ヒストリー ラオメイディア―2
昼過ぎ、どこからか響いてくる綺麗な歌声で目を覚ました。
どうやら、先生に名前を聞いてから疲れて眠ってしまったようだ。
先生は俺に毛布を掛けて、どこかに行ってしまった。
ベッドから抜け、透き通るような声がする方向へ歩いていく。
ほとんど無意識だった。
何かに導かれるようにして、木の建物を出ると。
「なんだ、これ……」
鳥が飛翔し、木々が乱立する森がそこにあった。
草原が見渡す限り存在し、奥の方では子供が追いかけっこをしているみたいだった。
ゆっくりと周りを観察しながらも、声に導かれていく。
巨大な木の根っこが地表にはみ出し、全身を使って登っていった。
小柄な体型の俺は息を荒くしながらも登り切って、そこから続く草の道を歩く。
やがて、暖かな日の光が体を照らした。
岩に跳ね返る水の音も聞こえてくる。
途中の小川を飛び越えて、見えてきたのは崖だった。
そこに一人の影がある。
この歌声を発しているのは、あいつだ。
そう思い、腕を振って走った。
『私は生きている。生きている内に、何かを変える。最初は小さなことをやって、誰かを笑顔にしたいんだ。最後は大きなことをやって、世界を笑顔にするんだ。だから、私は生きるんだ』
「お前が歌っているのか」
海に向かって歌っていた少女は、俺の声を聞くと振り返って、近づいてきた。
人間の女の子だ。
「あなたが、ラオね。あたしはメデイア。先生から、あなたのことを聞いているわ」
「お前の歌、聴こえてきて……」
「もしかして、うるさかった?」
首も振って、手も振って大忙しで否定した。
「違うんだ。その……とても、きれいだった」
メデイアは見開いて、口に手を近づけた。
「えっ!? そ、そう。嬉しい、な」
「初めて、歌というのを知った。これが本物の歌、なんだって分かった」
「ちょっと!? は、恥ずかしくなってきた」
目を泳がせて、手をくねくねさせる彼女は顔を赤らめていた。
俺も恥ずかしくなってくる。
メデイアは恥ずかしさを打ち消すようにして、自分の夢を語り始めた。
「あたしね、ここを出たら歌手になるんだ。それも酒場で歌うなんてスケールじゃなくて、世界を旅しながら歌い続けるの。あたしの作詞であたしの歌声で……人々を笑顔にするんだ」
「お前も孤児なんだよな」
「……そうよ。親はあたしを育てられなくなって、捨てた。あたしは寂しくなって、酒場の裏で座っていたの。そしたら、中から歌が聴こえてきたんだ。その歌はとっても暖かくて、あたしを守ってくれているように感じた。だから、あたしも誰かを守りたい。誰かのために歌いたいんだ」
胸に手を当てて、嬉しそうにはにかんだ。
俺は信じられなかった。
歌にそんな効果があるなんて。
けど、彼女の瞳は輝いている。
誰にも穢すことのできない夢なんだと理解した。
俺にもそんな夢ができるのかと悩んだが、解決できそうになかった。
「あたし、皆に聴こえないようにここで歌っていたのに。あなた、耳いいんだね」
「生まれつき、聴覚が優れているみたいなんだ」
「へぇ。日も暮れてきたし、そろそろ帰りましょ。もうじき、夕ご飯の時間よ。ここにいる皆は優しいから、あなたのこともすぐ受け入れてくれるわ。それと、あたしたちの料理、豪華だから、そこんとこよろしく」
それは楽しみだ、と頭の中で考えた。
この言葉を口にするには、もう少し打ち解ける必要があったのかもしれない。
しかし、既に俺は変化していた。
彼女に話しかけた時と比べて、最後はスラスラと口を動かせた。
次第に、俺の中の常識が塗り替えられていたのだ。
人間の彼女と竜人の俺。
決して交わることはない種族関係だったはずなのに。
その上、俺は人嫌いな性格だったのに。
帰り道、彼女の隣に並んで歩いていた。
何か話しかけるべきかと思考した途端、俺の脳裏にある考えがよぎる。
「お前の歌声は綺麗だ。これからは皆の前で歌えばいい」
「ば、バカなの!? そんなの、皆怒るよ……」
「ここにいる皆は優しいって、お前が言ったじゃないか。練習するなら、人がいるところでやれ。でないと、歌が聴こえない。恥ずかしいなんて言っていたら、いつまでたっても歌えないぞ」
自分でも、この言動に驚いていた。
ここまで人の事を考えたことがあっただろうか。
思えば、彼女から”人間性”というものを得たのかもしれない。
メデイアは戸惑いながらも答える。
「そ、そんなの分かってるよ! 分かってるけど……」
「俺も練習に付き合おう。最初は小さなことから始める。まずは、俺を客の一人に見立てて歌うんだ。練習は明日、朝だ」
「ラオ……意外とウザイ性格なんだね」
「こうでもしないと、メデイアは動かなそうだ」
俺が先頭に立って歩くと、後ろで小さく呟いた。
「……ありがと」
「素直だな」
「そこは聞こえちゃダメでしょ!」
「生まれつき、聴覚が優れていると言ったはずだが」
「今度からは心の中で言ってやる」
「聞き逃さないようにしないとな」
俺が眠っていた宿舎の前では、焚き火を囲って椅子が用意され、子供たちが座っていた。
俺らに気付くと子供たちは手招きして、やたらと座らせたがった。
落ち着かない雰囲気のまま、肩を押されて椅子に座る。
宿舎の中から、お椀が次々と運ばれてくる。
一人の男の子がお椀を持って、俺の前に立った。
