150 新都リライズ―11
「ネーブル!」
「はい、お兄様」
会議室を飛び出した俺は、ネーブルを呼び寄せる。
会議室横の休憩室で待機させていたのだが、想定外の事態が起こったため、起動させるしかなかった。
本当なら、とっくに終わっていたはずなんだ。
「ネーブル、新都リライズ全ての街から、この男を見つけ出せるか。いや、転移したとなれば、監視カメラに映っているはずがないか」
「先ほど転移したドワーフの位置を教えればよいのですね」
「すごいな、開発者の俺が部下に見えるほど高性能だ。ああ、奴はどこにいる?」
「エネルギー体探知機によると、新都リライズ地下三階にいるようです」
新都リライズの地下三階?
まずい、最悪だ。
いやいや待て、奴に操作できるのか。
女王の声が後ろから聞こえてきた。
「伊藤博士、地下三階というと」
「はい、親機が設置されている場所です。しかし、簡単にヴィシュヌを操れるほど、甘くはありません。コンピューターを動かすのに、私だけが知っているパスワードがなければ……」
「そのパスワードが知られていたら? とにかく、向かうしかないわ。私も確認に行きます」
「私一人で十分のはずですが……分かりましたよ、睨まないでください。ネーブル、女王を担いで大学に行くぞ!」
「お任せください、お兄様」
中央官邸の最上階は壁全面がガラス張りになっており、第7番街の様子が丸見えである。
夜に支配された街には、ビルの明かりがいくつも浮いて見えた。
下でも、楽しそうな声が夜の街を騒がしくしている。
ネーブルはガラス窓を蹴破り、女王を肩に乗せて飛び降りた。
俺も躊躇なく、正面の建物の屋上に飛び降りる。
そのまま屋上を飛び跳ねて、リライズ大学を目指した。
「久しぶりに吐きそうになったわ……」
「ネーブルだからできたことですよ、女王。さ、行きましょう!」
大学内を疾走して、エレベーターのボタンを連打する。
扉が開いて、中に乗っていた人を急いで追い出し、三人は乗り込んだ。
扉を閉じてから、かご内の操作盤の前に立つ。
白衣のポケットから、カードキーを取り出して、操作盤の下にある細い隙間に差し込んだ。
すると、B3のボタンに光が灯り、押し込むとエレベーターが降下していった。
こういうシステムでないと危険なのだ。
もともと、地下三階には”神”と呼ばれた転生者が封印されていた。
その転生者は57年前、何者かの手により連れ去られ、行方知れずとなる。
当時、一般市民が呑気な顔をして街中を歩いている間、大学内では重要関係者を集まり、騒然となっていたのを思い出す。
俺は一度も、その神とやらを目にしたことはない。
しかし、話や噂を聞く限りでは転生者だったみたいだ。
今も所在は知れないが、傭兵派遣会社にいるという真しやかな話を小耳に挟んだことがある。
もし、その話が本当なら。
「伊藤博士、準備はいいかしら?」
「正直に言いますと、全然よくない。嫌な予感がして、今すぐ家に帰りたいくらいです」
「私もよ。だけど、あなたみたいに弱音は言わないわ」
「さすが、女王様ですよ」
低音のチャイムが鳴り、扉が開く。
地下三階に到着したのだ。
横の警備室から警備員が走ってきて、女王を一目見ると慌てて敬礼した。
「女王様!? それに学長! な、何か御用でありますか!」
「今すぐ、制御室を開けてちょうだい! 緊急事態よ!」
「は、はい!」
警備員が戻ると、薄暗かった通路が光で明るくなった。
同時に、前方の白い壁が両開きしていく。
すぐに制御室まで走って中に入ると、人影が中央に置かれたコンピューターを操作していた。
「ようやく来たか。もう遅い!」
「セプテンバー、何をしたの!」
「プロジェクト:ハーモニーだったか。ヴィシュヌに寄生された集団をコントロールするんだよな。こいつが親となって子に命令する。ふっ、とんでもないものを創ってくれたな、伊藤博士。だが、こいつのおかげで世界は神の物となる」
「コンピューターに触れることすら叶わぬはずだが」
「ああ、触れられねぇな。だから、何に使うのか分からん受け口に……こいつを差し込んでやったのさ」
セプテンバーは披露するように、身体を退けた。
「USBメモリ……だと。まさか!」
「どういうこと、博士?」
「女王、信じられないことですが。こいつは、コンピューターにウイルスを持ち込んだんですよ! だが、プログラム言語は私にしか理解できない言語だ。お前なんかに理解できるほど、簡単な言語じゃない」
「さすがは、ヴィシュヌの開発者だ。しかし、神は全てを理解しておられた。俺はただ、USBメモリを差せと言われただけさ。言っとくが、なまっちょろい命令なんかしてないぜ。ふふ、これから神による最高のショーが開催される! 視聴者体験型のショーだぜ!」
「伊藤博士! 止めることはできませんか!」
