214 魔神獣:毒空木―6
「それにしても、どうしてグレアリング城に? ここにも、宝玉があるというのですか」
「ええ、その通りよ」
乃異喪子が玉座に向かって歩き始める。
その後ろを引っ付くように、トリウムが動く。
一見、普通に見える玉座の間。
トリウムは疑問を抱きつつも、乃異に従うほかない。
彼女は黙って、堂々と玉座に近づき、辺りを詮索する。
特に、玉座の背後の壁に着目していた。
やがて、何もない壁に拳を打ちつけた。
響いてくるのは打撃の衝撃音だけ。
「総裁……?」
「かすかな反響。ここね」
そう言うや否や、いきなり壁に鉄拳を放つ。
壁は爆発するように破壊された。
反射で目を瞑ったトリウムが半目で壁を眺める。
「な、なにを……こ、これは!?」
驚くべきことに、彼女の正面に細い通路が現れていた。
破壊した壁の先には隠し通路が存在していたのだ。
何も知らなかったトリウムは隠し通路の存在に絶句していた。
グレアリングの全てを知っていたつもりなのに。
彼女は態度を変えることなく、冷静に暗い通路の奥を見つめる。
「トリウム、早く来なさい」
「……!? は、はい!」
乃異の得も言われぬ威圧で、トリウムは意識を取り戻す。
それから突き進んでいく彼女の後を必死に追った。
彼女のキビキビと歩く動作から、この先にあるものを知っているのだろう。
玉座の間からもたらされていた光が途切れ、通路は暗闇に覆われていく。
黒い衣装の乃異はとっくに闇に紛れていた。
トリウムは不安を抱えながらも、懸命に歩を進める。
やがて、かすかに煌めく青が見えてきた。
奥で彼女は壁に背を預け、トリウムを待っているようだった。
足元で、青い石が輝いている。
青色の石をヒールで押し込むと、突如地面が揺れた。
「この世界に隠された真実。それに踏み込むために必要な鍵が、下にあるの」
周囲の壁がせり上がっていき、通路は消えていった。
ふわっと浮くような感覚。
この床が昇降機になっているのだ。
壁が上へ上へと流れていくのを眺めるうちに、いつの間にか階下に到着していた。
階下にもまた、細い通路が続いていた。
だが、壁に光る鉱石が埋め込まれている。
鉱石が放つ淡い青の明かりが、通路の奥を照らしていた。
「さぁ、トリウム。奥に進みなさい」
「はい……」
コツンコツンと反響し、響き渡る足音。
この異質な空間が、まさか生まれ育ったグレアリング城にあったことに戸惑いを隠せない。
それでも乃異に、魅惑的な声で指示されたのだ。
これ以上、足を踏み入れることへの恐怖より、総裁の命令が優先された。
道筋に従い進むと、すぐに壁に阻まれる。
ここで行き止まりだ。
壁には小さなくぼみがあり、くぼみの中心に穴が空いている。
ちょうどの人の手を突っ込めるほどの穴だ。
自分の影が重なって、奥の方はよく見えない。
小さく震える手をゆっくりと持ち上げ、穴に入れる。
手首のあたりまで飲み込まれたとき、人差し指の腹を何かで刺された。
針で突き刺されたような痛みだ。
慌てて引き抜き、右手を明かりにさらして確認する。
ぷぅっと血が玉になって出ていた。
「なんなんだよ、この仕掛け……」
愚痴のように呟くと、それに呼応するかのように地響きが起こった。
トリウムの血を吸い取った壁が下に沈んでいく。
「あれは、宝玉!」
沈んでいく壁の奥に見えたのは、デザイアでも見た宝玉だった。
宝玉と呼ぶそれは、青い輝きで発光する球体だ。
ワイングラスのような土台で輝く宝玉は、法則解放党の求めるものであった。
トリウムは振り返り、彼女を呼ぶ。
「総、さ、い……?」
振り返ったそのとき、乃異の顔が横にあり、腹部を剣で刺し貫かれた。
あまりの一瞬の出来事に、脳は追いついていない。
