199 ドラコーニブス・アルフェッカ―6
アルフェッカは六星の祠を踏破し、土星の加護を受けていた。
六星の加護を得た者は身体能力の向上に加え、特別な六星スキルを使用することができる。
彼女の加護は土星。
対象の能力全体を弱体化させる『健弱』が使用できる。
『健弱』に魔力を注げば注ぐほど、相手は弱体化の効果が増していく。
先程、メリディスの太刀を簡単に弾いたのも『健弱』によるものだった。
どれほど破壊力を持ったスキルであろうと使用者自身が弱ければ、スキルも弱い。
なんとか立ち上がったアルティアは、アルフェッカを凝視する。
「どこまでも力を追い求めた、というのですね」
「覇道を突き進むなら、力は必要だ。これで把握できただろう。アルティアには、私を止める力はない」
アルフェッカの言葉が、アルティアの心に刺さる。
メリディスが決死になって獲得した火星の加護。
ミミゴンが、アルティアたちに託した希望。
三人で、ここまで来た尽力。
それら全てが一瞬で否定されたように感じた。
これまでの努力が無駄だったのではないかという疑心が、アルティアに募る。
「私には、力が足りなかったというのですか」
「アルティア、メリディス、ミミゴン……たった三人に結構、苦戦させられたよ。この事実だけで、もう十分ではないか」
アルフェッカの声音が優しくなる。
言葉で諦観させ、アルティアの戦意を削いでいくつもりなのだ。
「結果は、終わりまで分からないものだ。過程の段階で正しい、正しくないを議論しても無意味なのだ。我が妹、アルティアなら納得してくれるはずだ」
「アル……フェッカ……」
「メリディス……!」
紫の軍服は汚れ、破れが酷い。
破れた箇所は血が滲み、黒くなっている。
見上げた顔についた血と痣がより一層、死闘を物語っていた。
体力はほぼ限界寸前。
だというのに、メリディスは気力を振り絞って立ち上がる。
アルティアは傷ついた友人を直視できず、紫の軍服に視線を向けた。
「まだ、餞別が欲しいのか?」
剣を斜めにして、メリディスを斬った刃を見せつける。
「アルティア様は、いつだって人を救ってきた。他人を一番に考え、決して偉ぶることはなく、皆を助けてきた。神都ユニヴェルスには、アルティア様に救われた者たちが大勢だ。その大勢は皆揃って、アルティア様に感謝している。アルティア様には、人を救ってきた事実がある」
「口を慎め、敗残者よ」
「黙れ、アルフェッカ。結果は終わりまで分からないとしても、貴様の行いが世界にとって良くないことをしているのは明らかだ。どう転んでも、悪い結果にしかならない世界になる」
「口を慎め、と言った。政治の分からぬ貴女が言っても、何も響かない」
「アルティア様は、どんな者の言葉にも耳を傾ける。今の貴様に、為政者は務まらない。いったい、何の努力をしてきたというのだ」
メリディスの言葉を切るように、双剣を振った。
「私の努力を、貴女ごときに否定できるものか! 商人狩りをしていた貴女に、私の努力など理解できないだろう! 私がどれだけ……父に認められるため、尽力してきたと思っているのだ!」
アルフェッカは、メリディス目掛けて駆け出した。
湧き出る怒りに身を任せる。
対するメリディスは疲弊の表情を浮かべ、立ち尽くしていた。
遂に、アルフェッカは双剣を振りかぶり、メリディスを上から襲う。
そのとき、リフトの方から声と同時に何かが、メリディスのもとへと飛んでいった。
「オレの刀を使え! メリディス!」
空中で回転するのは、ウラヌスの愛刀『天征服刀』だ。
メリディスの左手が刀を掴むと、振り下ろされる双刃に向かって抜き放った。
打ち合った刀は頭に響く金属音が鳴り、鍔迫り合いとなる。
アルフェッカはリフトに顔だけを向け、ウラヌスを問いただす。
「ウラヌス……これは、どういうことだ?」
立っているのもやっとの状態で、ウラヌスは答える。
「閣下の言う世界は素晴らしいと思っている。だが、アルティア殿下の言う世界も見てみたくなった。殿下の必死な姿を見て、共感したんだ」
「……共感した? 最高司令官の意志に背いて、何が共感した、だ。卿が情に絆されるとはな。見損なったぞ」
