106 精神的外傷
「レイラン! あそぼー!」
「おい、レイラン! 起きてないのか、おーい!」
下から子供の声が聞こえてくる。
女の子と男の子の二人が生み出した叫び声が、俺の脳を覚醒させた。
寝惚け眼を擦りながら、ベットから起き上がり、窓を勢いよく開け放つ。
「うるさーい! ミウ、エイデン! こんな朝早くから、遊べと!」
「起きるのが遅いんだよ。もぅ!」
と、むくれているポニーテールの女の子が「ミウ」。
「今日の鬼は、レイランな!」
と、意地悪そうな見た目をしている男の子が「エイデン」。
森林に覆われているマギア村は、魔人と人間のハーフが集団となって暮らしている。
それは堂々とではなく、隠れ住むように。
村の中央を支配するように、俺の家があり、村長の家。
村長の家には、代々受け継がれてきた『光の玉』があり、それによって村への魔物侵入を防ぐ他に、村の外からでは認識できない効果もある結界を張れる。
これで魔物は疎か、外部の人も入れないようになっている。
村がここにあるなんて、絶対に分からない。
なぜ、そんな暮らしを俺らは営んでいるのか。
おかげで俺や子供たちは窮屈な思いをしている。
だけど仕方のない事だ。
人間と魔人……他種族同士の混血が世間では差別の対象となる。
俺らが村の外に出れば、魔物に加えて、人も敵になる。
敵にならない奴なんているのか。
信じられるのは……この村の人間だけ。
10歳の子供同然である俺が、そう思うぐらいだから異常だよな。
世界は今日も、俺たちを目の敵としている。
今日も、いつもと同じ予定で進行していく。
朝食を食べて、年下のあいつらと遊んで。
村の人間が生まれつき使える魔法、それと『魔法剣』という剣に魔法を纏わせるスキルを、教官の下で特訓する。
教官のとにかく厳しい訓練で、『魔法剣』の持続時間や扱える魔法の数を増やしていく。
そして世界の歴史についても学び、村周辺の魔物も学ぶ。
いずれ大人になったら、狩猟者となって村のために尽力しなければならない。
厳しいのも生きるためなんだと思えば、耐えることができた。
現在、木の柵の中で「魔物狩り」が行われている。
子供一人ずつ、教官付き添いで外から連れてきた魔物と戦う訓練。
予め狩猟者が弱らせて捕獲するから、一人ひとりに合わせて魔物レベルを合わせる。
俺とエイデン、ミウは柵の外で見学している。
中では、家の近くに住んでいる子が泣きながらも立ち向かっていた。
「正体がバレなかったら、外の世界でも生きていけるんだよね」
「ん? ああ、そうだな。人間と魔人のハーフじゃないってことを隠しながらな」
ミウの質問に、困惑しながらも答える。
どうしたんだ、突然。
「なんで、だめなの。私達、悪いことした? ……息苦しいよ、こんな村」
「昔、旅人であった人間と、少女の姿をした最恐の魔女がいたんだ。その二人が産み落とした存在……それが俺たちだ」
「ただ、それだけだろ。ったく、分かんねぇなぁ。なんで混血の種族は受け入れないんだ! ていうかよ、いったい誰が教えてんだ? 混血はダメだ、ってよ」
確かに気になる。
いや、答えは分かってる。
「俺らと同じ歳に、教育で教えられるのだろ。勝手なイメージで」
「次、テル・レイラン! どうした、お前が怖気づくような”人間”か」
「いえ……」
泣きじゃくる子供と入れ替わるようにして、柵の中に入っていく。
俺らは”人間”扱いされている。
魔人よりも人間の方が、普通だから。
このどうしようもできない怒りを、猪型の魔物にぶつけてやる。
「すごい、暴れっぷりだったね、レイラン!」
「『魔法剣:炎』も炸裂してたな、レイラン! すげーよ、さすが次期村長だ」
ミウとエイデンが褒めてくる。
親父が死んだら、次の村長は俺か。
その思いは一瞬、並んで歩く二人に視線を向ける。
こいつらもすごいけどな。
お得意の魔法を放って、突進されても避けて。
おかげで、服が泥だらけだ。
「魔物狩り」で泣かなかったのは、俺たち三人だけ。
他にもいるけど、勇敢な心がある俺らが一番強いと言える。
いや、恐れしらずなだけかもな。
教官がいるってだけで安心している。
大人になって狩猟者になれば、そんな便利なのはいない。
あるのは自分の実力。
成長するためには努力するしかないのか。
三人は家路をたどっていると、遠くからいくつかの足音が重なって聞こえてくる。
その足音は急いでいるようで、テンポが速い。
どうやら狩猟者数人が、村長の家を目指して走っているみたいだった。
家の中へ入っていくのが見えて、三人は当然気になった。
「な、なにかな。今の狩猟者だよね」
「確認しよう。何か起こっているのかもしれない」
三人は盗み聞きしようと玄関前で待機し、家の中へ耳を澄ませる。
ふと空を見上げると雲は暗くなっていき、雲行きが怪しくなった。
さっきまで照らしていた太陽光は、雲に隠される。
今にも雨が降り出しそうな黒い雲は、災難を訴えているような気がした。
「武装した集団? 外から?」
村長の声は、怯えるように緊張している。
声の調子から、嫌な内容だというのは子供でも分かる。
「ええ、それも……一直線にこちらへ」
「ばかな、村は見えてないだろう。この通り、光の玉は今日も守っている」
「迎え撃つ用意をしましょう。あれは……魔物狩りではない。確実に俺らを……」
「……狩猟者を全員集合させ、装備を確認しろ。それから子供たちと戦えぬ者は、反対側から逃がす。早く動くぞ!」
「はい。……レン! 鐘を鳴らせ! お前たちは付いてこい!」
家から、狩猟者が駆けていく。
俺たち子供には気付かず、そして大声で叫ぶ。
「皆さん! こちらに集まってくださーい! 緊急事態です! 早く!」
絶叫に近い声を発しているが、状況を把握できていない者は動こうとしない。
だが、村中に響く金属音が村人の脳内を活性化させた。
鐘が鳴り響き、大人は子供を連れて、狩猟者のもとへ走っていく。
「ミウ、エイデン! 俺たちも行こう!」
「分かってる!」
二人が頷いたのを確認して、避難している人たちの列に並ぼうとすると……空が歪み始めた。
黒い雲と青いの日光が混ざり合っているが、一つになろうとはしない。
もしかして、結界が攻撃されている?
