ヒストリー ラオメイディア―1
名前はおろか、言語さえまともに話せなかった。
親は俺をなんと呼んで、愛そうとしたのか。
いや、二人の間に愛はあったのか。
父と母は、デザイア帝国の市街地へ赴き、何かを盗んでは家とは呼べないオンボロ小屋で生活。
俺は、親が盗んできた食料の残り物を食べさせられていた。
俺の家がある旧市街地に新しいものはない。
後に目にした【名無しの家】……それよりも、新都リライズ【第0番街】に似ている。
病気が蔓延り、医者もいないし薬も置いていない。
食料もない、外から人が来ることもない。
ここにいる者は、市街地で罪を犯した者ばかり。
ということは、俺の親も立派な罪を背負っている。
法に背いた者の末路。
親が交わす会話の端々から推測する。
デザイア公安総局、六星騎士長の一人を暗殺したそうだ。
十歳を迎えた朝。
竜人の平均寿命が120歳と言われているため、俺はまだまだ子供だ。
前日、両親は市街地に出かけて帰ってこなかった。
いつもなら夜には帰宅して、残飯を食べているはずなのに。
朝、食べ物が落ちていないかと探し求めていると、突然空腹と激しい痛みが襲ってきた。
さっき拾った生肉の欠片がいけなかったのだろうか、それとも日々の生活によるものなのか。
最近になって覚えた言葉「助けて」を唱えて。
これを言えば、誰かが助けてくれると思い込んでいた。
旧市街地といっても、元貴族や騎士の者も流れてきている。
善良な心を持ったものが少なからずいたのだった。
俺は何度か、そういう人たちによって助けられている者を見た。
だから「助けて」を選択した。
ただ、最悪なことに雨が降っていた。
周りに人はいない。
建物内で雨宿りしているのだろう。
俺はレンガの上でうずくまっているばかりだった。
「あなた、私の孤児院へ来ない? 温かい食事と場所を提供するわ。……と言っても、分からないかしら」
地面につけた顔を上にあげて、声の主を確認した。
「だれ、だ?」
「私の名前は乃異喪子。あなたを育ててあげるわ」
「う、うぅ」
「先生! 目を覚ましたよ! せんせーい!」
瞼が重い。
どうやら、ノイモコという人物に眠らされていたようだ。
体に不調はない。
起き上がって、目を擦りながら、周りを見渡した。
自分と同じ体格の子供たちが、俺を囲んでいたのだ。
俺はベッドで寝ていた。
初めて柔らかい布の上で寝たから、この感触に囚われそうになる。
もう一度、肌触りを確認しようと二度寝をしようとした。
俺を見ていた子供は、突然笑顔になって、足音のする方へ体を向けた。
「先生!」
「ありがとう、君たち。彼を看病してくれて。優しいね」
「えへへ!」
褒められた子供たちは、とても嬉しそうだった。
先生と呼ばれる人物は落ち着く声で褒め、子供たちの頭を撫でていく。
撫でられた子供は、他の子を連れて部屋の外へと飛び出していった。
今、部屋にいるのは俺と先生だけだ。
先生に視線を向ける。
きっと、その時の俺の目は……鋭く睨みつけていただろう。
笑顔というコミュニケーションを知らなかったからだ。
「こんにちわ。聞こえていますか? 君、朝から何も食べていなさそうだね。リンゴ、剥いてあげるね。……そう、心配そうな目で訴えないでくれよ。大丈夫、リンゴの皮剥きなら得意だから!」
「…………」
返事なんてできなかった。
初めて見たんだ、俺という存在を認める目で話す人物を。
初めて見たんだ、どこもかじられていない新鮮なリンゴを。
「どう、美味しいでしょ。このリンゴはね、彼らが育てたんだ」
「おい、しい……」
「君、竜人だね。頭に黒い角、あるからね」
果汁が溢れる一口サイズのリンゴを頬張る。
シャキシャキと鳴る食べ物なんだと知った。
先生は俺が食べきるまで、じっと見守ってくれた。
内心、先生を恐れていた。
初めて見る表情が優しくもあり、不気味さもあるから。
何事もなく食べ終わった時、先生はいくつか質問をしてきた。
「君、名前は? 年齢は?」
「あ、えっと、名前は」
「焦らなくていいよ。……もしかして、名前がないのかな」
言葉が詰まり、顔を俯けた。
名前があることが常識だと思っていたから、胸が痛くなった。
やっぱり、両親が名前を付けるんだ。
「君に名前を与えるよ。君と仲良くなりたいんだ。どうかな?」
「俺に、名前……だと」
「そうだなぁ」
先生は手に持っていたノートをめくっている。
目を上から下へ動かし、次のページへ進んでいく。
数ページ進んだところで、指を置き。
「これにしよう。君は今から、ラオ。ラオという名で生きていくんだよ」
「らお? らお。ラオ……」
不思議と、この名を受け入れることができた。
親でもない人物、それも今日会ったばかりの人間に与えられた名前だ。
普通なら受け入れることはおろか、先生を拒絶するだろう。
ただ、本心は先生を受け入れた。
覚え込むように、自身の名前を反芻した。
「ラオは、僕のおじいちゃんの名前さ。何だか、君がおじいちゃんに似ていたんだ。なんていうんだろうなぁ、雰囲気? おじいちゃんはさ、何事にも厳しいんだけど、何事にも愛をもって取り組む人だったんだ。けど、意外な一面があってね。孫の僕にだけは、めちゃくちゃ優しかったんだよ」
「あ、あの……」
「ああ! 喋りすぎたなぁ、ごめん。何か聞きたいことがあるんだろ」
先生は頭を掻きながら笑った。
俺は質問する。
「俺、ここがどこか、分からない。お前の、名前も、分からない」
「あ、そういえば名乗るのも忘れていたよ」
先生は側にあった丸椅子を引き寄せ、腰を落とす。
「ここは孤児院。さっきの子供も君と同じ、孤児なんだ。親に捨てられた子や、戦災孤児だったり。ここに来る理由は様々だ。孤児院っていうのは、幼い子供を育てる施設だよ」
「親、でもないのに?」
「君にとっても、あの子たちにとっても僕は親じゃない。だけど、僕は君を助けたい。あの子たちの親代わりになりたいんだ。僕は本当の親じゃないけど、君たちに色々と教えることができる。だから僕は、ここで先生をしているんだ」
「せんせい……?」
「そうだよ」と頷く。
「僕の名前は、天国進。先生って呼んでくれると嬉しいなぁ」
爽やかな青年、思わず釣られて微笑んでしまう笑顔、細身のスタイル。
「先生……」
ラオメイディアの話は二話程度で終わらせようと思っていたのですが、予想以上に話数が増えました。八話ほどです。なんとかしなければいけませんね。