「絆されたんじゃない。気づいたんだよ。閣下の行いは、デザイア帝国のためにならないとな!」
意表を突かれたアルフェッカは油断して、メリディスからほんの少し気をそらしてしまった。
一瞬の隙を逃さず、メリディスは刀に余力を尽くし、押し返す。
浮き上がるように体勢が崩れるのを見て、すかさず袈裟斬りを放った。
刃は皮膚を抜け、肉を切る。
切っ先が浅く入ったため、ダメージはそれほどしか与えていないものの、動揺させるには十分だった。
「ぐっ、私は……私はまだ、諦めるわけにはいかない。責務を全うしなければ。ドラコーニブス家の竜人として、絶対に」
片手の剣を、メリディスの顔に突きつける。
狂気じみた憎悪が顔に現れていた。
自分の意思が理解できない周りを憎んでいる。
もはや執念深さのみで、責務を全うしようとしていた。
唐突に響き渡る甲高い音。
メリディスの手から離れた刀が床で跳ねる。
とうとう『龍化』が解けてしまい、立つことすらできなくなってしまった。
ウラヌスは思わず、叫ぶ。
「メリディス!」
「今なら……!」
剣を持ち上げ、アルフェッカはよろめきながらも身体を動かした。
間合いに入ると、横になっている頭部に狙いを定める。
剣先で抉るつもりなのだ。
一呼吸して、掲げた剣を振り下ろす。
これで止めを刺す。
「……!? アル……ティア……!」
アルティアが腕を広げ、仁王立ちになってメリディスを庇った。
剣はアルティアの左肩で止まる。
認識が遅れたため、肩の肉を少しばかり断ち切っている。
苦痛の表情を浮かべながらも、アルティアはアルフェッカを見据えた。
「もう……終わりにしましょう! お姉様!」
わなわなと震える手で、裂いた肩から剣を抜いていく。
小刻みに震える双剣を、ゆっくりと足元に向けていった。
刃の血が滴り、剣先で雫となって落ちる。
アルティアを斬ってしまったという事実に、アルフェッカはひどく後悔した。
己の心を何度も責める。
「私の、邪魔を、したからだ……」
「許します。だから、話し合いましょう」
気弱な言い訳に、アルティアは迷うことなく即答した。
意想外な即答をされ、妹の顔色をおずおずと窺う。
面様は素直に笑っていた。
「もう、家族で争わなくてもいいように……話をして、解決しましょう」
「話、か」
アルフェッカの性格は回りくどいことを避け、武力で主張を押し通してきた。
その方が手っ取り早く、展開が進むからだ。
無駄話は、何も生まない。
ただ、時間を浪費していくだけ。
長々しい説教が嫌いなアルフェッカにとって、話をするというのは落ち着かない気持ちにさせた。
だが、相手は愛しい妹だ。
それに、ついさっきは傷つけてしまった。
罪悪感に責められ、アルティアに耳を傾けることにする。
「お姉様……剣を持っていては落ち着いて話ができません。ですから……」
そう言って、アルティアは右手に握っていた白銀の剣をパッと手放した。
カンと大きく鳴り響いて、白銀の剣は床に倒れる。
「双剣を離してくれませんか?」
相手を刺激しない柔らかい口振りで、アルフェッカに声をかける。
苦悩を伴う決断の末、双剣を手放すことにした。
すくい上げた水を指先から流すように、穏やかに力を抜いて、剣を落とす。
剣と床が奏でる衝撃音が二度、響き渡る。
「お父様から伝言を預かっています」
「伝言……」
「我が娘よ、心から愛している。私たちの父親は、アルファルドだ、と」
「皇帝、陛下……が」
「“お父様”が、です」
「…………」
今の皇帝陛下を父として見てほしい。
アルファルドの想いが、アルティアを通して伝えられた。
アルフェッカは脳内で葛藤する。
「……私に直接、言いに来ればいい。そんなこともできないで、父親だと名乗るのか」
「こうなったのは、お姉様の行いによるものです。自らを苦しめているのは、自らの招いた結果ですよ」
「厳しい言葉だが……そうだな」
「お願いです。帝国軍を今すぐ、止めてください!」
必死に声を張り上げ、姉に訴える。
武器を捨て、妹と向き合ったアルフェッカだが、訴えに対して頷くことはなかった。