右耳に生暖かい吐息がかかる。
「最後の務めを果たしなさい」
踏ん張りがきかず、体は前のめりに倒れる。
彼女は血の滴る短剣を消し、しゃがみ込んだ。
「な、なぜ、こんなこと、を」
「私の実験のためよ」
左手に黒い小箱を出現させ、蓋を開ける。
箱から注射器と薬液の入った瓶を取り出し、筒先を瓶に挿入した。
注射針が薬液を吸引し、筒が満たされていく。
驚くほど、落ち着いた動作で淡々と殺しにかかっている。
トリウムもなんとか足掻こうとするが、手を伸ばすだけで精一杯だった。
針先を上にして指で弾き、押し子で空気を抜く。
そして、右の三頭筋に針を突き刺し、薬液を押し込んだ。
押し込まれる薬液の不快感で、苦しそうに息を漏らす。
「おれは、あなたの理想を実現させるために……必死でついてきたのに、こんな仕打ちは……」
「父親のことが嫌いなのでしょ? これから会わせてあげるから、存分に鬱憤を晴らすといいわ」
閉じていく瞼をこじ開けるが、彼女が宝玉を手にした瞬間に意識が途絶えた。
トリウムの胸中で渦巻く無念が自分を蝕む。
法則解放党についていけば、この世界を無茶苦茶にしてくれる。
父親に自分の力を思い知らせてやりたい。
父親との思い出を忘れて、俺はやり直したいんだ。
俺は、おれは、お、れ、は……。
『認められたいのだろう、トリウム』
「と、父さん!?」
魔神獣に意識を奪われていたトリウムの耳に、リーブの声が聞こえた。
薄れゆく意識で懸命に声の出どころを探る。
「なんだ、幻聴か……」
トリウムは魔神獣と同化していく状態に抗えないでいた。
薄っすらとだが、自分がどういった姿をしていて、外では何が起こっているかを認識していた。
「俺は皆を、父を、この手で……殺そうとした。このまま、元に戻れたとしても絶対に許してもらえないだろうな」
自我が沈んでいくたび、生きているという実感が弱くなっていく。
「誰でもいい……はやく、俺を殺してくれ。もう、嫌だ……」
毒空木は大陸に蓄えられたエネルギーを根っこから吸収している。
どんどんと強力になっていく魔神獣。
止めたいと思っても、何もできない苦痛がトリウムを襲う。
「もうやめてくれ! 俺を殺してくれ! 殺してくれ! 俺を死なせてくれよ!」
『ダメだ! お前を絶対に生かしてやる! 償わないまま、死なせるものか! トリウム!』
確かに今、ハッキリとリーブの声が聞こえた。
幻聴ではない。
失われていく自我は、その声を捉えようと耳をすませた。
『今、お前が死んでも、この魔神獣は残り続ける。魔神獣を止めるためにも、お前は生にしがみつくんだ!』
「どうせ、俺なんて死んだほうがいいと思ってるんだろ! こんな放蕩息子のこと、放っておけよ!」
『放っておけ、だと? そうやって逃げる気か! 親の心子知らずで、まかり通ると思うなよ!』
「え……?」
『お前のことを死んでほしいなんて思ってたら、魔神獣になる前に殺していた! リーブは冷徹な男だからな。厄介事になる前に、始末をつけたはずだ。だけどよ、駆け寄って、お前を心配して、グレアリングに必ず帰ると……そう言ったじゃねぇか! 認められたいくせに、逃げて聞かなかったことにしてんじゃねぇよ!』
深い水底から上を見上げると、人影がこちらに手を伸ばしていた。
トリウムの父、リーブの姿だった。
『生きろ! 生きて帰るんだ! 生きて、リーブに見せつけてやるんだ! 子の心親知らず、ってところをな! 成長しろ、トリウムー!』
「とうさん……」
トリウムは父の差し出す手に向かって、腕を伸ばした。
リーブはその手をぎゅっと握って、引っ張り上げる。
『さぁ、帰るぞ。グレアリングにな』
「……うん」