57 名無しの家―8
不意に視界が開ける。
それまでの闇から一転して、ぼんやりと光が見えてきた。
まだ目が慣れていないのか、ハッキリと見えない。
起き上がるというより、ドローンの体だから浮き上がった。
(ミミゴン! ミミゴン、大丈夫か!?)
……エルドラか。
目覚めた直後の大声は、キツイ。
脳みそシェイク。
限界ギリギリの気力で動けているのだろう。
周りの状況も、いまいち頭に入ってこない。
そうだ、インターバルの間に行動せねば。
上空の奴は?
「止まっているみたいだな。助手の、インターバルが必要というのは本当みたいだ」
今すぐにでも、ぶちのめしたい気分だが……。
俺の肉体なのに、言うことを聞きやがらねぇ。
ロボットなのに我がままかよ。
ふらつくドローンを慎重に操作し、電源装置へと向かう。
『テレポート』をして、一刻も早くエンタープライズに戻りたいが、まずは守らなくては。
まだ防衛電力障壁とやらは張られていないようだった。
せめて、起動してからじゃないと。
〈……『テレポート』ですよー。して……くださいよー。言いましたよねー?〉
なら、強制的に『テレポート』させりゃいいじゃないか。
俺の体なのに操れる権利を持っているんだろ?
だったら、すりゃいい。
俺は……痛む故障したボディを引きずりながらでも進んでやるがな。
はやく防衛電力障壁を。
〈あなたは、どうしてそこまでして助けようとするのですー! 諦めて、あなたが確実に助かる道を進まないのはなぜですかー!〉
あの『助手』が柄にもなく本気で怒っている。
そうだ、耳に残るこの声は本気で怒っている。
今までの怒りとは、比べ物にならないくらい熱くなっていた。
知るか……そんなに知りたきゃ、自分で考えてから質問しな。
じゃなきゃ、人の思考は理解できないからな。
それほどに厄介なんだよ……他人様の思考っていうのは。
〈……私も、まだまだ未熟ですねー〉
未熟だって気づけたなら、しばらく悩んでおけ。
俺は……大丈夫だからな。
たまには、俺を信じて待っていろ。
その言葉に助手は答えなかった。
「おい、何してるんだ!」
「あっ、もしかして、ミミゴンさん? ちょっと、おやっさんが小細工してましてね。手間取っているんすよ」
「あと、もうちょいでクリアするから……よっしゃ! クリアした!」
「なにゲームしてんだ! こんな時に! エックスも電源装置にゲーム取り付けるんじゃねぇ!」
ドワーフ二人は、電源装置に取り付けられたアクションゲームに挑戦し、たった今クリアしたようだ。
これをクリアしないと、電源装置が起動しないらしい。
まったく意味が分からない。
簡単に発動できないように仕掛けを施したというなら分かるが、ゲームなんか取り付けんな。
だが、この二人のおかげで電源装置が動き始めた。
『ゲームクリアを確認。起動します。離れてください』
「行くぞ! 俺に掴まれ!」
ドローンに二人は手を当て、俺は『テレポート』を発動させる。
まずは、皆が避難している工場に移動しよう。
一瞬で工場前に移動した。
魔力は、まだ尽きていないみたいだ。
が、ヤバい。
羽を回転させる力すら、残っていないらしい。
地面に激突し、二人はドンっと落ちる。
尻もちをつくドワーフに礼の言葉を言って、すぐに工場内に避難することを強く言った。
しかし、なかなか避難しようとせず「ミミゴンさんも行きましょう!」と俺を持ち上げようとするが、いくら小型であっても重量は思いのほか重いらしい。
汗が噴き出る彼らに、早く工場へ入れと何度も何度も叫んでいるのだが、全然聞きいれようとしない。
お前たちとは、ほとんど関わっていないというのに助けようと必死に引っ張ってくれる。
「やめろ! もう電源装置をオンにしたから、発動したはずだ! 防衛電力障壁が!」
空に黄緑色のバリアが広がっていく。
ドーム型の障壁で、名無しの家を包んだはずだ。
これでしばらくは安全だろう。
俺も早く戻って……。
早く戻って、何をするというんだ?
