星光が瞬く帝国―1
「行ってしまわれたな」
アレクサンド都市長が窓の外を眺めて、しみじみと呟く。
皇帝アルファルドもアルティアを見送るため、外を見つめていた。
「平和を願う優しい性格だというのに、勇ましく行動する。母親譲りの性分だな」
「ステラの血を継いでいるということだ」
「それに対して、陛下の血は薄いようですな」
「ふっ、武の力強さが娘に表れているだろう。我の血ではないか」
都市長は、その通りだと笑う。
「ステラ皇后が生きておられたら、このような様にはなっていなかったでしょう」
「……ああ。だが、我はまだ戦争を続けようとしていただろう。ステラの死で、我は穏健派となったのだからな」
真歴963年、ドラコーニブス・アルファルドはデザイア帝国第19代皇帝に即位した。
先代の皇帝が急逝したことや、姉が夭折していたことが重なり、王統を継ぐ者はアルファルドしかいなかった。
齢45となって、彼は一国の王となったのである。
即位後、武人の彼は戦争において一切の容赦を見せなくなった。
グレアリング領の侵略を推し進め、過激な政策も執るようになる。
全ては父から受け継いだ戦争を勝利させるためだ。
即位から一年が経とうとしていたある日、アルファルドは配偶者選びのため、宴を開催した。
宴会にはアルファルドの妃になろうと貴族や元老院議員の娘が立候補者として、50人ほど招かれていた。
妃候補は皆若く、綺麗なお召し物や上品な言葉遣いを身に着けて、宴会に臨んでいた。
いざ宴が始まり、各候補者がアルファルドに挨拶をしていた最中、突然会場の扉が大きな音を響かせて開いた。
場に似つかわしくない音が、会場を一瞬で沈黙させる。
入ってきたのは、竜人の女ただ一人。
薄汚い衣服を着て、髪は乱れている。
誰がどう見ても、妃候補として認識できなかった。
だが、次の瞬間、彼女を見て、すぐに何者かを認識できた。
よく研がれた短剣を腰から取り出すと、それを構えて、アルファルドのもとへと駆けだした。
奥の玉座に腰を下ろしていた皇帝は、すぐに立ち上がる。
同時に、隣で控えていた六星騎士長スイセイが、剣の柄に手を持っていく。
背中に納まっている大剣をいつでも引き抜けるように、態勢を整えていた。
周りの竜人は驚きのあまり、腰が引けて動けなくなっている。
少女の放つ殺気が、周囲を打ち負かしていた。
皇帝に危険が迫っているというのに、兵士は一歩も進んでいない。
できたことといえば、剣を構えただけ。
たった一人の女に、会場は圧倒されていたのだ。
「ドラコーニブス・アルファルド! 今ここで、刺し殺してやる!」
女は剣先をアルファルドに向けて、一気に加速した。
それにより、殺気が更に色濃くなる。
にもかかわらず、標的であるアルファルドは全く動じていなかった。
驚くべきことに、アルファルドは自分から女に向かって歩き出したのだ。
思わず、スイセイが声を上げる。
「陛下!?」
「村の仇だ!」
瞬く間に、アルファルドは短剣で刺された。
足元に鮮血が滴り落ち、血だまりが広がっていく。
真横で目撃した妃候補の一人が悲鳴を上げる。
それにつられて、他も絶叫し、何人かは会場を飛び出していった。
アルファルドはじっとその場に立ち尽くし、女は力が吸い取られたように倒れこんだ。
そこで意識がハッキリとしたスイセイは、兵士に叫んだ。
「何をしている! 女を捕らえろ!」
命令された途端、人形に魂が吹き込まれたように迅速な行動を起こした。
兵士四人が女をアルファルドから引き離し、両腕を掴んで拘束する。
女は特に抵抗する様子もなく、静かに涙を流した。
スイセイはアルファルドの側に立つと、兵士に向かって怒りと苛立ちを含んだ声で叱責した。
「襲撃者の近くにいながら、何という様だ!」
怒鳴り声が轟いた後、スイセイは皇帝を確認した。
「陛下……!」
スイセイはてっきり腹を刺し抜かれたとばかり思っていたが、皇帝は女の短剣を左手で掴んでいた。
そのため、手のひらから流血するだけにとどまり、命に別状はなかった。
アルファルドはおもむろに、スイセイへ血塗れの短剣を手渡す。
「……預かっていろ」
「すぐに手当てをしなければ」
「ふん、構うな。それよりも、この女だ」
女が顔を上げる。
目鼻立ちのきりっとした端麗な顔だが、煤けていることや傷だらけで魅力が薄れていた。
アルファルドは自分を睨みつけてくる瞳に対して、鋭く威圧をかけるような目で睨み返す。
それでも、女は怯まない。
スイセイが、兵士に命令を出す。
「陛下を急襲した女を、この場で処刑する。剣を抜け」
命じられた兵士が鞘から剣を抜き放つ。
天井に吊るされている豪華な集合灯の炎が、白刃の鏡で踊っている。
この淀み一つない透き通るような剣が、これからに血に染まろうとしていた。
他の兵士は刑が執行されるまで、女の腕をしっかりと掴んでいる。
剣を抜いた兵士がゆっくりと、その女の横に移動する。
まさか、自分が女の首を撥ねる仕事をする羽目になるとは到底思っていなかっただろう。
横に立って、兵士が剣を持ち上げる。
矢を装填したボウガンのように身じろぎせず構えて、女の首を狙いすました。
スイセイが命じる。
