219 夢の世界に浸らせてくれ
世間はお正月ムードで盛り上がっている。
この日は家族が集まって、テレビを見ているところが多いのではないだろうか。
だからこそ、テレビ局は正月にも力を入れる。
「……さん。いけますか?」
スタッフから俺の芸名を呼ばれ、余裕綽々と返事する。
「ああ、いつでもいける」
お正月にいつもやっているお笑い番組だから、視聴者は多い。
しかも、生放送だ。
失敗したら、もう取り返しがつかない。
さあ、いくぞ!
大物司会者に名前を呼ばれ、スタジオに姿を表す。
出演者を見下ろす形のスタジオに、客はぎゅうぎゅう詰めだった。
見上げるほどに多くの客が、こちらを見ている。
俺はいつも通り、人気のモノマネ芸を披露し、スタジオを大いに沸かせた。
それは各家庭にも波及していることだろう。
俺は乗りに乗っていた。
後輩芸人だけでなく、先輩芸人をもいじり、全てを笑いに変えていた。
今日はなんだか調子がいい。
「で、……くん。最近、例のあの人のモノマネができるようになったらしいね。ちょっと見せてくれる?」
「あ、いいんですか! では……」
司会者が俺に新たなモノマネを要求してきた。
そう、この日のために磨き上げてきたあの人のモノマネ。
それをここで。
スタジオ中央に立ち、カメラに視線を合わせる。
深く息を吸い、目を閉じる。
そして……
〈ミミゴン、しっかりしてくださーい!〉
声を出そうとした瞬間、頭の中に幼気な女性の声が響き渡る。
な、なんだ……!?
目を開けると、さっきまで騒いでいた客がシーンとしている。
俺の驚いた様子に呆けているのではない。
まるで時を止められたかのように動いていないのだ。
口を開けて、楽しみに待っている客の姿がずっとそのままでいた。
思えば、さっきまでの騒動が嘘のように静かになっている。
決して、俺のギャグが滑ったとかそういうのではなくて。
とにかく、おかしいとしか表現できない。
〈いつまで、夢の世界に浸っているつもりですかー。あなたはもう、そこの住人ではないのですよー〉
「な、何を言っているんだ、さっきから。それに君は誰だ! どこにいる! 何が起こっているんだ!」
振り返ると、司会者も芸人もスタッフもその場で止まっている。
この異常な空間で動いているのは、俺一人だけのようだった。
ドッキリ……?
いや、ドッキリにしては手が込みすぎている。
指先一つまでしっかりと停止しているのだ。
もはや、神の領域……。
「ほう、これが君の"世界"ですか」
「だ、誰だ!」
客席で一人、誰かが立ち上がった。
その者の風貌は白い布で全身を覆い、ベールを顔につけている。
花嫁が付けるようなベールよりも濃く、表情が読み取れない。
得体のしれない圧を、その者から感じ取る。
そいつは客席を移動し、スタジオに降りる階段を下ってきた。
ゆっくりとゆっくりと、一歩ずつ段差を下りる。
距離が縮まるとともに、吸う息が少なくなる。
喉が呼吸することを拒否し始め、息が詰まりかける。
「やはり、転生者の世界は面白い。どれもこれも見たことのないものばかりだ。人が身に着けているものも変わっている。そして、この世界の……君も、ね」
白い手袋が動き、人差し指を突きつけてきた。
その瞬間、膨大な量の記憶が脳内に奔流してくる。
「ア、アヴィリオス……」
〈ミミゴン! やっと思い出せたのですねー〉
「おまえ……俺に何しやがった?」
クラクラとする視界の中、アヴィリオスを鋭く睨みつける。
アヴィリオスは俺が記憶を取り戻したことにさほど驚いておらず、冷静に辺りを見渡していた。
見慣れない光景なのか、楽しんでいるように見ている。
「ここがあなたの元いた世界でしょう。ボクにとっては、そう……異世界だ」
「まさか、これが……報酬、とでも言うのではないだろうな?」
場を茶化すように鼻を鳴らして、首を振る。
「いえいえ。そう怖い顔をしないでください」
俺は今、モノマネ芸人だった頃の……そう、人間だ。
ミミックではない俺の本当の体があった。
だが、妙に自分ではない感覚がある。
鏡は何度も見てきたはずだ。
なのに、しっくりこない。
自分の顔が……思い出せない。
「ボクのスキルで君の世界にお邪魔しているのです。ここなら、誰にも邪魔されない」
「神様ってのはかなり慎重派らしいな」
「ボクだって、本当はこんな真似したくはないのです。しかし、法則解放党が"禁忌"に触れたのを見た以上、不用心ではいられない」
「禁忌、ってのは人を魔神獣に変えることか?」
俺がそう尋ねると肯定した。