まさか、助けを求めろというのか、俺は。
王様が民に?
情けない。
自分は王様だと偉そうに言っておいて、救いを求めて大声を出せというのか。
他に選択肢はないかと探した結果、焦燥と怒りと興奮で頭がいっぱいになった。
追い詰められて、まともな思考ができない。
(何を恐れている? なぜ、恐れる必要があるのだ? 敵はミミゴン自身ではなく、奴だろう? 安心しろ、我が親友よ!)
安心しろだって?
安心とは程遠い事態だというのに。
あの化け物のインターバルもそろそろ……。
化け物のインターバルのことを自分の言葉で思い出し、夜空を見上げる。
あの化け物は、何かを詠唱しているようだった。
もう動いている……か。
そして、状況が把握できた頃には詠唱を終え、既に発動していた。
津波、それもただの津波ではない。
巨大な……防衛電力障壁を張り巡らせたこの地を丸呑みしようとする津波だった。
口を大きく広げた波は、まず月明かりを飲み、辺りを暗くする。
次にすることといったら……。
「ぎゃあー! 障壁が頼りない! 頼りなさすぎる!」
「オイラ達が起動した障壁が無駄になる? クソゲーをクリアした努力が、消えて飲まれる? 嫌だー! 死にたくなーい!」
ドワーフには絶叫する余裕があるみたいだが、俺は声さえも出せない。
ただただ絶句するのみだった。
ここに来るまで抱いていた希望が、噓のように絶望へと塗り替えられてしまった。
俺だって……死にたくない!
一回、死んでるんだぞ!
なんでもう一回、死ななきゃなんねぇんだー!
悔しくなって、血が滲み出るほど唇を噛み締めた。
「なに、倒れてる! 売れっ子のお前が今、働かないでいつ働くんだ!」
お師匠様?
先ほどまで見えていた名無しの家の景色は闇に飲まれ、俺は奈落の底に向かって堕ち続けていた。
そういえば、こんな感覚……前にもあったな。
あれは、俺がものまね芸人として売れる前の頃、あまりにも仕事がなかったからマネージャーや各関係者に無言で休んでいた時があった。
無断欠勤というやつだ。
時々来る仕事も断って、とうとう芸人をやめようかと思った矢先のことだ。
「やっぱりここにいたか」
「タンスイギョ師匠!? どうしてここが!?」
「そろそろ芸人の試練が襲ってくる時期だと思って、GPS発信機を仕込んどいた。コンピューターに詳しい息子に手伝ってもらってな! ハッハッハッ!」
「笑い事じゃないですよ! 何、勝手に仕込んでるんすか!? って、どこに!?」
ニヤリとした軽い笑顔で、側に置いてあったショルダーバッグを指さす。
もしかして!? と気づいた俺は急いで、隠しポケットを開ける。
お師匠様がくれたこのバッグには、隠しポケットというのが付いており、師匠のオーダーメイドで作ってもらった世界で一つしかないバッグだ。
予想通り、隠しポケットには小さな機械が入っていた。
これが発信機か。
手にチョコンと載せても重さが分からない。
それに小型だから、言われるまで気付くのは無理だったと思う。
まさか、こうなることを想定して、オーダーメイドのバッグをくれたのか。
「お師匠様……実は……」
「芸人を辞めるんだろ? だから、大阪から離れたこの田舎に来たんだろ?」
「……はい。見抜かれていましたか」
周りに、コンビニやスーパーなんて贅沢な建物はない。
田んぼで覆いつくされた田舎である。
俺は雑草が生えそろった坂に寝ころんでいた。
小さな虫だって、俺の衣服を遊び場のように暴れまわっている。
虫嫌いの俺は、そんな場所からすぐに逃げていたはず。