「ネーブル、コンピューターを起動しろ!」
コンピューターの前に立ちはだかるセプテンバーを突き飛ばして、コンピューターの画面に注目する。
起動して、キーボードでパスワードを打ち込み、アプリケーションソフトを開いた。
ついでに、USBメモリを抜いて捨てる。
が、遅かったみたいだ。
「くっ、操作を受け付けない! 勝手に文字が打ち込まれていく。こいつ、完全に言語を理解している。ありえない、日本人しか知ることのない……まさか、神っていうのは、マジで神なのか」
こいつが敬う神と言うのは、ラオメイディアみたいな奴かと思っていた。
ただ、頭のどこかで考えていた。
転生者の存在を。
セプテンバーの目、魅了されている。
ラオメイディアは言葉で相手を心酔させるが、セプテンバーに接触した神はスキルで心酔させたんだ。
とうの昔に、自我を失っていた。
心も体も何もかもを奪われたんだ、神に。
ミミゴン、俺……やっちまったよ。
不意に、後悔しようとする頭が激痛に襲われた。
神経が引き抜かれているような痛みだ。
「ぐああああ! 頭が、痛い! 何を命令しやがったんだ!」
「ふはははは、神よ! 俺は、やってやりました! これで新都リライズは、俺の物!」
「は、はかせ……止めてちょうだい!」
ああ、止めようと思って必死さ。
だけど、コンピューターが操作できない。
このウイルス、俺以上に優れた技術者によるものだ。
もう、どうすることもできない。
コンピューターを破壊すれば止まるかと思ったが、命令された以上、不可能だ。
せめて、何が起こっているのか把握しなければ。
嘔吐しそうなほど頭痛が激しい。
前がまともに見えない。
ヤバいぞ、思考も錯乱してきたし、歩くこともままならなくなってきた。
何事も思い通りにいかないものだな。
たとえ、転生者という存在であっても。
「ネーブル! ヴィシュヌを遮断できないか! 親から切り離すんだ!」
「お兄様……ネーブルの声が届きません。ネーブルとの通信が不正と判断され、拒絶しています」
「セキュリティの設定まで変更しやがったのか! どこまで虚仮にすれば、満足すんだよ! 神様ってのは!」
ネットワークを切断することもできない。
こんなにも頭痛がするのは、ヴィシュヌが体内で暴走しているからだ。
大脳に引っ付いた寄生機械物質が、熱暴走するくらい強大な命令を出したんだ。
エリシヴァも頭を抱えて、床を転げ回っていた。
セプテンバーは涎を垂らしながら、両手を広げている。
まだ、何とかできるはずだ。
『異次元収納』から、注射器を二本取り出して、一本を自分の首にぶっ刺した。
液体が血流に押し込まれる感覚を味わいながら、空になった注射器を投げ捨てる。
吐き気は去ったが、視界が歪み、雑音が鳴り止まない。
テレビで例えれば、電波を受信しにくくなった画面のようだ。
女王の側まで這いずり、俺と同じように首筋に注射器を刺した。
ボタンを押し込んで、緑の液体を流し込んでいく。
一瞬にして女王の呼吸は落ち着き、頭を振っていた。
「何を、入れたの?」
「ヴィシュヌの働きを阻害する分子です。一日、ヴィシュヌの機能がストップするので気を付けてくださいね」
「今更、何に気を付けろというの。気を付けた結果が招いた災厄よ。それで、効果は? 効果範囲は?」
「ちょっと待ってくださいね……」
立ち上がって、コンピューターの画面を確認した。
「第1番街、食事への欲求。第2、性交への欲求。第3、物体への欲求。第4、自殺への欲求。第5、闘争への欲求。第6、堕落への欲求。第7、破壊への欲求。……リライズ領、全域に亘っての効果だ」
「そんな……私達は何て愚かなことを」
「そうさ、人ってのは愚かな生き物さ! 俺が創世神に聞いてきてやるよ。何で人は、こんなにも愚かで感動的な生き物なんだとね。お前らは、崩れゆく国を眺めながら泣き喚いて、神に、縋、る……」
セプテンバーの様子が急変した。
言葉を吐き出そうとしているが、顔を歪めながら震えていた。
「な、なぜです! 俺は……神への絶対的な忠誠を誓ったんだ! まさか、神は……俺をも見捨てると言うのか。最初から、俺の事を使い捨てるつもり……だった、の、か。所詮、人は神の……奴隷だったということ、か」
まるで糸繰り人形を思わせる動作で、ぎこちなく腰のあたりを弄っている。
それから腰に差してあった拳銃を抜くと、こめかみに銃口を当てて引き金を引いた。
倒れたドワーフは血だまりをつくっていく。
神は、セプテンバーの口を封じたのだ。
ヴィシュヌを使って、間接に殺した。
最小限の情報しか与えられていないはずのセプテンバーを殺すのだ。
神は慎重すぎる。
俺と同じ日本人とは思えない卑怯者だ。
加えて、無慈悲で惨たらしい心の持ち主だ。
これが……転生者のすることかよ。