一葉落ちて天下の秋を知る
「おはよう、秘書ちゃん!」
「おはようございます、ラオメイディア社長」
ラオメイディアは入り口の秘書に笑顔を向けながら、コーヒーを啜っている。
オフィスチェアに体を預け、目を閉じていた。
今日やるべきことを脳内で整理整頓しているのだ。
それと、深呼吸。
自律神経を整え、リラックスしている。
コーヒーを飲み終わった後のルーティン。
これが傭兵派遣会社を支配するボス、ラオメイディアだ。
立派な机の上はいつも整頓されており、左の壁一面を占める本棚も隙間なく本が詰まっている。
それに、この部屋の埃や汚れた所などを見つけることの方が難しい。
それぐらい、念入りに社長自身が毎朝、掃除している。
大の掃除マニアと言ってもいいぐらいだ。
リライズ製の掃除用具を持って、他の部屋まで掃除に行くほどだ。
ついでに、社員(傭兵)とコミュニケーションを交わす。
……私がいる必要があるのだろうか。
居心地が悪いわけではないが、はっきりと言うと役に立てていない。
スケジュール管理は社長自身がするし、交渉事も社長。
視察にもついていくが良い点、悪い点を社長の観察力で発見し、改善させる。
完璧すぎる社長だ。
部下にも愛され、話も上手い。
何より、部下のやる気を引き出す能力。
才能を見出し、発揮させるのが抜群に上手いのだ。
その上、適材適所に設置させ、見事に業績は上げた。
私は、この会社ができる前から社長の秘書を務めていたから分かる。
この人は間違いなく天才だ。
戦闘も運営も支配も。
どこでこれほどの能力を身につけたのだろうか。
これら全てが天賦の才だと言うのか。
社長室の一角に秘書のスペースがある。
自分の机に鞄を置いて、仕事を始めた。
コンピューターの電源を入れて、起動するまでに思考する。
思えば、私が誰よりも社長の身近にいる人物。
付き合いも長い。
掟を破って、森を出た私にできることは少なかった。
世間では絶滅したとされる種族。
――エルフ。
人間と比べると身長が低く、何より耳が長いことが特徴だ。
それに戦う術を知らなかった。
あの日、森を出れば自由だと思った私に襲いかかってきたのは、自然だった。
森周辺の魔物は強く、武器を持たない丸腰の私に何ができようか。
スキルも碌にない、レベルだって1のまま。
この目で動く魔物を見たのは、その日が初めてだったのだ。
走りにくい地表、太い木々が行く手を阻み、何より逃げる力が尽きていた。
生まれて初めての全力疾走。
絶体絶命かのように思えた。
狼の魔物が目前まで迫った時には、気を失っていた。
楽に逝けるように、という脳の粋な計らいだ。
目覚めると、街の宿屋にいた。
ラオメイディア社長とは、そこで初めて出会った。
信じられない量の食料を持って、部屋に入ってきたのが驚きだ。
聞けば放浪の旅をしているのだと言う。
たまたま、その森で狩りをしていたようだ。
これが運命だと彼を見て、そう思った。
打ち解けるのも早かった。
社長の気持ちが直に伝わってくるような喋り方。
”はやく本音で語り合いたい”と。
気付いた時には、私の全てが支配された。
いや、私自身が支配されたがっていたのかもしれない。
エルフは外界と拒絶する生き方をしている。
だから、エルフ以外の種族を”魔物”と捉えるのだ。
たとえ、人間だろうが竜人だろうがエルフの前では魔物と同然。
そういう教育を施されるのだ。
外に出ても、その考えは変わらないと思っていた。
「どうしたの、秘書ちゃん? 今日は一段と暗い顔をしているね。周りに人がいなくても笑顔でい続ける方が素敵だよ。でないと、せっかくの美貌が台無しだ」
「すみません、社長……その、今日は何をすればよろしいですか?」
「そうだなあ、世界の情報を収集してもらったよね。とりあえず、分かりやすいようにまとめておいて。それと、研究所からの報告も頼むよ」
「かしこまりました、社長」
椅子に座って、キーボードに指を走らせる。
画面には、文字と時々画像や図が挿入されていく。
いつも単調だ。
好きな時に出社していいし、退社してもいい。
それなのに破格の給料。
おかげで、新都リライズで最も有名な土地に豪華な家を建てた。
周辺は政治家や有名人がずらりといる場所。
服だって好きなだけ買える。
