103 転生者:伊藤真澄―1
正面に取っ手のない白い扉が存在する。
真っ白、汚れさえ見当たらない。
この自動ドアの先には、ダンダンの言っていた奇人変人がいるのだろう。
『ヴィシュヌ』の開発者。
どんな顔しているのか、性別は、歳は、レベルは。
迷うことなく、扉に向かって歩き、センサーが人間の俺を感知すると白い扉は上に収納され……研究所に足を踏み入れることができた。
ダンダンの研究室より広く、不気味な暗さが伴っていた。
床の色も天井も白いはずだが、今は明かりがないため確認することができない。
『暗視』を発動させると、他の研究室と同様だ。
だが、この研究室だけ異質。
そう感じさせる雰囲気が視覚を襲っている。
ゆっくりと歩み、音を立てることなく奥深くへ侵入していく。
机と棚、パソコン、コーヒーメーカー……オルフォードやダンダンのように紙は散乱していない。
これだけを聞くとまともな研究所だが、そもそも暗闇という時点でおかしい。
慎重に進んでいくと、やがて光が見えた。
奥に扉があり、下の隙間から光が漏れているようだ。
それに若干、人の声が聞こえる
近づくたびに、中から声が大きくなっていく。
壁に耳を当て、会話を聞き取る。
「……とこなんだよ! だから、女じゃねぇ! お前ら、暑苦しいわ! 無口でコーヒー持ってくるな! あっつ! 勝手に持ってきて、こぼすなよ! 部屋の外に出ろ!」
まずい、こっちに来るか。
女性の怒る声と複数の足音。
どうやら、この扉には近づいておらず、女性を中心に取り囲んでいるようだ。
『ウォールハック』でも使用すれば、壁の向こうを透過して状況を知れるが。
『危機感知』では、怒鳴る女性が発信源のようだ。
「ツトム」と小さく呟くと、俺の影を揺らして了解したみたいだ。
倒せる絶対的な確信があるわけではないが、突撃する。
……今だ!
扉をぶち破る衝撃音と共に、白衣の女性を囲んでいた男――6人が盾のように立ちはだかる。
見るからに屈強な男たちは黒いタンクトップと短パンを着用し、両手を下に構えていた。
いつでも握り潰せる、という意味を含ませて。
6人とも体格が凄まじい。
その巨体によって、後ろで椅子に座っていた女性が見えなくなった。
ここにいるのはドワーフではなく全員、人間。
教授とみられる女性もだ。
突入して1分が経ったあたりで、俺が口を開いた。
誰もが黙っていた空間に、声を震わせる。
「そこの女性が、リライズ大学で優秀な教授と聞いたが」
そう発言すると、女性は立ち上がり長い黒髪を揺らしながら、男を手で動かす。
それによって、男たちは構えを解き、後ろに手を組んだみたいだ。
攻撃する意思はないと示している。
俺も戦闘体勢から、警戒するように構えた。
この女性が残っている。
男が避けた隙間から女性が現れ、俺に詰め寄ってくる。
「私が伊藤真澄。『ヴィシュヌ』の発明者だ。お前は?」
「伊藤真澄……? まるで日本人みたいな名前だな」
「日本人、って言ったか? お前、もしかして……転生者か!」
「うん? たぶん、転生者だ」
俺の顔をまじまじと見つめ、しばらくして男たちに退出のジェスチャーをした。
反対することなく、静かな足音で扉から退出していった。
伊藤真澄は、扉の横にある装置についたボタンを押し、電子音がして扉がロックされたようだ。
部屋を見渡すが、とくに目立った物はなにもない。
男がこぼしたであろうコーヒーの液体は、真澄がタオルで拭き取る。
中央に白いテーブル、肘掛け付きのワーキングチェアがあるだけ。
紙の束なんて、どこにもなさそうだ。
真澄は『異次元収納』で取り出したワーキングチェアを、もう一つ置いて、ここに座るよう促す。
警戒したまま椅子に座り、向かいには同じように椅子に座った女性がいる。
伊藤真澄、おそらく俺と同じ転生者。
つまり、もともと日本で住んでおり、何かによって異世界へと来てしまった人物。
俺以外にも、日本人がいたとは。
聞いてみるしかない。
「単刀直入に聞かせてくれ……お前は日本人か?」
「ああそうだ。私……いや、俺でいいか。俺は伊藤真澄。日本では元気な男子高校生だった」
「男子高校生だと? お前、見た目は女のようだが」
頭に手を当てて、ため息が吐き出された。
「違うんだよ。姿は女だが、中身は立派な男。今でも神様を恨んでる。なんで、女なんだとな! それに対して、お前は男でいいよな!」
「いや、俺も……男ではないし、女でもない。そもそも……性別がない」
「はぁ!? いや、男に見えるけど。イチモツ付いてるだろ」
ということで『ものまね』を解除する。
そう、人間の俺は『ものまね』で化けていた偽の姿。
真の姿は。
「それ……ドローンか!? えっ、ドローン? ……性別がないと言った理由が分かった」
「正確には”機械”だ。ロボットみたいなものだ。さっきの人は『ものまね』っていうスキルで姿を変えていたんだよ」
「そうか、お前も苦労してるみたいだな。それに『ものまね』だっけ、それがお前のチートスキルなんだな」
チートスキル?
