197 ドラコーニブス・アルフェッカ―4
皇帝宮上層にある執政官執務室で、アルフェッカはじっと考え込んでいた。
窓から見える元老院を見下ろしながら、顎を指でさする。
真歴1000年、アルフェッカは36歳となっていた。
私は帝位に相応しい人物だと認めてもらわなければならない。
父からの称賛が……私には必要なのだ。
亡くなったお母様のために、皇帝であるお父様のために、愛すべき妹のために。
ドラコーニブス家のために、デザイア帝国のために。
称賛が、褒賞が私には。
「そうです、皇帝陛下からの絶賛が必要なんですよ」
「……!? ジオーブか」
執務室のドアにもたれていたジオーブが手を振る。
最近、六星騎士長に加わった木星の加護を受けた竜人だ。
他の六星騎士長と比べて、特に目立った点はない。
だが、着実に任務をこなし、情報量には自信があった。
変わった点として、ジオーブは決して兜を外さなかった。
頭全体を覆う兜を、どんなときも装着している。
「閣下は皇帝の資質を既に備えております。あとは皇帝陛下の目を引くことが肝心。となると」
ジオーブは執務室の中央まで移動する。
「デザイアリング戦争への参画。閣下が積極的に関われば、皇帝陛下は必ず注目することでしょう。いかがでしょう?」
「的を射た提案だが、私の持つ力ではそこまで活躍できないだろう。まず、軍を従える権力はない」
「帝国軍に関わる道理が必要、とのことでしょうか」
アルファルドから反感を買うようなことはしたくない。
褒められることとは逆のことだからだ。
現在、アルフェッカは高位にある。
多少、強引なことをすれば、軍だろうが元老院だろうが操ることはできるのだ。
だが、正々堂々を良しとするアルフェッカは決してそのような行為を実行したことはない。
ジオーブは窓を見つめるアルフェッカの背後に立つ。
「戦争全体を揺るがすほどの力を所持したとすれば、どうでしょう」
「面白い意見だ。だが、理想で語れるほど容易いものではない。賢明な卿が、稚拙な提言をすることはないと思っていたが」
「ええ、ですからこうして現実を報告しに来たわけです。東のユープロテス山脈にて、一種異様なものを発見しました」
「ほう」
麓を出発して、雪で覆われた山を登る。
アルフェッカ、ジオーブの他に兵士が三人。
デザイア領にある山脈の中では高度の低いユープロテス山脈だが、これまで特に注目されてきたことはない。
登山するのは、帝国軍の兵士による訓練の時ぐらいだろう。
ジオーブは周辺地域の調査を担当しているが、毎年「特になし」という報告で終わっていた。
これまでも、ここの調査はいい加減に済まされた。
だというのに、ジオーブが何かを発見する。
アルフェッカは怪しみ、「一種異様なもの」を想像したが遂には答にたどり着けなかった。
登山をして三十分。
「閣下、こちらです」
そう言って、ジオーブは山の壁面に手を向ける。
現在地はユープロテス山脈の中腹あたり。
ジオーブは突然、山道の途中で歩みを止めて、右を指差したのだった。
見た目はなんてことのない岩肌。
積雪が点々とあるぐらいで、他の壁と同じである。
いきなり、何を言い出したのかとジオーブを訝しむ。
「傾斜がどうかしたのか?」
「触れてみてください。私の説明よりも、触れたほうが理解できるでしょう」
灰の仮面の下で、どのような表情をしているだろうか。
顔を見ることができないのは、為政者にとって恐怖でしかない。
神都ユニヴェルスの教皇も顔を隠していたことを、アルフェッカは思い出す。
それはともかく、アルフェッカは壁面に手を添えてみた。
そして、指先が雪に埋もれて岩肌に触れた……かと思いきや、更に指が入っていく。
とうとう、右手が斜面に飲み込まれた。
改めて、地層を眺める。
「これは、いったい」
「閣下。それより奥へ、お進みください。大丈夫です、中の安全は確保しております……どうぞ」
ジオーブは先に進むよう、手で促す。
仕方なく、アルフェッカは前へと慎重に足を運んだ。