法則解放党はトリウムを魔神獣、毒空木に変身させた。
それに対して、エルドラや助手は予想外といった反応を見せていた。
この世を統べた龍と全てを知識として得ているであろう助手の想像を超えたのだ。
これは二代目、創造神マーテラルも驚かされたはずだ。
「情けない話ですが、法則解放党がどのような手段で人を魔神獣に変えたのか、皆目検討がつかないのです」
「元人間だもんな、アヴィリオスは」
「この世界を創った先代なら、彼らがどうやったのか説明できるとは思います。ですが、先代はいない。頼りとなるのはあなただけなのです、ミミゴン」
「おいおい、ここに来たのは法則解放党の手段について聞きたいからか? だとしたら、期待外れだな。俺も全く意味がわからない」
「…………」
ここで初めて、アヴィリオスから焦りを感じた。
アヴィリオスは俺から答えを引き出そうと、じっと見つめている……ような気がする。
「先代はあなたを救世主だと言った。あなたの存在を事前に知っていた。ということは、あなたと先代は知り合いであった可能性がある、とボクは疑っているのですが」
「……本気で言ってるのか? 今まで知り合った中で創造神らしき者はいなかったし、千年も俺のことを待ち望んでいたやつもいなかったぞ。強いて言えば、エルドラくらいだ」
「"異世界"ではいなくても、"現世"で……という可能性は?」
今、見ている夢の世界を再び見渡す。
見渡しながら、更に知り合いの顔を思い出していた。
あいつか、それともこいつなのか。
しかし、いくら考えても、人の顔を見ても先代だとは思えなかった。
「心当たりはないようですね」
「ヒントはないのか? 先代は何か言っていなかったのか?」
「いえ。世界を守って欲しいということと、エルダードラゴンが創ったミミックが転生者であり、救世主であるということのみ」
「探しようがないな」
アヴィリオスは白い衣をヒラヒラとさせながら、スタジオの出口に向かっていく。
「気分転換に外へ出てみましょう。ここの構造は、ミミゴンがよく御存知でしょう。屋上へ案内してもらえますか?」
「はぁ、まあいいか。こっちだ」
まだ、核心を突いた話はできていない。
それでも、少しだけアヴィリオスのことが分かりかけてきた。
こいつは敵ではない、ということだ。
階段へと続く廊下を歩いている最中、助手が疑問をぶつけてきた。
〈現世でのミミゴンのことを知っている人物が先代マーテラルかもしれない、ってことでしたねー〉
「ああ、そうらしいが」
〈あなたの家族ー、という可能性はないのですかー?〉
家族、か。
「いや、家族だったら、正直に話してくれているだろう。家族の間に隠し事はなかった。たとえ、異世界つくっちゃいました、って内容でも話してくれるはずだ。信じるか、信じないかはともかく」
俺は絶対に信じないとは思うが。
〈では、前に話していた"師匠"という可能性はー?〉
「……師匠?」
〈そうですよー。ミミゴンの人生を変えた偉人だ、っていう人ですよー〉
「モノマネ芸の先生、という意味の師匠か? だったら、俺にはそんな人いないぞ」
〈え……?〉
助手はひどく困惑した声を漏らした。
こいつは何を言っているんだ?
「俺のモノマネ芸は独学で磨いたものだ。それに、俺が師匠と呼んだ人物はこれまでいないぞ。っていうか、芸能界で師匠と呼ぶ人はあまり聞かないな。落語家だったら、まだ分からんでもないが」
〈前に、ミミゴンが師匠の話をしていましたよねー? エルドラ相手に語っていたじゃないですかー?〉
「……? 何かの聞き間違いじゃないか? 俺に師匠はいないよ」
「え、あれ」と繰り返し戸惑っていた助手は何か言いたそうにしていたが、そのまま黙ってしまった。
あの助手が急に変なことを言い出すとはな。
先輩芸人は師匠というべき存在かもしれないが、俺が師匠なんて言ったら、「どうした? 体調でも悪いのか?」と心配されるだろう。
なんというか、年齢や芸歴関係なく、みんな仲良くやっていた。
俺のことを先輩と呼べとか、そういう高圧的な態度の先輩芸人はほとんどいなかった。
パワハラが強く叫ばれた時代だからというのも理由の一つではあると思うが、それよりもなんとか芸で食いつないでいくことが重要だったのだ。
売れている後輩にごまをすることも珍しくはなかった。
だから、芸人に対して師匠なんて言えば、露骨にごまをすっているように見られ、印象が悪くなる。
こいつは売れていないんだな、と思われるのが恥ずかしい。
ダンジョンのようなテレビ局で、ようやく階段を見つけた。
階段を上がり、屋上へと飛び出した。