やや間をおいて、口を開く。
「ここまで進軍した以上、今更止まるわけにはいかない。私と同様、戦争に命を懸けてきた者に申し訳が立たない。彼らは報われるべきなのだ」
「全てが終わってからでは、遅いのです! 終戦になることが、私たち皆の希望なのです!」
「祖父の代から託されてきた戦争だ。ドラコーニブス家の竜人として、無下にすることはできない。これは私の責務だ」
何度も首を振って、姉の言葉を否定する。
「違います! お姉様の責務ではありません! デザイアリング戦争は、両国の無意義な諍いから始まった戦。どちらの種族が世界に貢献できるか、という話から、やがて種族差別に発展し、戦火を交えるようになっていった。こんな……無益な戦争は終わらせるべきです!」
「無益ではない! このまま終戦して、人間と分かり合えるのか? 勝てないからと、卑怯な手を考えているのだ」
「分かり合えます。私たちが歩み寄り、友好を訴えかけるのです。最初は上手くいかないかもしれません。根付いた差別を除くには時間が必要でしょう。でも、今やるべきなのです」
「グレアリングも戦を望んでいるはずだ」
「お父様が裏で、グレアリング王と関係を築いています。すぐに修好できるはずです」
アルフェッカの視線があちこちをさまよう。
戦争を推し進める糸口を見出そうとするが、混濁する脳内では見つけられなかった。
思考する最中も、アルファルドの面影、ステラの面影がちらつき、決断に躊躇している。
次第に、自分の孤独さを認識した。
独り善がりな言動が自分を追い詰めたのか。
思い詰めてもなお、アルフェッカは主張を貫いた。
主張の威力は弱まっても、小心な口が勝手に話し出す。
「200年築き上げてきた戦争を、私の一声で終わるものなのか」
「終わります。私とお父様、グレアリング王、ミミゴン王が付いていますから」
「私を咎める者が現れるだろう……」
「確かに、犯した過ちを責める者はいるでしょう。ですが、すぐに気づいてくれるはずです。お姉様がいなければ、終戦を迎えることはなかったと。認めてくれます、お姉様の勇姿を」
「……父は、私に会いたくなんかないはずだ」
「だったら、お父様は私に伝言を預けないでしょう。終戦の宣言をして、会えばよろしいのです。下で待っています」
堂々と発言するアルティアを見て、アルフェッカはゆっくりと下に視線を落とす。
視界の隅に映る双剣。
剣先にできている血溜まり。
私は、どうすれば。
どのような選択をすれば。
いきなり、モルスケルタが震動した。
直後、壁面を走る赤い光が薄くなっていく。
「な、何事だ!」
アルフェッカが発令所の一段にある制御室に問いかける。
アルフェッカとアルティアたちの戦いに巻き込まれないよう、制御室に隠れていた兵士たちがじたばたと動き始める。
発令所の上を覆うモニターに変化が生じていた。
画面は、両軍とも止まった光景を映し出している。
訝しむアルフェッカの耳に、兵士の声が入った。
「機関出力、低下! モルスケルタが機能を停止しました! 原動機に異変あり!」
「原動機だと?」
アルティアとウラヌスは現状の把握に努めていた。
アルフェッカは焦燥感がにじみ、汗が一滴流れる。
原動機に起きた異変。
その原因は奥の通路から歩いてくる人物を見て、すぐに判明する。
「貴殿は……」
姉の見張る目を見て、アルティアが後ろに振り向く。
そこに立っていたのは。
「ミミゴン……様?」
「これでモルスケルタは移動すら、できなくなったようだな。ふぅ……」
人影が徐々にあらわになり、形が明白になる。
通路を歩くのは、一人の竜人だった。
帝国軍の装備を身につけた、そこらにいる兵士と同じ容姿。
だが、彼は予想外なものを抱えていた。
それでようやく疑惑が確信に変わる。
「ミリミリ! ミミゴン、貴殿が……勝ったのか」
「頼みの綱である大魔法使いと巨大魔導兵器は戦意喪失に陥った。アルフェッカ……勝算がなくなった今でも、まだ戦争を続けるつもりか」
ミミゴンは歯に衣着せぬ物言いで、アルフェッカに言葉を轟かせた。
アルティアたちが優位に立てた瞬間である。