ヒストリー ナルシス
魔女一族の次女は計画を企てた。
テルブル魔城から脱出するという計画を。
そして、三女の妹を連れて、外界へと旅立った。
妹は必死になって、姉に付いていく。
互いに信じ、絶対に離さないと誓った。
外の世界は酷い世界だと教わったが、テルブル魔城の方が残酷な世界だと感じた。
何より、妹は生きていけそうになかった。
魔力はあっても、魔法を覚えることができない魂だったのだ。
魂が魔法を拒絶したのだ。
それゆえに、三女は魔女ではなく奴隷として扱われた。
テルブル魔城を離れ、近くの大森林を駆け抜けていた。
途中、魔物に出くわしても、姉が得意の魔法で倒してくれる。
妹はそんな姉にとても懐き、憧れを抱いていた。
逃げている状況でも、姉が握ってくれる手には確かな安心を感じる。
だが、彼女たちの歩む道に災難が降りかかる。
二人は魔物に囲まれ、背には濁流する川があった。
「私のことは忘れて、強く生きるのよ。ごめんね」
姉の言葉に反発しようとするが、川に突き落とされ、激しい水流に飲み込まれた。
息をすることすら叶わず、やがて意識を失った。
意識を失う直前、姉が魔物に食い殺されていたのを目撃している。
それが彼女の心を闇で覆った。
テルブル魔城が憎い、こんな世界が憎い。
生まれ変わったら、魔物のいない世界がいいなぁ。
「ラオメイディア様! あそこに人が倒れているぞ! 酷い怪我だ!」
「分かった! ……アスファルス、右に魔物だ!」
「俺が倒そう! 今のうちに!」
「ありがとう、アスファルス」
視界は真っ暗だ。
朧げな意識の中、男の声が響いてくる。
「大丈夫かい? うわぁ、身体中が傷だらけだ。魔物にやられた痕ではないな。奴隷なのか……」
「魔物の数が多い。ラオメイディア様、早くしてくれ!」
「思った以上に酷い外傷だ。ネモフィーラに治してもらうしかないね。さっきの小屋まで戻るぞ!」
体が宙に浮く。
人の肌を感じる。
とても温かい手だ。
すぐに、妹は小屋に運ばれた。
そこで目を覚ますと、一人の女性と二人の男性が佇んでいた。
女性は私が目覚めたことを知ると、湯気が立つ食事を用意する。
男たちはただ笑って、妹を見続けていた。
居心地の悪さを感じながらも、料理を口に運ぶ。
味覚があまり機能していないせいか、味は分からなかったが、美味であることは感じ取った。
男が近づいて、妹に名を尋ねた。
「名前は何かな?」
「私は……魔女です」
「はは、やっぱり魔人て、そのまんまの名前なんだね。名前はそうだなぁ……」
そう言うと、笑顔の男は手帳を開けて、指でなぞっていた。
彼女にとって、知らない人に助けられることは逆にストレスになって蓄積することに繋がった。
助けてもらうなら、お姉ちゃんが良かった。
我慢できず、妹は叫ぶ。
「なんですか、あなたたちは! 私のことなんか放っておいてください!」
「放っておけないよ、魔女ちゃん。自己紹介しようか。僕は、ラオメイディア。で、この大男がアスファルス。こちらの美人エルフは、ネモフィーラ。彼女が君を看病してくれたんだよ。そうそう、僕たちは世界を旅する者達さ」
胡散臭い男は、ニヤニヤと魔女を眺める。
再び怒りを声に出そうとしたが、体が言うことを聞かなくなった。
突然、全身に激痛が走る。
女性が妹を抱きかかえて。
「大丈夫ですか、魔女さん! ラオメイディア様、新都リライズに向かいましょう! リライズ病院なら」
「いや、医者は彼女を見殺しにするだろう。魔人差別は、リライズでもある。オベディエンスが何とかしてくれるかもしれない」
「だったら、ここで足踏みしている場合ではないな」
大男は、装備を整えている。
魔女は、エルフに持ち上げられると同時に意識を失った。
