デザイアリング戦争
セルタス要塞より更に東。
晴れ渡る空の下での出来事だ。
ベリタス要塞と呼ばれるこの地で、戦争が始まっていた。
現在、ベリタス要塞を防衛するグレアリング軍は、攻めてくる帝国軍を返り討ちにしてやろうと士気を高めている。
要塞内は慌ただしく人と兵器が入り乱れていた。
砦の上から、二人の戦士が戦場を俯瞰している。
「くそ! 懲りない奴らだな。二度も追い返してやったんだぞ! 今回も結果が見えているだろうに」
「いや、ガルド。竜人の様子がどこかおかしい。前線にいるのは重装備兵ばかりだ。軽装は後方で散兵している。嫌な予感がする」
「はぁ、よく見てるな……アリオス。だが、いつもこうだったろ」
「これほど顕著に表れているのは、今までになかった。とにかく、武器を持て。ガルド、兵の指揮は任せる」
露骨に嫌そうな顔をして、ガルドは舌打ちする。
アリオスは盾と剣を構えて、さっさと下に飛び降りた。
地を揺らす重々しい足音が響いてくる中、ガルドは部下に命令する。
「さあ、奴らを叩きのめせ! いいか、何が何でも死守するんだ! 攻め落とされるなよ! 各員、配置につけ!」
あちこちから兵の咆哮が聞こえてくる。
士気を高め、結束力を確かめたところで、ガルドも飛び降りた。
両足、片手で着地し、利き手で背中の刀を抜き放つ。
それから脚に力を入れて駆け出した。
並走するように、アリオスが近づいてくる。
「さすが、風雲の志士様。いい声だったよ」
「お前が言った方が、兵の纏まりが良くなるんだがな」
「どうかな。先頭に立つのは強い者じゃないとね」
アリオスが竜人の一撃を受け止め、ガルドが後ろから一撃を加える。
竜人一人に対し、人間二人で挑むことが戦法として安定している。
ガルドの鋭い斬撃を食らい、鎧兵は前のめりに倒れた。
間もなく、次の相手がやってくる。
敵の連続攻撃を盾と身のこなしで凌ぎ、アリオスが飛び退きつつ魔法を放った。
「『インフェルノ』!」
燃え盛る球体を飛ばし、見事に直撃する。
が、直撃したのは頑丈な金属の盾だった。
ガルドも盛んに攻めるが、全て盾で受け止められてしまう。
竜人の馬鹿力で、ガルドは刀ごと押し返された。
敵は身を覆うように、盾を前に出している。
「おい、いつもより卑怯な感じがしないか」
「同感です。防御を意識しているようですね」
重装備と盾、片手に短剣。
これほど防御に偏った装備は初めて見る。
以前と比べるアリオスは、より警戒していた。
横目で、味方の戦いを観察する。
自分たちと同じように、攻めあぐねている状態だった。
アリオスの思考は、正面の敵より帝国軍全体に注目していた。
これまでの戦いと違った点も見えてくる。
より強固な武装をしている点。
それよりも目立ったのは……攻めに転じない点だった。
反撃程度にとどまっている。
重装備であるため、動きにくいのか。
それとも、反撃によっぽどの自信があるのか。
ただ、確実に感じ取ったのが……何か企みがあってのことだということ。
次の手を模索することに集中していると、突然帝国軍の動きが相次いで変わった。
「……了解。すぐに退避する」
その言葉の意味を飲み込めない内に、竜人は何か地面に叩きつけた。
すると、柔らかい音と共にたちまち煙幕が立ち込め、視界が白色に染まっていった。
ガルドの「どうなってる!?」と焦る声が聞こえてくる。
他の兵も、しどろもどろな状態になっているみたいだ。
盾を身に引き寄せたアリオスが、兵士に命令を出した。
「退却だ! 早く!」
アリオスは、つま先を要塞に向けて走る。
全速力で逃げることを考えた。
命令が伝わり、王国軍が退却していることを耳で聴き取る。
しばらくして、左から黒い影が隣に迫ってくる。
「アリオス、退却とはどういうことだ! ただ、煙幕を張られただけだ」
「あの状況で戦うのは、まずい気がする。妙なのは、帝国軍に限ったことではない。自軍に対してもだ」
「どういうことだ」
やがて、視野が開けると遠くのベリタス要塞を確認した。
煙から抜けて、すぐに減速して後方に目を配る。
ガルドもアリオスを不審に思いながらも、真似をするように刀を構えた。
正面は未だに煙が持続している。
要塞方面から、大砲の砲撃音が響いてくる。
リライズ兵器で竜人を一掃するために、鉄の塊を飛ばしていた。
着弾して爆発しているのだが、虚しく地面を穿っているだけのようだった。
誰かが攻めてくる気配もない。
アリオスの中で、先ほど竜人が返事した言葉が引っかかていた。
「すぐに退避する」
”退避”の意味を追及するべきだと、脳が警告している。
退避ということは、何かを危険視しているということだ。
敵が恐れるもの。
「ガルド、こちらは秘密兵器でも用意したのか?」
「は? そんな話、聞いてねぇよ。だいたい最近、リライズからの供給が遅れている。秘密兵器を頼んでいたとしても」
「いや、現時点でだ。今、僕たちは秘密兵器を持っているのか? 敵が恐れるに値する兵器を」
「そんなのがあったら、とっくに使ってるだろうよ。急にどうしたんだ」
じゃあ、奴らが退避する理由はなんだ。
まさか!
