くなっている。
さっきぶつかってきたのは、ハングリーウルフみたいだけど……絶食狼が襲ってきたら。
マトカリアは頼りない短剣の刃を見せつけるように敵に向けるが、一歩も退くことはない。
走っても追い付かれる。
戦っても負ける。
どうすればいいの!
マトカリアは愛する母親を思い浮かべ、逃走することを決意する。
逃げて襲ってきたら反撃するだけ。
踵を返し、走り出そうと脚に力を込めた。
直後、絶食狼が牙を露出させ、その身を捕食しようと突進してきた。
短剣を振り回しても無駄な抵抗だと考える。
彼女に残された選択は”祈る”こと。
死ぬのなら楽に死ねるようにという意味と……もう一つは。
「――ぐぎゃん!」
目を瞑っていて何が起こったのか目撃することはできなかったが、絶食狼が吹き飛ばされたことだけが分かる。
遠くに転がっていく音……何かが草原に降り立った音。
マトカリアは目を開ける。
「……!?」
「お前を助けたわけではない。魔物を吹っ飛ばすためでもない。吾輩は『助ける』ということを知りたいのだ」
灰色の体毛、小柄な体型、口や目のあたりは長い髭。
いつも、マトカリアが魚を与えている猫がいた。
「吾輩は神聖な生き物だ。拝見できたこと……光栄に思うがいい!」