欲しいものは何だって買うことができる。
秘書としている限り、借金することはなさそうだ。
傭兵派遣会社といっても取り扱っている事業は、傭兵派遣だけではない。
おそらく、リライズに住む者達にとって、なくてはならない存在になっている。
やたらと豪華な昼食も食べ終わり、仕事を再開した私に社長が声をかけてきた。
「君の仕事が終わったら、僕に知らせてね。一対一で話したいことがあるんだ」
「しゃ、社長? それなら、今でも……」
「仕事が終わってから、だよ。じゃあ、よろしくね!」
笑顔を浮かべて、自分の机に帰っていく。
私は歯切れの悪い答えが返ってきて、呆然とした。
いつもの社長ではないような雰囲気がした。
なんだか、覚悟した口調だったように思える。
私だけが気付ける違い。
さっきの笑顔は、いつもと異なる笑顔だったこと。
悪い予感がして、呼吸がいつもより浅くなる。
肺に酸素が入っていかないみたいだ。
キーボードを打つ指が震えていた。
それでも、普段通りの速さで文字を打ち込んでいく。
ラオメイディア社長に仕えているのだ。
失敗などできない。
「社長! 私と話したいこととは?」
建物の最上階に位置する社長室。
すぐそばにはヘリポートが設置してあり、いつでもヘリで発てるようになっている。
しかし、ヘリは呼んでいないので巨大な離着陸場は寂しかった。
社長が縁まで歩き、私を招いている。
風が吹いており、髪が時折乱れ、手で押さえながら歩を進めていく。
ようやく、社長の側まで来ると。
「秘書ちゃん……いや、ネモフィーラ」
「社長……?」
社長の声が語尾に近づくにつれ、低くなっていく。
先ほどから感じていた悪い予感が、徐々に目に見えてくるようだ。
まさか、私を解雇……。
「予感していたかもしれないけど、君を解雇する。今日限りで、君は……この会社を去ってもらう」
「わ、私! まだ、社長のお側で」
「分かっているよ。とりあえず、僕の話を最後まで聞いてもらえると嬉しい。会話はターン制バトルで成り立つ、って言うでしょ」
「聞いたことないです」
「……うーん。ま、言いたいことは分かったでしょ。ここからは僕のターンだ」
そう言って区切り、私に向き直る。
私を見つめるその瞳は輝く赤色をしていた。
「解雇と言っても、仕事は続けてもらう。ただ、僕の会社を引き継いでほしいんだ。君を、ネモフィーラを社長にしてね」
「私が社長に」
「僕は、これから起こり得る未来を予測して計画を立てた。そこで、君に動いてもらいたいんだ。これは……いずれ、人類存続のために役立つはずだ」
そこから、社長は口を動かし続けた。
身振り手振りで、私に計画を話し続ける。
時には理解しやすいよう、タブレット端末を取り出して。
社長が予測した未来は信じられないことだらけだった。
ただ、その未来に進みつつある証拠を述べているのだ。
先を見通す社長に間違いがあるとは思えなかった。
不可解な全貌に内心、怒りが湧き始めたが聞き続けたことで納得させられた。
だがなぜ、私にこの話をしたのか。
話し終わった社長に突きつけた。
「……エンタープライズに負けるからですか」
「やはり、鋭いね。僕はこれから全力で奴らに挑む。総力戦だ。僕は……」
「やめてください! それ以上……言わないで」
「”死ぬ”とは言っていない。”負ける”とも言っていない」
俯いた顔を上げると、私の手が掴まれていた。
手が自然と両耳を塞ごうとしていたのだ、聞きたくないがために。
社長が口を近づけて。
「僕は、まだ生きたいんだ。そのためには勝つしかない。次の時代に進むため、歩き続けなければならない。……ネモフィーラ、あとは君に託す」
「分かりました、社長。でも、私なんかが」
「君が一番、僕の側にいたじゃないか。僕みたいに振舞えばいいんだよ。それとも、まさか……何十年と秘書をしていて、僕の”ものまね”ができないのか?」
笑って、しゃがんでいた私を立ち上がらせ、肩に手を置いてくれた。
その手は温かい。
「ネモフィーラ……例の場所で、既に優秀な人材を待機させている。それと、計画のこと……時期が来たら、ミミゴンに話してやってくれ。きっと味方になってくれるはずだ。分かったね?」
「はい、社長! お任せください!」