自分の体の事は、自分がよく知っている。
もう、生き延びることはできないだろう。
静かに目を閉じて、ゆっくりと脱力する。
これまでの15年間を振り返りながら、ようやく眠りについた。
次に目が覚めたのは、冷たい台の上だった。
ほとんど裸の状態で、仰向けに寝かされていたようだ。
天井の照明は、妹だけを照らしている。
目覚めてそうそう、嫌な臭いと機械音に悩まされた。
いつもと同じように上体を起こすが、違和感に包まれる。
自分の意志で起きたはずなのに、自分ではない誰かに支えられた感覚だった。
不意に後ろから声が発せられ、驚いて勢いよく振り返る。
「聞こえているな。首も動かせるみたいだし、問題はなさそうだ。どうです、私のサイボーグ技術は」
「さすが、オベディエンスだ! 素晴らしいよ、君は!」
闇から現れたのは、さっきの男とドワーフの男だった。
男の名前を脳内で探り、ラオメイディアという名を思い出す。
ドワーフの男は楽しそうな口調で、妹に話しかけた。
「内臓が使い物にならないほどに傷だらけだったんだ。内臓が破裂して、よく生きていたね。あまりにも見ていられなくてね、君の体を改造させてもらった」
「私を改造……?」
オベディエンスと書かれた名札を胸につけ、言葉を続けた。
「人工臓器でできた人だよ、あんたは。ほら、その目で俺らを見てみろ」
ドワーフの男と龍人は若い、と顔を見て思う。
だけど、その他に思うことがあった。
視力がとても良くなったのか、周りが綺麗に見えた。
「よく見える。だけど、私には必要ない……こんな目、こんな体」
妹は泣きながら、真情を吐露した。
「私が嫌いだ。お姉ちゃんを守れない私なんか大っ嫌いだ! 死にたいんだよ、私は! どうして、私を助けたの! あなたたちの助けは、私にとって絶望なんだよ! 私を殺してよ、こんな非力な魔女を!」
龍人が、妹の肩に手を置いた。
華奢な腕なのに、力強さを感じる手だ。
「なら、今日から魔女を名乗るのはやめるといい。それに君はもう、死んでいる。君の体は、君の体ではない。僕たちが殺したんだ、君を」
「何言ってるの」
「なぜ君を助けたのか……君に生きてほしいと思ったからだ。テルブル魔城が憎いのだろう? 世界が憎いのだろう? 僕たちは、憎き世界を変えるために戦っている。だから、君の人一倍憎悪する心を力にして、僕たちと戦ってほしい」
優しい口調だが、明確な意志を感じた。
妹は、ぼそぼそと弱音を吐く。
「けどさ、私は魔法適正がない魔女。そんなの魔女とは言えない。相変わらず、非力」
「魔法にこだわらなくていいんだよ。君には誰にも負けない魔力量がある、強き心がある。戦い方で悩む必要はないよ。これから時間をかけて、自分の戦い方を見つけるんだ。大丈夫、失敗しても笑っていればいいよ。成功したら、もっと笑えるからさ。焦らず、僕たちと一緒に君の戦い方を見つけよう」
外の世界は酷い世界、魔人はそう口ずさむ。
歌にすることで、外の印象を悪化させていくのだ。
口ずさんで仕上がった印象を、ラオメイディアはあっけなく潰した。
魔女は、この人のために生きてみようと決意する。
顔を俯けて、小さく笑った。
「そうそう、そのままの君でいいんだよ」
男は妹を褒めると、あることを思い出して手帳を取り出した。
「魔女は捨てよう。代わりに、僕が名前を考えるから。そうだなぁ、今日から君は『ナルシス・ズーム』だ」
「ナルシス・ズーム? 意味は?」
「どうやら、自分を愛することらしいよ。よし、この名の通り、生きていけ!」
それから何度も、ナルシス・ズームを呟き続けた。
忘れぬよう、自分の名前を唱え続ける。
その内、「魔女」という名前であったことを忘れた。
