ヒストリー ラオメイディア―7
メデイアの歌が耳に入ってくる。
ああ、朝なんだな。
起床してからも、まだ眠っている感覚に陥っていて、脳が上手く機能していない。
今日は、メデイアだけが歌っていた。
その歌に、いつもの張りがない。
人を励ます歌詞が、悲劇的に聞こえてくる。
しばらくして、語尾が小さくなっていき、俺の耳でも聞こえなくなっていた。
ウルヴを含めた子供たちは顔を地面に向けて、両膝を手で抱えて座っている。
「ねぇ……なんで」
俺は、儚い声を出したメデイアを見つめる。
「なんで、皆いるのに……先生がいないの! こんなに歌っているのに……どうして起きてくれないの、先生!」
踏み台の上で、メデイアは泣き崩れた。
その悲痛に満ちた叫びは、あの人には届かなかった。
ひたすら溢れる涙を、腕で覆い拭う。
嗚咽と弱々しい呟きが、ただただ存在していた。
宿舎の方から、複数の人物による足音が響いてきた。
草の根を踏みつぶす勢いだ。
「あなたたち、先生はリライズ病院に運ぶから、もう安心よ。大丈夫、あと一年もすれば、帰ってくるわ」
「ふざけんな……ふざけんなよ!」
ウルヴが泣き声よりも大きな怒声で、院長先生に立ち向かった。
「そう言って、あいつらは帰ってきたか! アーテは! オリーブは! リナは! いつになったら、帰ってくるんだよ!」
「命を脅かす病なの。すぐには帰ってこれないわ」
「嘘、吐くなよ! なにが病だ!」
兵士は銃口をウルヴに合わせて、引き金に指を置いた。
俺はウルヴを庇って、前に出る。
「ウルヴ!」
「ああ、撃てよ。撃ってみろよ! 撃てるもんならよ!」
ウルヴは俺を掴んで、馬鹿力で押しのけた。
前進しながら、院長先生の前に出て、自身の胸を叩く。
「先生に学んだ勇気だ。子供だからって、舐めんじゃねぇ!」
「あなた、死にたがりね。銃を下ろしなさい、必要ないわ」
「怖気づいたか」
「ええ、何もしなくても勝手に野垂れ死ぬって分かって」
「貴様!」
ウルヴが振りかざした腕を掴んで、俺は目で訴えた。
勝てない、今は退けと。
「ラオ!」
「ラオくんは賢いわ。先生の授業を、ちゃんと学んでいるわね」
「離せよ、ラオ! こいつは、ここでぶっ潰す!」
俺は拳を固めて、ウルヴの顔面に打ち込んだ。
ウルヴは吹き飛んで、草原を転がる。
「痛いな……ラオの拳。貴様、こんな力を持っていたのかよ」
切れた唇から滲み出る血を、手の甲で拭き取り、鋭く睨んでいる。
俺はウルヴの頭を掴んで、耳に口を近づけた。
「今は、やめとけ! これ以上、死人を増やしてたまるか。黙って、俺の後ろに付いてこい」
「……ああ、そうだな」
院長先生は手を叩いて、笑っていた。
「ラオは生きていけるわね……何もしなければ、だけど」
「うるさい。とっとと去れ! もう、先生の家を踏み荒らすな」
「ふん……私達は帰るわ。あ、そうそう。これを、あなたにあげるわ」
放り投げられた何かを掴んで、じっと眺めた。
「先生の忘れ物よ。あなたに託す、って書いてあったわ。じゃあね」
手のひらに収まっていたのは、黒い手帳だった。
中身を見なくても、誰の物か分かる。
先生が書いていた日記だ。
院長先生は兵士を伴って、宿舎へと戻っていった。
俺たちは帰っていくのを見届けて、佇んでいるだけだった。
焚き火を囲って、10人が夕食を食べていた。
今日も俺が作ったが、楽をしたかったので、カレーにした。
木製のスプーンで、ルーを掬う。
そういえば、このスプーンも、倉庫の武器も、アーテが作っていたんだったな。
アーテとは、ほんの数日しか接したことがないが、同じドワーフの男の子が思い出を語ってくれた。
目の前で、カレーを頬張っているドワーフが、アーテと仲が良かったラフトだ。
眼鏡をかけて弱そうに見えるが、作る武器は質が良い。
何せ、木で出来ているのに、まったく壊れたことがないしな。
一人一人、見渡して、彼らと過ごした日を回想していると、ウルヴが椅子を鳴らして立ち上がった。
「貴様ら、よく聞け! 今日で、分かっただろ……院長先生のこと! どうせ、ワクチンとかいうのも嘘に決まっている」
「でも、院長先生は外に出る僕たちのことを考えて、ワクチンを……」