アリオスは『魔力感知』を発動する。
前線の重装備兵、もしかして時間稼ぎの意味があったんじゃないか。
途端に、アリオスの脳に激痛が走る。
頭頂部が魔力に強く反応しているのだ。
すぐに空を見上げた。
そして、見開くほどに驚愕した。
「ガルド、上だ!」
「……嘘だろ!?」
澄み切った晴天だったはずが、気付かぬ内に黒雲で埋め尽くされていた。
魔力が濃縮してできた雲だ。
降らすのは雨ではないことなど明確である。
もっと危殆するものだ。
瞬きする間に、雲から異様な岩石が迫り出してきた。
遠く離れているため、小さく見える。
火の粉の散る岩石が、前面に露出するたびに形が濃くなっていく。
まるで分娩のようだ。
母胎である黒雲から、岩塊という胎児が外を目指す。
もっとも胎児というには、あまりにも巨大ではあるが。
「とにかく、身を守るんだー!」
アリオスは限界まで声を張り上げ、兵士と自分に命令を下す。
わずかの間をおいて、星が落ちてきた。
星は分散して降り注ぐ。
アリオスとガルドは『バリアウォール』に全神経を集中させた。
生き残ることに命を懸けたのだ。
岩石が地面に到達すると、大爆発を起こし、足元が不安定になる。
それでも歯を食いしばって耐え抜く。
それからのことである、兵の絶叫が鳴り止まなくなったのは。
アリオスは意識が確かな内に、この天災を起因させた人物を探した。
ここで『魔力感知』が訴えるのは、雲だけではないことを認識する。
別に強大な魔力を秘めるものを感知したのだ。
そこに恐る恐る目を向ける。
空中に佇む人物。
そのシルエットは、幼女を思わせる輪郭だった。
そんなはずはない、と首を振ってから再度、目を凝らす。
が、次の瞬間……自我を吹き飛ばす爆発に襲われた。
雲は消え失せ、ベリタス要塞は半壊。
戦場には、いくつもの凹凸ができていた。
加えて、グレアリング軍に属する兵士の多くが戦没した。
その光景を悠々と眺めることができる場所がある。
飛行戦艦アークライト。
機体に搭載されている魔石より発生した浮力で、船体は飛行している。
戦場からある程度離れた場所に留まる戦艦では、一人の女性が微笑んでいた。
その微笑は、天災を見て生まれたものだ。
「素晴らしい……さすがは、前ノヴァテーラ時代に猛威を振るったという伝説の究極魔法。よくやった、ミリミリ」
女性が振り返ると、何もなかった空間が歪み始め、やがて一人の少女を出現させた。
小さき体の幼女は、平気な顔をして空中に浮遊する。
「いいの? 全滅させなくて。あれでも、少数は生き延びているのよ」
「これでいい。でなければ、君の存在が知れ渡ることはない。そうだろう?」
「ようやく、”帝国の嘘”として偽らなくいいのね」
「ふふ、そういうことだ」
デザイア帝国が生み出した虚構。
それは、グレアリング王国を牽制するために作られた噂。
しかし、一般人が生み出す虚構と違ったのは、実際に存在することだった。
しかもそれは、尾鰭の付く噂を超えた最強の大魔法使いである。
「失礼します、アルフェッカ閣下」
扉を開けて、入ってきた兵は彼女に書状を手渡すと、一礼して退出した。
封を切り、中の紙を一読する。
デザイア帝国第12代皇帝ドラコーニブス・アルファルドからによるものだった。
内容は、アルフェッカを本国に呼び戻すことが記されていた。
苦笑を漏らすも、本心を言葉にする。
「たまには、顔を見せないとな。親孝行な娘だと思ってもらえなくなる」
「あら、珍しい。いっつも破り捨てていたのに。何かあったの?」
「そうだな……時期が良い。先週、傭兵派遣会社が壊滅したそうだ。困ったこともあるが、おかげで歩を進める切っ掛けにもなった。転機が訪れたのだよ、いよいよ」
それから、と呟いて話を続けた。
「君のことも紹介しなければね。私の友人として」
ミリミリに向き直って、アルフェッカは見つめる。
そして、静かに笑った。