新たな名前が、新たな自分を創造していった。
私はナルシス・ズーム。
「へぇ、あれほど魔法を受けても立っていられるんだ、ツトム」
『バリアウォール』で、ツトムは魔法攻撃から身を守り続けた。
ナルシスは空中を自在に移動し、ツトムを魔法で攻撃していく。
強力な魔法を連続で発射していた。
「さあ、いつまで障壁が存在するかしら。あなたの顔、最初と比べて醜くなっているわよ」
「そういうお前も、冷や汗が出ているな。逆に自分が追い詰められているからか」
「黙れ! アートマジック『フランマ』! 『トニトルス』!」
『インフェルノ』に似た火の玉が前方から迫り、上から雷が落ちてくる。
ツトムは雷魔法を避けて、炎魔法は『バリアウォール』で防ぐ。
障壁に火の玉が衝突すると爆発し、土煙が舞い上がる。
視界を遮る煙からナルシスが出現し、短剣を持ってツトムを突き刺そうとした。
ツトムは腰に差した剣を引き抜き、素早く短剣を弾いた。
弾かれても取り乱すことはなく、左手を伸ばして魔法を発動する。
「アートマジック『ラディウス』!」
ツトムはなすすべなく光線に直撃し、遠くへ吹き飛ばされてしまう。
激痛が彼を襲い、血を吐き出した。
幾度となく、ナルシスの魔法を受け続けたツトムは立ち上がるだけで精いっぱいだった。
「次で終わらせるわ。全ての魔力を注ぎ込んだ止めの魔法で」
なぜ、ナルシスが魔法を使えているのか。
ツトムは、先ほどのコペンハーゲン博士とした会話を思い出す。
(僕は兵器開発と同時に、あるものも開発していたんだ。それが”人工魔法技術”。これは人類誰もが持っている魔力を変形させ、魔法によく似た魔法を放つことができる。疑似魔法だよ。だから、魔法が使えない者でも容易に魔法を使用することができるんだ)
「なんとかできないのか」
(問題点は魔力消費量が大きいことだ。効率よく魔力を変化させる技術がないから、いくら魔力量が多い魔女でもすぐに尽きてしまうよ)
それで話が終われば、楽だった。
「だが、奴は魔法を止めない! まさか、”魔物の力”か」
(おそらく、魔物は『サングイスワイバーン』。吸い取った血を魔力に変換する魔物だ。ナルシスは吸血して魔力を補っているのだ)
「血を吸う? じゃあ、何の血を……」
辺りを見渡して確認する。
魔法攻撃を『バリアウォール』で防ぎつつ、あるものに注目し察知した。
気付いたと同時に走って、落ちているアレをスキルで消滅させる。
「『ナンバー:4747』! 広がれ、影よ!」
「気付いたのね」
自身の影から、いくつもの影が飛び出し、それぞれが目標へ直進していく。
その目標とは”死体”だった。
ナルシスと同時に相手をしていたモークシャ、その死体だ。
既に、モークシャは全滅させている。
しかしモークシャは、ツトムを倒すのが目的ではなく、ナルシスの魔力を補給する意味で配置されていたのだ。
理解した時には、もう遅すぎた。
最初から全力で魔法を放っていたナルシスは尽きた魔力を全回復させていた。
そして、ツトムに残された血液量は少なくなっている。
『4747』に込められた『影法師』で、残されたモークシャから血液を奪ったものの、数が少なく微々たるものだった。
逆に『影法師』による血液消費の方が多く、損している状況だ。
「これで……終わらせる!」
ナルシスは両手をツトムに向けると、手が光り始めた。
限界まで魔力を注ぎ込んでいるのだろう、心臓を締め付けられたかのように顔を歪ませている。
負けじと、ツトムは両足をしっかりと地面に打ち込み、強力な魔法に備えた。
「食らえ! アートマジック、テラマ……」
突如、上から落ちてきた爆弾がナルシスの近くで爆発した。
魔法が発動していれば、ナルシスの勝利であっただろう。
