216 真の終戦
仰向けに倒れているトリウムを、リーブは抱きかかえた。
そして、力いっぱいに抱きしめる。
リーブのそばに寄り、俺は声をかけた。
「リーブ! トリウムは無事か?」
「ああ、心配はいらない」
俺もトリウムを一瞥したが、大きい怪我があるようには見えなかった。
最初、腹を刺されていたはずだが、その傷は塞がっているようだ。
トリウムは死んだように動かない。
生きてはいるようだが、目を覚ます様子はなかった。
魔神獣となった代償だろうか。
「無事で良かった。トリウム、もう……大丈夫だ。私がいる」
リーブは存在をしっかりと確かめるように抱きしめ、涙を流した。
これは夢ではなく現実であるという喜びを噛みしめるように、唇を閉じて静かに泣いている。
近くにアルテックが寄り、トリウムを哀れむように見下ろした。
「トリウムの目が開きそうにないのが怖いな。元の姿に戻ってくれたのは良いが……」
「このまま眠ったままでも、私は面倒を見る。息子への償いだ」
父親としての覚悟を見せつけられ、アルテックは口を閉じるしかなかった。
しばらくすると、アルフェッカたちも来て、トリウムの顔を覗く。
「この青年が、あの魔物へとなったのか。未だに信じられないな。何がどうなってる?」
「法則解放党は人を魔物にする研究をしていたんだ。その成果を披露するために、トリウムを使った。なんで、そんな研究をしてんのかは意味不明だが……」
人を魔物に転化する研究。
ラオメイディアから託された黒い手帳に、そう書かれていた。
奴らが何を考えているのかは本当に分からない。
「お母様は、あの者らの手によって殺された。法則解放党……その名を忘れないようにしよう。私の仇敵だ。それに、ヒドゥリーも捕らえなければな」
「アルフェッカ、法則解放党は手強い。それに得体も知れない。だからこそ……国同士で連携し、奴らを壊滅させる。法則解放党は、世界の敵なんだ」
「……戦争などしている場合ではなかった。あのまま戦を続けて、デザイアが勝ったとしても、世界に平和は訪れなかっただろうな。敵を見誤っていた。すまない、ミミゴン、グレアリング王」
リーブはトリウムを抱きかかえ、アルフェッカに向き直る。
「皮肉なものだが、法則解放党のおかげで我々は真に終戦を迎えることができた。討つべき共通の相手は法則解放党。奴らを葬るためにも、ドラコーニブス・アルフェッカ……貴女にご助力いただきたい」
「もちろんだ。私にできることがあれば喜んで協力させてもらう」
「よし! じゃあ、これで和睦成立だな!」
俺の発言に両者は深く頷く。
アルフェッカは後ろを向いて、六星騎士長に命令を飛ばした。
「戦場の後始末をする。ヴェニューサ、アークライトを飛ばせるよう、準備してもらいたい。ウラヌスは軍をアークライトまで誘導してもらいたい」
「御意!」
ウラヌスは凛々しいアルフェッカの勇姿を見て、嬉しそうに同意した。
ヴェニューサは、モルスケルタに目を向ける。
「閣下、モルスケルタの方はいかがなさいますか」
「モルスケルタを動かすための魔力を今は誰も持っていない。グレアリング王、しばらくの間だが、ここに放置しても構わないだろうか? 早めに引き揚げるつもりだ」
「いや、このまま、ここに安置してもらいたい。疑うわけではないが、再び兵器として運用されては困る。それにもし、ならず者があれを操ったとしても、ここならば両国に被害は出にくい。頼めるか、アルフェッカ皇女」
「ああ、もちろんだ。モルスケルタに人が入れぬよう、封鎖はしておく」
アルフェッカは頭を下げてから、六星騎士長を伴ってモルスケルタへと戻っていった。
帰っていく背中から戦意は感じ取れなかった。
もう、彼女が戦争を起こす気にはならないだろう。
リーブも彼女の後ろ姿を見て、呟いた。
「アルフェッカの中には、確かに王の資質がある。このまま、何事もなく女帝として座につくことができればよいのだが」
「まぁ……ヒドゥリーに操られていたとはいえ、戦争を過激化させたしな。それに、自国の諮問機関を破壊したそうだし。何かしら罪に問われるかもしれない」
