エンタープライズ:異形の訪問者―1
傭兵派遣会社との激闘から、一週間が経過しようとしていた。
一週間は長いが、感覚としては短いものだ。
エンタープライズに貯められた日用品は徐々に減りつつある。
仕入れるにしても、エンタープライズお抱えの商人クワトロが弱音を吐いていた。
新都リライズの崩壊、戦争ビジネスの変化に伴って、色々と不祥事が生じた。
おまけに、デザイアリング戦争も過渡期を迎えたため、世界全体が慌ただしくなったのだ。
となると、正常に稼働している場所が少なくなり、商人はまともに働くことができなくなった。
「ニコシアさんよぉ、無理なもんは無理だって」
「あなた、メルクリウス家の商人でしょう? 名家なら、大量に仕入れることができるでしょ」
エンタープライズ城の前で、クワトロとメイドのニコシアが揉めていた。
ニコシアの周りには他のメイドも立って、クワトロを威圧している。
商人のプロとして誇りを掲げていたはずのクワトロもたじろいでいた。
背後に立つ召喚獣キャリーも怯えて、顔を背けている。
エンタープライズも切羽詰っていた。
食材と物資が減る一方で、満足な生活ができるのももって三日といったところだった。
クワトロは両手を上げて、降参を表していたがメイドの勢いは収まらない。
「おれさぁ、実を言うとメルクリウス商会から破門されている身でな。商会の輸入ルートが使えなくてな。これまでは非正規ルートで商会のものを仕入れてたけど、今はこういう情勢だしな。使えなくなったのよ。すまん」
「なにやってるんですか! 破門された!? すまん、じゃないですよ!」
「あははは……うん、笑えないよね」
エンタープライズ国防軍もまた、傭兵派遣会社との戦いが響いていた。
軽い負傷ならば、三日程度で復帰できたのだが、重傷を負った兵士は今も寝ている。
重傷の兵士は少ないが、全体の士気は低下していた。
もともとの人数が少ないぶん、結びつきが強くなる。
そのため、訓練している兵士は頭の片隅で重傷の兵士を案じていた。
エンタープライズ城前で、剣の素振りをしている兵士や試合をしている者たちがいる。
試合をしていた兵士の一人が槍を弾き飛ばされた。
槍は空中を回転しながら舞い、指南役であるラヴファーストの足元に突き刺さった。
兵士は顔を真っ青にさせ、目がかっ開く。
「リアム……矛先が乱れたため、全身に力が入らず、飛ばされたのだ」
「は、はい!」
ラヴファーストは突き刺さった槍を引き抜く。
次に、槍を軽くもてあそび、やがて曲芸を披露した。
持ち手を替えながら、槍を回転させ、ピタッと止めると何もない空間に向かって、神速の一閃を放つ。
すると暴れ狂う龍の如く風は吹きすさび、衝撃は明後日の方向へと飛んでいった。
周囲の兵士は皆、ラヴファーストの軽業に見惚れていた。
クワトロやメイドも例外ではない。
ここにいる者は、ラヴファーストへの憧憬と共に疑問を抱く。
生真面目で鬼教官と思っている彼が一芸を披露してくれた。
兵士は、そのことに眉をひそめている。
リアムに、槍が渡された。
「武器と心を通わせろ。幻想的な話に聞こえるが、使い続けるうちに理解できるはずだ。武器と心がつながれば、先程の一芸もできるようになるはずだ」
「はい、ありがとうございます! ラヴファースト様!」
「それと、あいつらのことで悩むのは終わりだ」
あいつら、とは重傷の兵士のことだろうと、リアムは察する。
「いいか。あれほど激しい戦場において、全員生還したのは奇跡だ。俺は何度も戦争を体験し、何度も兵士が死ぬのを見てきた。彼らが死ななかったことに感謝して、あとはメイドたちに任せろ。お前たちは兵士だ。訓練と戦場では戦いのことだけに集中しろ。これは強くなり、生き残るためだ。いいな?」
「はい! ラヴファースト様!」
リアムは敬礼し、ラヴファーストの言葉に理解を示した。
自分は兵士だと自覚したのだ。
他の兵士もまた腑に落ちたようで、各自気を引き締めたのであった。
「ったく、なぜワシが書類仕事などせにゃならんのだ!」
垂らした文句は『エンタープライズ情報調査管理本部』――通称『EIHQ』のあるフロア全体に響いている。
これを聞かされ続けている職員は苦い顔をしながら、作業を進めていた。
声の主はEIHQの管理者オルフォードである。
全身が白毛で覆われており、小さな服からはみ出るほどである。
小柄な老人は自分の椅子でゆらゆらと揺れながら、紙に目を通す。
「どうして、EIHQの職員がリライズ復興に駆り出されるのじゃ」
「オルフォード様……いい加減、作業を進めてくださいよ。あとがつっかえているんですって」
「っだぁー! うるさいぞ、ニトル。これからやろうと思っておったところじゃ! 言われたら、やる気がなくなるわい!」
「子どもですか!」
見事に、ブーメラン効果が働いたため、オルフォードは机に書類を叩きつけた。
不服そうに眉をしかめ、椅子にもたれる。
目撃していた職員は呆れ果てた。