「いいや、違うな。じゃあ、ワクチンを接種した後に起こる、あれはなんだ! あんな激痛を味わって、ようやく病気に抵抗できんのか? ワクチンなんて必要ねぇ、免疫ぐらい自力で付けろ!」
反論した少年は、黙りこくってしまう。
すかさず、ウルヴは言葉を続けた。
「俺様は、もう耐えられねぇ。いつ俺様が死ぬかってよりは……貴様たちが、いつ死ぬかって方がな、耐えられねぇんだよ。俺様が、全部やってやる!」
メデイアが半笑いで口を挟んだ。
「とことん馬鹿だね。ラオに殴られた、あなたが勝てるの? 院長先生に」
「一発、殴れば怯むだろ。その隙に、ボコボコだ! まあ……ありゃ、無理ってもんだろうがよ」
自分で言って、自分で気付いたか。
馬鹿と言えども、ウルヴは強い。
相手の底力を自然と感じ取る。
俺が感じた奴の力は、紛れもない真実か。
けど、可能性はある。
「なあ、ウルヴ。目標を切り替えた方が良い」
「目標を切り替えるだと?」
「奴を倒すのは、最終目標だ。今の俺たちじゃ勝てない。いつまでも、ここにいては強くなれないと思う。魔物の数も減ってきた。だから、一度脱出しよう! ここから!」
「ラオ……名案だな!」
「誰でも思いつくはずだが。ま、ウルヴの代わりに学んだ頭脳がある。だから、俺にも手伝わせてくれ。院長先生を倒すのを……それから、もう犠牲が増えないように、奴らの組織も潰すことも!」
ウルヴは歯を見せて、大笑いした。
「いいぜ! ラオが加わってくれたら、強さ倍増だ!」
「だったら、あたしが加わったら、強さ何倍になるの?」
メデイアが、ウルヴの胸を小突く。
肩を上下させ笑ったウルヴが答えた。
「さあな、強くなりすぎて何倍になったのか分かんねぇや!」
「メデイア、いいのか?」
俺は、メデイアが心配だ。
だからこその発言なのだが、いつもの強気な少女の姿がそこにあった。
「無念は行動で晴らす! あたしは”戦う歌姫”って呼ばれたいの! そしたら、人気になるでしょ?」
「だけど……」
「外に出て、ファンを増やしたいの。それに、あたしの歌は組織を潰すための人集めに役立つはず。それに戦いの腕なら、ラオがよく知ってるでしょ。覚悟だって、ウルヴに負けているつもりはない」
「ラオ! 俺様が守ってやるから、安心しな。ほら、いつものチームで行くぞ!」
「はぁ、無茶はしないでくれよ」
「なあ、俺にも手伝わせてくれよ」
「私、先生のことを想うと力が湧いてくるの! 手伝うよ、ラオたちのこと」
「ずるいぞ! ヒーローぶりやがって! 僕だって、ヒーローになりてぇんだ!」
「俺たちだけ待ってろ、ってか。ずいぶん、扱いが酷いじゃねぇか」
黙っていた子供たちが一斉に立ち上がった。
その気迫に圧され、皆で協力することを誓った。
こいつらも、狩りで鍛えられた力がある。
世間知らずな孤児だから、どのくらい強いのか知らない。
だからかもしれない。
俺たちがどこまでいけるのか、試してみたくなるのは。
ここで止まっている場合じゃない。
どっちにしろ、ここにいては奴らに殺される。
残された道にあるのは、抗うことだ!
翌朝に、決行された。
思い切りの良さだけは、誰にも負けない孤児たちだ。
これも先生の影響かもしれない。
「なんだぁ、異常って」
宿舎に、兵士が一人入ってきた。
何人も連れてくるかと思ったが、まさか兵士一人とはな。
だが、好機だ。
俺が静かに指示を送る。
一人の子供が、宿舎の外を指さして「大変だ!」と叫んだ。
そして、宿舎の扉から人影が現れたタイミングで声を張り上げた。
「今だ! 飛び掛かれ!」
宿舎の屋根から、孤児たちが兵士目がけて、襲いかかった。
結果は一目瞭然。
気絶した兵士の身包みを剥がし、手足を縄で拘束した。
これで、しばらくは何もできない。
俺とメデイアは使える物を持っていないか、衣服を漁った。
やがて、兵士が持っていた物で一番欲しかった目的の品が出てきた。
「地図だ。……思った通り、広いな」
ベッド半分ほどの大きさになった紙には、この孤児院の全体図が簡略化したものが描かれていた。
理解しやすいよう、俺たちがいるエリアに赤丸が記されている。
となると、ここが兵士の詰所……ここが研究室。
赤丸がここにあるから、俺たちは地下三階にいるのか。
とにかく構造は把握した。
あとは、どう攻めるかだな。