「罪人となろうとも、彼女ならば償えるはずだ」
「アルフェッカのこと、えらく推してるじゃないか」
リーブは口元を緩くした。
「……人の上に立つ者として尊敬しているのだ。それに、未来ある若者だ。アルフェッカが女帝となれば、国は安泰だろう。ミミゴンもそう思うのではないのか?」
「そうかもしれないな」
アルフェッカは王にふさわしい才能を有している。
部下からも信頼されている様子だし、国内では評判も良いと聞く。
リーブの言うことにも合点がいった。
「さて、アルテック。我々も撤収するとしよう。講和の準備もしなければならない。一度、セルタス要塞に軍を集める。モルスケルタに避難した者たちを、要塞へと連れてきてくれ」
「ああ、すぐに行う。ガルド、アリオス、行くぞ!」
「はっ!」
アルテックはガルドとアリオスを率いて、モルスケルタへと駆けていった。
「ではな、ミミゴン王。本当に世話になった。トリウムと、私の……命の恩人だ」
リーブもまた深く礼をして、セルタス要塞へと歩いていった。
トリウムを落とさないよう、しっかりと抱えて。
俺たちも帰るとするか。
「ラヴファースト、アイソトープ、オルフォード、ミリミリ……俺を助けてくれてありがとうな。お疲れ」
「ちょっとー、なんか軽くない? 他になんかないのー?」
「それについては、ワシも同意見じゃ」
と、ミリミリとオルフォードが揃って厚かましい態度を取る。
ラヴファーストとアイソトープは同時にため息をついた。
前方から、シアグリースとトウハが駆け寄ってくる。
トウハは晴れやかな表情で、大きく口を開けた。
「ミミゴン様ー! エンタープライズに帰ろうぜ!」
「そうだな。ごちゃごちゃ考える前に、美味しいもの食べて寝るとするか! みんな、エンタープライズに帰還だー!」
トウハとシアグリースは大仰に喜んだ。
七生報国に、ミリミリが加わって、俺達はエンタープライズへと帰っていった。
デザイアとグレアリングの両国は滅亡することなく、互いに手を取り合う存在となった。
人間と竜人の種族間に、未だにヒビは入っているものの、時間が修復してくれることは目に見えている。
戦争を煽るために生まれた差別は、もう必要ない。
未来は、複数の種族が協力して立ち向かう世界となるだろう。
デザイア帝国とグレアリング王国の和睦によって、デザイアリング戦争は終結となった。
各軍がそれぞれの国へと帰る頃、夕日は顔を覗かせていた。
ようやくエンタープライズで一息つけると思った直後、俺はアヴィリオスに呼び止められる。
「ミミゴン、助かったよ。目論見通り、デザイアリング戦争を終結させ、両国は健在。アルフェッカは潔白となり、魔女ミリミリは記憶を取り戻し、君の仲間となった。法則解放党を表に引きずり出すこともできた。全て、君がいなければできなかったことだ。ありがとう……」
振り返ると、アヴィリオスは凛とした佇まいで俺を見つめていた。
顔を覆う白いベールが風に吹かれ、ゆらゆらと揺れている。
「ここまでやったんだ。異世界から脱出する方法、ちゃんと教えてくれるんだろうな」
声音を強くし、強気な態度で告げた。
俺をやる気にさせた報酬。
成功すれば異世界から出る方法を教えてくれる、という条件だ。
「……もちろん。忘れてはいないよ」
「じゃあ、教えてくれ」
「今は休息をとったほうがいいんじゃないかな、ミミゴン。大丈夫、準備が整ったら、神殿に招待するからね」
こいつ、本当に教えてくれるのか、すごく心配になってきた。
〈ここは、アヴィリオスに従っていいんじゃないですかー。ミミゴンの体は瀕死に近い状態なんですからー〉
(そうだ、ミミゴン。体を休めたほうがよい)
助手とエルドラが、口を揃えて休めと言う。
お前ら、俺を異世界から出させたくないから、そんなことを。
(ち、違うぞ、ミミゴン! つ、疲れただろう。ささ、エンタープライズに帰って宴だー!)
エルドラの拙い笑い声が脳内で反響している。
ま、こいつらの言う通りに従うか。
「アヴィリオス、約束は破らないでくれよ。絶対だからな」
「分かっています。楽しみに待っていてください。それでは」