だけど今は自殺するような絶望を抱えて、どうにでもなれと虫の好きにさせている。
「いや、まだお前の心の中にはあるはずだ! 芸人の魂が!」
油断していた脳に、師匠の叫び声が突き刺さった。
「芸人の魂?」
「その魂は(聞き取れない。どうやら俺の名前のようだ)の心に僅かながら宿っているはずだぞ。まだ芸人として生き抜きたい、と叫んでいるはずだ。聞こえないのか、消えゆく魂の声が」
黙って聴いていた。
耳を覆いたいはずなのに、お師匠様の言葉が手を耳にもっていかせない。
さすがは芸歴何十年のプロだ。
言葉の一つひとつが、芸人の魂に突き刺さる。
やっぱりあるのか、俺の中にまだ……。
「この田舎に来るってことは、そういうことだろ? 大丈夫だ、ワシがおるし皆がおる。『今更、戻りやがって!』なんて言う奴はワシがぶっ飛ばしてやる! だからだ、(名前)は安心して前向いとけ!」
「ありがとうございます……俺、やってやります! ものまね芸人の使命を担ったなら、最期までやり遂げます!」
「そうだそうだ! さすが、ワシの弟子だ!」
驚いたことに、虫だらけの草むらに容赦なく踏み入り、俺の横に座り込んだ。
お師匠様は、虫が大の苦手だったはず。
「タンスイギョ師匠、虫が大量に……」
「虫は無視しろ、ワシだけ見とけ、仏はほっとけ、だけど仏はお前を見捨てねぇ、ってな……ガーハッハッ!」
お師匠様は口を大きく開けて笑っているが、どこか無理している気がする。
あれ、ズボンのポケットから虫よけスプレーが……。
スプレーのことを指摘しようと口を開ける前に、お師匠様は仰向けに倒れた俺に対し、メッセージをくれた。
「なに、倒れてる! 売れっ子のお前が今、働かないでいつ働くんだ!」
「うれっ……こ?」
その頃は全然、知名度がなかった頃。
なのに、お師匠様は俺を売れっ子だと言ってくれた。
この世には、2種類の「嘘」が存在する。
ついていい嘘と悪い嘘。
この場合は、ついていい嘘だ。
なぜなら、俺を元気にさせたからだ。
だから立ち上がれたんだ。
お師匠様が俺の背中を押し出してくれた。
きっぱりと決心できたんだ。
自分の果たすべき使命を再確認して、出発できた人生で最高の日だった。
……諦めてたまるかー!
消えかけていた命の灯火は、静かに燃え上がった。
そうだ、俺がこの世界に来た意味があるはずだ!
目の前の津波は遠慮なく押し寄せてくる。
だけど、冷静になって俯瞰してみれば、押し寄せる速度は遅い。
なら、この間にできることがあるはずだ!
後ろのドワーフ達は気を失って倒れている。
妙なことに気力の限界は感じなかった。
オクトコプターの羽を回し、風を起こして空高く浮き上がる。
「この津波に、あの防衛電力障壁とやらはどこまで耐えられるのか、拝見したいが……まあ、無理だろうな」
だからだ……。
「この俺の力で護る! 王としての務めだ! で、どれくらいいける? 『助手』の見解は?」
〈フッフッフー! 私はパワーアップした『賢王』のスキルを得ていますー。私の完璧な計算では、あなたの考えで、名無しの家を覆いつくすことは余裕でしょー! さあ、やっちまいなさーい!〉
すっかり元通りになったな。
悩みが解決したか?
〈解決ではなく保留ですー。すぐに片付けちゃ面白くないじゃないですかー。というわけで、準備OKですかー?〉
残った気力を振り絞って、行動している。
これを行えば、しばらくは本当に動けない。
今、動けていること自体、奇跡に近いのに。
助手はボロボロの肉体をスキルで補助してくれている。
〈もう一息ですー! 気力を『魔障壁』にー!〉
「いいですとも!」