ため息を漏らしたニトルは抱きかかえていた書類の山を机に置き、ノートパソコンと書類を交互に睨み合った。
世界各地に派遣されたEIHQの職員から魔物の調査結果や土地の様子といった内容を書類で送られてくる。
エンタープライズにいる職員はそれらをまとめ、様々なことに活用しているのだった。
EIHQの職員で唯一オルフォードに刃向かえるニトルは目の下に黒い隈をつくりながら、キーボードに指を走らせる。
オルフォードは積まれた書類の間から、ニトルを見つめた。
「お主は休んだほうがよいぞ。そんな顔して、働いてほしくないわい」
「僕にできることは、これぐらいしかないんです。僕は戦いが怖い。死にたくないって、いつも思っています。国防軍の兵士は命をかけているんです。僕も命をかけるくらい頑張らないと」
見かねたオルフォードはひょいと椅子から降りて、ニトルの脇腹を杖で突いた。
突かれたニトルは変な声を上げて、飛び上がる。
「な、なにするんですか!?」
「お主の仕事、ワシがやろう」
「え、でも」
「代わりに、頼みがある。外に出て、エンタープライズ周辺の魔物を調査してこい」
ニトルの脳内で、クエスチョンが踊る。
「既に調査結果を作成していましたよね。確か、このあたりに」
「調査は何回もするんじゃ! それに迷いの森は調査不足じゃ。さあ、行って来い!」
「は、はいー!」
オルフォードに追い出されるようにして退出したニトルは怒るでもなく、むしろ楽しそうに微笑していた。
リーダーの心遣いを感じたからだ。
人の理を外れた者とはいえ、同じ人である。
気難しいように見えるオルフォードにも、他者を気遣う心がある。
それを感じ取ったニトルは任された調査に張り切った。
再び、エンタープライズ城前。
城の前には平原が広がっており、緑の草地が風になびいている。
迷いの森へと走るニトルは道中で、ある人物を見つけた。
走り寄りながら、声を上げる。
「マトカリアさん!」
「ニトルさんだ! おーい!」
マトカリアが手を大きく振る。
直後、マトカリアの側に灰色の猫がパッと出現した。
「ゼゼヒヒさん!」
「オルフォードのところの調査員ではないか。何やら急ぎの用に見えるが」
「いえ、急ぎではないですよ。ちょっとはしゃいでいるだけです。それより、マトカリアさんたちはどちらに行かれていたのですか?」
「迷いの森です。調合用の素材が欲しくて」
「そうだったのですか。では、また!」
ニトルは颯爽と走り去っていった。
その後姿に、マトカリアは手を振る。
とことこと歩くゼゼヒヒは呆れたような口調で呟く。
「忙しないやつだ。おおかた、オルフォードに調査でも命じられたのだろう。さあ、帰るぞ」
「はいはい。ご飯が楽しみだね」
「吾輩の大好物が献立にあったな。楽しみだ」
晩ごはんを想像するゼゼヒヒの口角から涎が垂れている。
話半分に聞いていたマトカリアは曖昧に返事をしながら、帰路についた。
太陽が頂上に差し掛かった時刻。
マトカリアがちょうど、エンタープライズ城前に戻ったとき、一人の来客があった。
「いやぁ、直接見ると圧倒されるね……この城」
ふと背中から聞こえてきた声に、マトカリアはピクンと反応する。
ゼゼヒヒも尻を叩かれたときのように目を丸くした。
おそるおそる彼女は振り返り、妙に色っぽい男声を放った人物の顔を覗く。
「あのぉ、旅人さん……です……か?」
旅人と思しき者を見つめるうちに、語尾が弱まっていった。
ゼゼヒヒも見上げて、旅人の顔を認識しようとしたが。
その瞬間、眉が痙攣し、逃げるようにしてマトカリアの脚に隠れた。
しばらく、両者の間で会話がなされることはなかった。
聞こえてくるのは兵士の張り上げる声、メイドたちとクワトロの声。
時折、混ざって聞こえてくるのはラヴファーストの教えと、仲介に入るアイソトープの交渉だ。
マトカリアはじっと、旅人の顔を眺める。
いや……見慣れぬ旅人を警戒した。
「あなた……誰、ですか」
「……いえ、怪しい者じゃないですよ。ちょっと忠告しにきただけです」
「忠こ……」
「――『魔神気』」
マトカリアが呟き終わる前に、旅人が全身から邪気を放出した。
放出した途端、エンタープライズにいる者全てが旅人を凝視し、戒心する。
突然のことだというのに、息を合わせたように全員が旅人を警戒したのだ。
飲み込もうとした唾が喉で止まる。
マトカリアが忍び足で一歩後ろに退いたと同時に、アイソトープが『ワープ』で自分の足元へと移動させた。
「あ、ありがとうございます……」
避難させてくれたアイソトープに感謝を伝えるが、マトカリアに一瞥もくれない。
それほどに用心すべき相手なのだ。
エンタープライズ城からEIHQの職員や拠点開発研究所のドワーフたちが流れ出てきた。
「エンタープライズ総出で出迎えてくれるとは、ね」
不敵な声を空間の認識を歪ませる。
戦闘の雰囲気をかき混ぜ、朧げにさせる声質だ。
ラヴファーストは矢面に立って、長刀の先を旅人の鼻先に突きつける。
「その気、その臭い……貴様、人ではないな」