182 エルレライ・メリディス―1
ルシフェルゼ山から北東の位置に、火星の祠がある。
メリディスには、祠を制覇して神の力を得てもらわなければならない。
アルフェッカ率いる六星騎士長を倒すため、戦力は上げておかないとな。
金星のウラヌス、木星のジオーブ、天王星のヴェニューサ。
水星のスイセイは、動ける範囲で手を回してくれているようだ。
それにしても、アルフェッカはスイセイをマークしているはずなのに、けっこう自由にさせているな。
普通、味方が裏切っているのを黙って見ていられるはずがない。
あえて、スパイを黙認することで作戦の幅を広げているのか。
偽の情報を掴ませれば、敵を御しやすいというものだ。
厄介な相手だな。
とにかく今は、教皇の作戦に乗る。
「これが、祠ですか」
アルティアが横穴を指さす。
いかにもな細い道の先に、神が司る祠を発見した。
祠といっても、崖を突き抜ける洞窟だ。
祠への入り口は大きな岩で塞がれていた。
これでは、雨宿りの穴にしかならない。
「入れないのか? 誰かが既に、火星の力を手に入れたとか」
「そんなはずは」
アルティアも祠を初めて目にしたようで、少し困惑していた。
じっと見つめているだけだったメリディスが、穴に入っていく。
恐れを知らないというよりは、確信めいた行動だ。
彼女は導かれるように、岩に手を置いた。
すると地鳴りがして、穴にすっぽりとはまっていた岩が下に沈んでいった。
メリディスが試練を受ける者として認められた、ということなのか。
アルティアが心配そうに、名前を呼ぶ。
「メリディス……」
「大丈夫です、アルティア様。私、必ず制覇しますから」
振り返ったその顔は、いつにも増して真剣だった。
それはある意味、自分が死ぬかもしれないという予感を圧し潰すための真剣さなのかもしれない。
俺も助言しておこう。
「メリディス、気を付けろよ」
「貴様からの心配など、毒にしかならん。さらばだ」
「なんで、俺だけ冷たいんだよ! もうちょっと信頼してくれてもいいんじゃないか……って、もう入ってる!」
「まあまあ、ミミゴン様。メリディスも、少しは気が紛れたと思いますよ」
アルティアが、そう言って微笑む。
確かに、罵倒して気が紛れる性格かもしれない。
助言にはなったのかな。
そういうものなのか、と納得したところで、入り口からメリディスが顔を覗かせていた。
「言い忘れたが、アルティア様に手を出したら全力で殺す。手を出していいのは、私だけだ」
「わかったから! ていうかメリディスも手を出したら、護衛失格だろ。え、アルティア様もなに嬉しそうにしているんですか」
顔がより柔らかくなり、心の底から安堵したような様子だ。
メリディスは言い放った後、颯爽と祠へ潜っていった。
わだかまりが解けたのなら、これでいいか。
再度、地鳴りがして、入り口を岩が塞いだ。
頼んだぞ、メリディス。
メリディスは慎重に歩を進める。
常に気を引き締め、右手は太刀の柄を離さない。
洞窟はそれなりに広く、魔物の唸り声が響いてくる。
壁際には先人が残した松明が設置されていた。
おかげで、先がよく見通せる。
メリディスが松明を通り過ぎた瞬間、暗がりから人ならざる声が叫ばれた。
「ぐぎゃぁぁ!」
「ふん!」
飛びかかってきた蜘蛛の魔物を一太刀浴びせて、壁に叩きつけたところを切先で貫く。
残りの二体も、慣れた手つきで倒していった。
魔物の種類も多い。
雪山でも見かける魔物がいれば、見たことのない魔物もいる。
誰が相手だろうと、メリディスは圧倒的な剣術でなぎ倒す。
巨大な猛獣の攻撃をさっと躱し、刃を振るう。
これまでの戦闘経験が、メリディスを生かす。
レベル74になり、手に入れたスキルポイントを攻撃力上昇に変える。
見た目は変わらずとも、これからの一撃はより強力になった。
スキルの習得より、身体能力の向上を優先したのだ。
「師匠に教えてもらった剣技、存分に発揮しよう」
捨て子だったメリディスを育てた師匠。
一風変わった師匠で、雪山に住んでいた。
何も知らなかったメリディスに言葉を教え、剣を教え、生きる術を教える。
師匠は厳しく、無口が災いして素直に感情を伝えられなかった。
それでも、メリディスは師匠に愛されていると分かっていた。
二人だけでも、幸せだ。
しかし、突如として終わりを迎えたのだった。
彼女が31歳になった頃、師匠は妖刀エッジワースを置いて、家を出ていった。
突然の出来事に彼女は動揺したものの、現状を受け入れる。
――私は師匠を超える妖刀使いになってやる。
そして魔物を狩り、足りない日用品は近くを通る商人から奪い取っていた。
そんな日々を暮らしていた、ある日のこと。
「む、やっと商人が来た」
ドワーフの商人が二人、先頭は女の竜人。
えらく幼い顔つきで、それが護衛だとは思えなかった。
白い軍服を身に着けている。
これまでは屈強な竜人が護衛に付いていたというのに、今回はかなり貧相になったな。