大気を震わせる衝撃波が、全身を強打するように押し寄せてくる。
ナルシスもツトムも巻き込まれ、宙を舞った。
放り投げられたツトムは、砂の大地に叩きつけられる。
自分が生きているのか認識できないほど、意識が錯乱する。
息も絶え絶えだが、気持ちを奮い立たせて、視界を安定させた。
しばらくして見えてきたのは、遠くで苦しそうに息をしているナルシスだった。
それから、爆弾が降ってきた夜空を見上げる。
機械龍とミミゴンが空中戦を繰り広げていた。
ツトムは、機械龍の発射した爆弾が落ちてきたのだろうと推測する。
次の瞬間、機械龍の口から放たれた光線が地上を目指して落下してきた。
それも運悪く、ナルシスがいる真下である。
「ごめんなさい、ラオメイディア様……私、張り切りすぎちゃった」
そう言って、ナルシスは静かに目を閉じた。
生身の時に味わった、死に直面する感覚を思い出しながら。
「『バリアウォール』!」
光が迫る寸前で、ナルシスを庇って、ツトムが『バリアウォール』を発動した。
落雷に似た轟音が響いた。
ツトムは手のひらから展開する障壁に魔力を注ぎ込んで、必死に耐える。
全身が悲鳴を上げるほどの重力で圧し潰されそうになる。
それでも、ツトムは腕を伸ばし続けた。
ナルシスは思わず叫んだ。
「私なんか見捨てれば良かったのに! あなた、死ぬよ!」
「あの時の仕返しだ! 俺が、どれだけ辱めを受けたことか。それを分からせてやる!」
「あの時……?」
以前、二人は出会い、戦い、ツトムは敗れ、ナルシスは勝利した。
それだけなら良かった。
地面に転がったツトムに、ナルシスはわざと剣を外して、挙句の果てには考えられない暴挙に出た。
この日の出来事を、ツトムは思い出してしまうと、恥ずかしくなって魔物に全力の八つ当たりをしている。
ツトムは、ナルシスの行動が理解できなかった。
だから今、ナルシスを見殺しにせず、助けた。
「へぇ……かなり深い傷を負っているね。それで仕返しということは、私にあれを……」
「ふざけんな! 誰がするか! く……」
ツトムは会話する余裕を失ってきた。
黄色い障壁が小さくなってきている。
魔力が尽きる直前にまで追いやられているのだ。
「しょうがないわね。もうちょっと生きてやるよ」
見かねたナルシスは、ツトムに寄り添って、腕を伸ばした。
二人の魔力が障壁の力となり、光を打ち消す力となる。
ツトムは体の底から声を発して、全ての魔力をぶつけた。
障壁は色濃くなり、光が粒子となって消滅していく。
やがて、障壁が受けていた圧はなくなり、二人は地面に倒れる。
ツトムは乾いた笑いをし、ナルシスは大きく笑った。
生きていることが、笑いを大きくしていく。
「で、ツトム……あなた戦える?」
「もう限界だ」
「私はまだ動けるよ。はは、今回もナルシスの勝ちね」
「心が強いな。それに、とんでもない戦い方だ。素直に負けを認めるよ。俺を殺すなら、いつでも来い」
「負けを認めてくれたなら、殺しはしないよ。あなたが死んだら、悲しむ人がいる。そうでしょ?」
ツトムは、ゆっくりと仰向けに寝転んだ。
「ナルシスのことを誤解していたかもな」
「これが私の戦い方! 長かったなぁ、ようやく見つけたよ」
「戦い方か?」
「それだけじゃない。色々。これが私の生き方だよ、お姉ちゃん。……ありがとう、ツトム!」
「全然、嬉しくない感謝だ」
「じゃあ、また会いましょう。ツトムの生きる道、応援してるわ」
ナルシスは立ち上がったが、一瞬体勢を崩した。
話の口調から余裕さを感じたが、体調は万全ではないみたいだ。
見ていて心配するような足取りのまま、建物へと消えていった。
手足を大の字して、ツトムは嘆いた。
「正直じゃないな、お互い……」