「裁け」
兵士は目を閉ざし、剣を振り下ろした。
「待て!」
刃が襟首の上で止まる。
怒号は閉じていた目を見開かせ、剣を空中に留めた。
スイセイの命令を打ち消したのは、アルファルドだった。
「陛下!? 殺さないのですか」
スイセイの疑問に答えず、アルファルドは兵士を手で追い払った。
張りつめていた緊張が、ほんの少しだけ弛んだ。
アルファルドは女の前に立ち、屈んで視線を合わせた。
「女よ、名は何という」
「……ハイドラス・ステラ」
「そうか」
腰を上げて、辺りを見回した。
そして、彼は宣言する。
「我の妃は、この……ハイドラス・ステラだ!」
アルファルドは全員の反応を窺う。
会場にいる者は皆一様に硬直して、口を開けていた。
しばらくして、堪らなくなった妃候補の親が皇帝に突っかかる。
その老人は挙手しながら、皇帝に物申した。
「ええっと、アルファルド皇帝陛下……その、この下民を娶るというのですか」
表は控えめでいても、心の奥底では怒りが渦巻いている。
その証拠に、老人の眉をピクピクと痙攣させていた。
さすがに皇帝が相手といえども、不服を申し立ててしまうのも当然である。
この日のために、自慢の娘に金を注ぎ込んだのだ。
金に物を言わせて、誰よりも一番な妃候補として娘を仕立てた。
それなのに、皇帝は下民の、しかも殺しに来た人物を妃に選んだのだ。
「うちの娘よりも、格の低いどこぞの女を妻として迎えるというのですか?」
老人は、娘を引っ張って皇帝に見せつけた。
豊満な肉体に艶やかな金髪、純白のドレス。
超高級の香水が漂い、嗅いだ者は誰をも魅了する。
妃候補として相応しい、超一流の美人であることは間違いなかった。
「皇帝の妃となると、学も必要でしょう。リライズの第一級家庭教師によって指導を受けております。決して、悪くはないかと」
その言葉に続いて、他の親も娘を紹介し始めた。
このドレスは高級、これはリライズ製の一品、娘の教育はどうのこうの。
先ほどまでの静寂が、老人の一言によって言い争いにまで発展していた。
「騒ぐな」
聞き取りやすく、それでいて重々しく胸を打つ声で、アルファルドが発する。
皇帝は娘自慢に興味を示すことはなく、反対に嫌気が差していた。
「我の妃に相応しいのは、力のある者だ。弱者がいくら着飾ろうが、毛ほども興味はない」
アルファルドは、物申してきた老人を鋭く見つめる。
「そなたらの娘は、我に剣を向けることができるのか?」
「そんなこと、できるはずがありません」
「だろうな。だが、ステラは違った。この我に対して、短剣で刺してきた。これにどれほどの勇気と力が必要か、そなたらには分からぬだろう」
「しかし、この女は陛下を殺しに来たのですぞ。そんな女を娶るなど、思慮分別のある考えとは思えない」
「ふん、よく言うものだ。そなたは、我の政策に異を唱えておったな。そなたらの娘が途中で敵対するよりも、最初から敵対されている方がいい。飾り気のある者など、我の側には置けぬわ。娘を妃にしたのち、我を懐柔するつもりだったか?」
老人は舌打ちして、後ろに下がった。
満足したアルファルドは、ステラに振り返る。
「ステラは強い。我への敵対心も強い。それでこそ、我の妃に相応しい。常に油断できないからこそ、我の力が鈍ることはない」
その後、アルファルドはステラを伴って玉座の間に戻った。
「全く、元老院議員は浅はかで傲慢で目障りだ。他の連中も、弱々しくて見ていられない。金に溺れた老人共が。誰のおかげで贅沢な暮らしができているのか、知らないらしい」
玉座に座り、正面のステラに焦点を合わせる。
肘掛けに肘をついて、手を顎に当てた。
ステラに刺された左手には包帯が巻かれ、処置されている。
「そなたのおかげで、あの退屈な宴会は華やかに終わった。いい余興になった」
「あなたの妃になるために、殺しに行ったわけではないのです! 今すぐ、私をここから解放しなさい!」
踵を返して、帰ろうとしたが、スイセイが立ちはだかった。
「あの場で陛下が公言なさった以上、ステラ殿は妃になるしか道はありません」
「我を殺したいのだろう? 皇后となれば、暗殺する機会が増えるぞ」
「……私を馬鹿にしているのですか! 殺せないと高を括って」
「ステラ、我を何者だと心得ている?」
口調に怒りが垣間見えた。
アルファルドが立ち上がり、ステラを咎めるような視線を投げる。
「ドラコーニブス家は、強者の血筋だ。そこに弱き者の血を一切入れてはならない。だからこそ、強き者を見極める眼を備えている。我の眼には、ステラが強者として映っているぞ。心配するな、いつかは我を殺せる。保障しよう」
「……わかりました。あなたの妃となって、あなたを殺します」
振り向きながら、ステラは言い放った。
覚悟を決めた彼女は、鬼のような相だ。
その言葉に、皇帝はこの上なく痛快な気分となった。
一見、普通の竜人に見えるステラだが、アルファルドは彼女の底を見抜けなかった。
それが、ステラに惚れ込んだ一番の理由だ。
自分の知らない未知の領域。
それを見るために、彼女を妃として選んだ。
こうして、アルファルドは下民のステラと結婚したのだった。