これ幸いとばかりに、メリディスは崖から降りて、商人の行く手を阻んだ。
ドワーフは驚き、護衛の背中に隠れる。
その護衛らしき竜人も身を縮めるかと思いきや、メリディスに立ち向かった。
「皆さんは、岩の陰に隠れてください」
「しかし、アルティア様。あれは……」
「私にお任せください」
あのアルティアとかいう女、私に歯向かうつもりか。
背中の太刀を抜き、切先を突き付ける。
「そこで止まれ」
雪を踏みつける音が止まる。
アルティアは恐れることなく、一直線先のメリディスに微笑みかけた。
相手の見せる温かな笑顔に、メリディスは一瞬怯んだ。
太刀を両手で握り、足を横にして構える。
「荷物をそこに置いていけ。そうすれば、命までは取らない」
「あなたが、商人狩りですね。初めまして、ドラコーニブス・アルティアといいます。気軽に、アルティアと呼んでください」
「状況が分からないのか? 脅されているんだ、貴様は」
「お腹、すいていませんか? よかったら、私たちと一緒に来ませんか?」
メリディスが作り出した緊張感を、アルティアはまるでダメにする。
脅しが効かないというよりは、わざとこういう態度をしているのかと思わされる。
うまくいかない状況に、怒りを露わにして『斬撃波』を飛ばす。
太刀を思い切り振り下ろすと、雪を割るように刃の波が飛んでいく。
やがて、アルティアのそばにある崖に命中し、大量の雪と風が吹き込んだ。
――これで、奴も恐れるはずだ。
「もう、ダメですよ。こんなことをしては」
アルティアは腰に手を当て、頬を膨らませていた。
場にそぐわない様子に、メリディスも限界になる。
――どこまで調子を狂わせるつもりだ。
「きさまぁぁ!」
「はぁ、そんな解決は望んでいないのですが……仕方ありません」
何もない空間に手を伸ばし、何かを握るような動作をした。
すると、その手は白銀の剣を掴んでいた。
『異次元収納』の武器を引っ張り出し、剣を地面に向ける。
武器を取り出したが、やる気が見えない。
「戦うなら、ちゃんと戦え!」
「戦いたくないんです! どうか、その刀を納めてください!」
「殺して奪い取る」
メリディスは激怒によって増した力を、太刀の一振りに込める。
「『斬撃波』」
今度は横に見えない刃を飛ばし、アルティアを襲う。
アルティアは慌てることなく、上に跳躍して躱した。
光を反射する白銀の剣身を掲げ、メリディスに向かって降下する。
降下と同時に、剣を下ろす。
自身に振り下ろされた剣とアルティアを、太刀で受け止めた。
「本気ではないな。手加減するな!」
「あなたに負けを認めさせることが目的です。傷つけるわけにはいきません」
太刀にかかった重量を押し返し、空中に跳ねたアルティアを攻め立てた。
何度も太刀を振るって攻めるが、剣で攻撃を弾かれる。
剣戟の音が、雪山に響き渡る。
アルティアは一度、後ろに飛び退き、魔法を放つ。
「『フレイム』! 『サンダーボルト』!」
『フレイム』の詠唱で生み出した火の玉を、メリディスの足元にぶつける。
メリディスは後ろに退いて、再び畳み掛けようとしたが『サンダーボルト』の電撃が飛来した。
真っ直ぐに迫ってくる電撃を、側転で回避する。
素早く身を立て直して、太刀を握る右手を後ろに持っていく。
左手を伸ばし、アルティアを捉える。
一呼吸して、右手を突き出しつつ、刀身を大きく伸ばした。
槍で突き刺す動作を、メリディスは取った。
エッジワースが妖刀と言われる由縁は、自由自在に伸長する刀身にある。
変化する切先が、アルティアの胸を目掛けて一気に詰め寄った。
避けるどころか、呼吸する間もない。
そして、切先はアルティアの目と鼻の先で止まった。
その後、太刀の刀身が元の長さに戻っていく。
メリディスは意識を失いつつあり、やがて雪に倒れた。
「な、なぜ……だ」
そう自分に問いかけた瞬間、答えが返ってきた。
くぅーっと腹が鳴り、飢餓状態にあることを体が教える。
ここ数日、何も口にしていない。
師匠の料理が恋しくなり、腹を空かせて待っていたのだ。
魔物の肉を手に入れても、彼女は焼くことしかできなかった。
肉の味に飽きて、食べる気力も失せていた。
――もう、だめだ。
「大丈夫ですか。何も心配はありません。すぐに温かい食事がある場所まで、連れていきます」
そこで、メリディスは目を閉じた。
彼女は諦めたのだ。
アルティアはしゃがみ込み、気絶したメリディスを抱え、太刀を『異次元収納』に仕舞う。
後ろのドワーフが不安そうに尋ねた。
「商人狩りを連れていくのですか」
「もちろんです。お姉様やお母様、お父様も困っている人を見捨てることはしません。ドラコーニブス家の名誉にかけて、必ず助けます。さ、行きましょう。神都ユニヴェルスへ」
アルティアは、メリディスを背負って雪の坂道を登っていく。
商人は依然、メリディスに警戒していたが、一生懸命のアルティアを見て考え直した。
これが為政者というものか。
そう納得して、商人はアルティアの後ろに続いた。