直後に、大きく揺らす地響きに襲われた。
一瞬、体が浮いて上手く着地できず、転倒していた。
皆も同様だ。
足腰が鍛えられた狩猟者は耐えたみたいだが、次の瞬間には狩猟者が爆発して後方に大きく吹っ飛んでいく。
あれを食らって、生きていられるわけがない。
それが理解できるほど、不思議と冷静になっていた。
そして”死体”は遥か彼方から、俺の側を通過して建物の壁に激突した。
衝撃は全身に走り、目玉は飛び出し、頭蓋骨は割れて脳みそが噴き出す。
血と脳漿が混ざった池をつくり、死体は沈んだ。
俺たち三人は攻撃されたわけではないが、その眺めは強く精神に作用した。
「きゃあ! 助けてー!」
「うっ……おえっ。う、く……うう、はしるぞ……」
軽く嘔吐したが、俺は二人を守るようにして肩を寄せ合い、攻めてくる反対側へ逃げていく。
狩猟者が先導し、森につながる道を指さして、声を上げる。
後ろを振り返らぬよう、必死で歩き続けた。
爆発音と悲鳴、それが連続して響いてくる。
逃げ道に人がやってくる様子はない……はやく、はやく!
今も空から狩猟者が降ってきて、妨害するように着地する。
胴体に大きく穴があけられた……既に死人だった。
「目を閉じろ」と囁いて、二人にこの光景を見させないようにする。
俺だけで構わない……こんなのを見るのは。
そして、唐突に狩猟者の声が響き渡る。
「ま、前からも! ぐぇ」
あと、もう少し……坂を上れば、森に逃げられる。
だけど、その道は頭を撃ち抜かれたことで排出される血で染まっていた。
先導していた狩猟者を筆頭に、その後ろに続いていた避難者に弾丸が加速していく。
大人の女性は抵抗することもできず、胴体に数発、撃ち込まれ。
子供は、どうすることもできず泣き叫ぶ。
「魔物狩り」の時以上の声量で。
前から、アサルトライフルを両手で構え、次々と相手目がけて連射している。
こいつら、既に回り込んでいやがった。
二人の手を引っ張り、後退する。
俺たちは見つかっているが、武装集団はこちらに銃口を向けない。
どうやら、先に大人を射殺しているようだ。
狙いは子供?
荒れ狂う弾丸の嵐は戦場を出現させ、あちこちで魔法攻撃や爆発が起きている。
いや、こんなの戦場じゃない。
一方的な虐殺だ。
遠くの方に目を移すと、教官が『魔法剣:炎』で抗っているみたいだが、突然首を押さえて倒れ込んだ。
奇妙なローブを纏った女が、伏した教官の胴体に赤い剣を突き刺した。
教官まで!
「きゃ!」
「ミウ! 大丈夫か!」
建物が密集しているところまで戻ってきたが、ミウが転んでしまった。
エイデンがすかさず駆け寄って、腕を持って立ち上がらせる。
この間に逃げ道を確認する。
確か、この先にも森まで続く坂があったはず。
森まで無事逃げ切ることができたら。
あと、無数の樹木が俺たちを隠してくれる。
「いたぞ! 子供だ!」
「まずい、見つかった! ミウ、エイデン! あっちだ!」
兵士が逃げてきた方向から銃を向けて、近づいてくる。
エイデンはミウの肩を掴んで、俺が指さす先を目指して走り出す。
確認できた俺も、脚を動かした。
しかし簡単には逃がしてもらえず、武装した兵士が行く手に現れる。
「挟み込むぞ! おとなしくしろ、ガキ共!」
くそ、ここまでか!
俺が立ち止まっていると、エイデンたちも俺に近づいて佇む。
剣……剣があれば『魔法剣』で突破できるのに。
こんなやつらの胴体、掻っ捌ける訓練をしたってのにな。
第一クラスの魔法くらいは使える。
ミウは膝頭を擦りむいて血が滲んでいるから、力が出ないかもしれない。
エイデンと二人がかりなら、可能かもしれないな。
「エイデ……」
巨体が空から落ちてきた。
死体ではなく、岩の塊かのような肉体を持つ何かが。
猪のような顔をして、牙が反り立っている。
顔の周りは茶色い毛が生え、ライオンの鬣のようで思わず注目してしまう。
鋼の鎧を纏って、腕を顔の前でクロスさせていた。
それから間があって、左右に開いた両足を伸ばし、姿勢を正していく。
その男の瞳は、酷く濁っていた。