皇帝宮の玉座の間を歩む感覚だ。
アルフェッカの全身が山脈に吸い込まれていった。
壁の向こうには細い洞穴が続いていた。
外から冷風が吹き込み、背中の熱を奪っていく。
アルフェッカは壁に指を這わせながら、奥に進む。
洞穴ということは中は暗闇のはずだが、最奥から青く淡い光が輝いていた。
通路をほのかに明るくする。
「……人が、閉じ込められている?」
最奥には、青水晶の円柱が立っていた。
柱は地面から天井まで伸びており、幅も大きい。
先程から見えていた青色の輝きは、この柱が放っていた。
だが、注目すべきは柱だけではない。
柱の中央に、少女が囚われていた。
アルフェッカは近づき、柱に触れる。
透き通るような爽涼が、手のひらに伝わった。
「生きている。なんて神々しさだ。ジオーブ、この娘は何者だ?」
「特定するためには、少女を外に連れ出すしかありません。いかがなさいます、閣下?」
「…………」
ジオーブからの問いかけには答えず、アルフェッカは少女を見つめる。
名も知らぬ囚われの少女に目を釘付けにされた。
少女は黒いローブを身にまとい、ツインテールの銀髪。
背は低く、年端も行かない。
しかし、幼女と表現するには畏れ多いように思えた。
天が遣わせた神聖な魔法使い。
それが、アルフェッカの抱いた第一印象だ。
少女の目は閉じた状態であり、喜怒哀楽の無い表情を浮かべていた。
「その心……怒りを感じる。力を求める心だ。私と同じ……無力を嘆く心をしているな」
「少女の心ですか? 何もないように思えますが」
「……私も力が欲しい。お父様に認められる力が……欲しい」
突然、青水晶の輝きが増した。
まるで想いに共感したように反応した。
アルフェッカは驚いて、距離を置く。
やや間があった後、青水晶は粒子となって消えていった。
中の少女は浮遊して、静かに地に足をつけた。
そのまま、前に倒れ込んだ。
即座に、アルフェッカは駆け寄り、抱きかかえる。
「大丈夫か?」
「……あ」
少女が瞼を開く。
「あなたは……?」
「ドラコーニブス・アルフェッカだ。君は?」
「……わすれた。何もかも全部、忘れた」
そう言い終わると同時に、少女は目を閉じた。
十分に気力が回復しておらず、喋ることもままならなかった。
アルフェッカは少女を抱き上げる。
「ジオーブ、撤収だ。帰るぞ」
さっさと洞穴から出ていった。
ジオーブは困って肩を竦め、アルフェッカの後ろを追いかけた。
「ねぇ、ケーキ食べてもいい?」
「ああ、もちろんだ」
テーブルの上のケーキを、ミリミリの方へと寄せる。
するとミリミリはフォークで刺して、口に頬張った。
もごもごと頬を揺らして、幸せな表情で味わっている。
アルフェッカは報告に来たジオーブに向き直る。
「ミリミリ・メートルの名は古い文献に記されていました。千年ほど前、世界各地を恐怖に陥れた大魔法使い、のようです。魔法は国を滅ぼし、火の海にした、と。おそらく、究極魔法によるものではないかと」
「前ノヴァテーラ時代の存在か……面白い」
食べ終わったミリミリは執務室の角で、杖を取り出し、先端部分を布で磨いている。
少女の名前は、杖の柄に刻印されていた。
ミリミリ・メートル。
「服も調べたところ、前ノヴァテーラ時代の植物でできた繊維でした。間違いなく、最強の大魔法使いミリミリ・メートルでしょう」
「ご苦労、ジオーブ」
ジオーブは一礼して、退出する。
ドアが閉まりきったのを確認して、兜の裏でほくそ笑んだ。
「アルフェッカを全力で応援してやるさ。ドラコーニブス家を潰すためにな」
硬い鉄の靴を規則正しくタイルの上で響かせながら、独り言をぶつぶつと呟く。
理論を一つ一つ構築・整理する科学者のように。
「やれることはやって、我慢する。これがいつまで続くんだろうなぁ。忍耐をすればするほど、報いは確かなものとなる……らしいが、果たして本当なのか。いいだろう、僕が証明してみせるさ。終わるまで忍耐強く待っててやるよ」