見た目は人間なのだが、犬のような耳を立てて、灰色の尻尾が股の間から覗かせていた。
「よう! 俺様の名は、ウルヴ! よーく覚えておけよ、ラオ!」
おずおずとお椀を受け取るが、聞かずにはいられなかった。
「その姿は……」
「魔人の人狼だ! ここに来る前は狼男っていう名前だったんだがな、先生に別の名前を与えられた」
孤児院に魔人がいるとは思わなかった。
彼らがあまりテルブル魔城の外へ出ることはない、と聞いていたのだ。
こいつも何かがあって、孤児院に来たんだろうなと察して、これ以上言及することは避けた。
「そうか」
「なんだよ、興味ないのかよ俺様に」
「そうは言ってない。話したくないだけだ」
「そうかぁ、そういうことか」
「なんだ?」
俺は早く食べたいのだが。
そう思いながらも、とりあえずウルヴに付き合ってみた。
「ラオ、戦いで相手を理解するタイプなんだな」
「何を言ってるんだ。お前のお椀をひっくり返すぞ」
「言葉でなく、拳で理解させるってことだ! あと、食べ物を粗末にするな」
お椀の中身は、大きさがバラバラの野菜が入ったシチューである。
明らかに子供が作った料理だったが、腹と喉はこいつを欲しがった。
「ラオ、勝負だ!」
「めんどくさい、一人でやってろ」
「一人でできるわけないだろう、貴様はアホなのか」
「……付き合ってられん」
ここで宿舎から出てきた先生が止めに入った。
「まあまあ……ウルヴ君は落ち着いて、椅子に座ってくださいね。さあ、手を合わせましょう」
「な、なんだ?」
先生の言葉に続いて、一斉に手を合わせ始めた。
俺はまだ、この意味を知らず、ただただ困惑していた。
この時も、先生が優しく教えてくれる。
「食べる前の儀式です。手を合わせて、いただきますと食材に感謝するのです。そうしないと、食材の悪霊が憑りつき、お椀が取り上げられます」
「こ、これは絶対にやらないとな」
「僕の言葉に続いて、言ってくださいね。それでは……いただきます」
「「「いただきます」」」
今では先生の嘘だと知っているが、こうでも言わないと俺は動かなかっただろう。
スプーンを初めて持ち、ゆっくりながらも食べることができた。
今まで食べてきたものが、どれほど酷い物だったのか、ここで知ることができたのだ。
食べ物がこれほど人を幸せにするんだと考えると、目頭が熱くなっていた。
これほど充実した食事は生まれて初めてだった。
月が、宿舎を照らす時刻。
食器や椅子を片付けて、宿舎に帰ろうとした際、先生に呼び止められた。
「ラオ、良かったら僕の授業を受けてみませんか」
「授業?」
「ええ、僕も先生と呼ばれている以上、君たちに何かを施したいのです。ぜひ、協力させてください」
昔の俺は授業というのを知らなかった。
だから、先生の後を付いていく。
「授業って何だ?」
「お勉強です。君たちが外に出ても困らないように、知識を習得させます。学んで、損はありませんよ」
とりあえずに素直に従ってみた。
連れて行かれた先には、子供たちが地面に仰向けで寝転んでいた。
先生が来たことを知った子供は、上半身を起こして「せんせい!」と叫ぶ。
子供の正面には、ホワイトボードが置かれている。
何をする気なのか。
「君はここに」と促されて、草原に座り込んだ。
当の本人はホワイトボードの横に立って、子供たちに目配りしながら話を始めた。
「君たちに夢はあるかな。皆に自慢できる夢。僕は、親が経営する会社の後取りとして育てられたんだ。けれども、僕はその仕事が嫌でね。教師になりたかったんだ。人の人生に大きく関わる職業、だからこそ僕は教師として指導する立場になりたいんだ。これが僕の夢の一つだよ」
先生の屈託ない笑顔で、思わず応援したくなった。
夢を聞いた子供が、挙手して発言していく。
皆は、俺の知らない単語ばかりで発表していくけど、彼らの目は本気だった。
そして何より、楽しそうだった。
メデイアは歌手になりたいと言葉にして、ウルヴは困っている人を救う狩人になりたいと豪語する。
しばらくして、自分に番が回ってきた。
「ラオは何かあるかい?」
「俺は……」
何も思い浮かばなかった。
自分が世界を知らないからでもあるが、メデイアのように”誰かのために”と考えることができなかったのだ。
先生は穏やかな表情で、提案をしてくれた。
「今日から皆を観察して、良いところを見つけなさい」
「それに何の関係が」
「他人は自分の映し鏡、です。良いところに気付けるというのは、自分が”良い”と知っているからです。良いところに気付いていけば、それが自分の本質であり、自分に必要な点です。夢は自分の良いところを自覚した先にあるものです」
「はぁ……」
「難しく聞こえましたか。焦らなくて大丈夫です。皆の夢も長い年月をかけて見つけたものですし、夢はいくつあってもいいんですよ。他人を観察することが、僕からの宿題です」
先生の言葉は、脳にすっと入ってくる。
聞きたくないと思って壁を建設しても通り抜けてくるぐらい、腑に落ちた。
今から、皆の観察を始めた。
それまで狭まっていた視界が広くなっていく。
子供の数は全員で13人。
俺の夢を聞きたくて仕方がないという表情で見つめてくることに今、認識する。
すぐに顔を伏せて、舌打ちした。