ということは、こいつも何かしらの特殊スキルを持っているのか。
そんなことよりと、話が区切られてしまい、真澄は体が震えるほど喜んでいるみたいだ。
「今日、ようやく転生者に出会えた! 初めてだ、初めて! ここに来て、70年だぞ! 70年、経過してようやく一人目の転生者だ! お前、名前は!」
「70年!? ……俺は、ミミゴンだ。エンタープライズという国の王様をしている」
70年という単語に戸惑いながらも、自分の名前を告げる。
だが、反応が悪い。
「ミミゴン? いや、日本にいた頃の名前だよ。あと、何をしていたのかも聞きたい。年齢も!」
「名前は……憶えていないんだ。生前は、ものまね芸人だった。歳は43だ」
「げっ、歳上かよ。あの……調子に乗ってすみません。あと、お笑い芸人さんなんですか!? すごいですね、有名人にも直接会えるでしょ!」
「え、ああ。確かに会えるが」
「……あっ、またすみません。それよりも……名前を憶えていないのですか。あと……何者かに見られていますね。ブロックしますよ」
見られている?
女性が、手を伸ばして何かのスキルを呟く。
直後、脳内に悲しそうな声が聞こえる。
(ぐぅ、まさか見破られるとはな。我の『天眼』でサポートできないではないか)
お前だったのか、エルドラ。
別にこいつは敵ではないだろう。
味方でもないが。
今は様子を見るに限る。
「伊藤真澄、お前が『ヴィシュヌ』を開発したのか」
「はい、そうですよ。その表情は『ヴィシュヌ』嫌いですか。体内に入れてないですね」
「お前の特殊スキルは『ヴィシュヌ』を作れるスキルか」
「そんな、しょぼいスキルなわけないでしょ。俺は『融合』です。二つの物を融合して、新しい何かを造り出せるのです。それよりも『ヴィシュヌ』は本当に便利ですよ。勝手に健康になれるし、体内を管理してくれるナノマシンです。かすり傷程度なら、すぐ治してくれますし。病気になっても、ナノマシンから薬品を抽出してくるから、病院にも行かなくていいんです。大怪我は治せませんけど」
「”個人情報”についてだ。あんなの怖くないのか。それに国が管理しているんだろ。流出、したらどうするんだ」
呆れた顔をして、コーヒーを一杯啜る。
眠そうに目を閉じ、一呼吸して口を開いた。
「あのですねぇ……ここは異世界です。いいですか、あの現実世界じゃないんですよ。スキルがあって、完璧なセキュリティ対策。悪用しようなんて発想にならない。リライズで、いの一番に教えられることは技術を悪用してはならないということ。個人情報に関しても教育されています。個人情報保護法というのがあって犯したら、なかなかの極刑になりますからね……抑止力としては十分すぎるほどです。おかげで『ヴィシュヌ』を導入してからも、犯罪率は下がる一方。以前のリライズは酷かったそうですよ。映画に出てくるようなハッカー集団が悪さしてたみたいですから。今のリライズは大規模な情報管理社会です。だから、情報等は徹底されていますよ。もう、いいですか」
高校生と言えど、さすが70年生きているだけある。
真澄の頭は、おそらく別のことで一杯なんだろう。
話したくて、うずうずしているのが見て取れる。
初めての転生者ということで、舞い上がっているんだ。
『異次元収納』から、タブレット端末を取り出した真澄は指を画面に押し当てている。
「ミミゴンさん。時々、異世界から帰りたいって……思ったことありませんか。日本に」
「めっちゃ思う。今すぐにでも帰りたいくらいだ」
「ですよね、帰りたく……え、帰りたいって言いました? ごめんなさい、耳をかっぽじってよく聴きますので、もう一度お願いします」
「今すぐ、帰りたい」
信じられないという顔をして、こっちを見つめてくる。
いや、こんなところから早く出たいんだけど。
だって、いつ殺されるか分からない世界なんだぞ。
今はエンタープライズができて、帰りたいかどうかと言われると素直に「うん」とは言えないかもしれないが。
けど、帰って……家族とやり直したい。
また親子揃って、旅行にでも行きたい。
あの頃では気付かなかったこと、ここで見つけることができたんだ。
もちろん、エルドラにも助手にも感謝してる。
だいたい、こんな異常な世界にずっといられるのか。
そう思うと、目の前の女性の素晴らしさが目に見えてきた。
よく耐えられるなぁ。
「異世界……ですよ! あんな現実から目を背けることができる世界ですよ! 確かに俺は女性にされて、腹立ちましたけど……だけど、いいじゃないですか! この異世界!」
お互い、共通していることは。
対面している転生者が、まったく理解できないということだ。