102 新都リライズ―8
「……ということですよ。つまりですね、今教育で習っている歴史には、個人の願望、思い込みなんかが含まれているわけでして。中立の立場から歴史を見ることができない。これが歴史認識の主観でしてな。またですな、それぞれの種族で学ぶ歴史にも違いがありましてな」
「あ、はぁ……」
教授らしいというのか、とにかく話が長い。
長いというのも時間的な意味だけでなく、区切らない。
まだ、10分程度だが……このままだと永遠に続きそうだ。
ダンダン教授の顔から察するに、語るたびに新たな話が生まれて、それも語っているみたいだ。
「種族に都合の良い歴史だけを習わす。そりゃそうでしょうな。政治に不利が生じるのですから。ですから、真実を歪めることも厭わないのですよ。私は今まで習った歴史で明らかな間違いや、新たな発見を夢見ているのです。素晴らしいでしょう、ミミゴンさん!」
「すばらしいすばらしい」
「更にですな……」
まだ続くのか。
身体のあちこちが、そわそわする。
「とある作家がこうも言っているのですよ。歴史は勝者によって書かれる、と。まさにその通り。これはどういうことが起こるかと言うと、敗者の記述や秘匿された敗北の歴史なんかが消されてしまうわけですな。勝者が正史となるケースが多いですからね。私は、敗者の歴史も研究し! これまで数々の人が築いた歴史を、現代に取り戻す! 悔しいでしょう、敗者は。残したかった歴史を勝者によって塗り替えられるのはねぇ」
「それで、本とか記録を読み漁るわけだな」
「そうです! 歴史は全人類が生み出したノンフィクション作品! 歴史を習えば、先人の知恵を今日にでも使える。知恵は、いつの時代でも有効活用できます。人々の試行錯誤した歴史があるから、我々は失敗することなく生きていけるのです。我々は歴史で得た失敗例を知っているのですから、他の方法を試すことができる。命を削って得た記憶は語り継いでいく……それが後の世に繋がるから」
ダンダンは上を向き、感極まって涙が出ている。
研究室は古めかしい書物に、大量にプリントアウトされた紙で溢れていた。
紙の束が盛り上がっている所に、机が置かれているのだろう。
壁の色は白く、紙も白いわけだから部屋が広く見えるが、立っていられる場所はほとんどない。
俺も教授も、適当にどかした机の上に座っている。
ダンダンに「綺麗」という単語はないのか、「整理整頓」の言葉を知らないのか。
「なるほどな、ダンダン。よくわかった。っていうことで帰るわ」
「待ってください! まだ話が!」
「……これ、何だか分かるか?」
「それは……白金貨ですか」
片手に白金貨を持って、ダンダンに手渡す。
そして、人差し指を本棚の方へ向けて。
「あの本、ダンダンが書いたんだろ。俺に売ってくれないか」
「な、なんと! 買って下さるのですか!」
「時間が無いしな。それに本の方が、知恵が付きそうだ」
さっさと切り上げよう。
失礼なことも言ってしまったが。
こんなところに、長時間居たら完全に飲み込まれてしまう。
この教授の考え方に飲み込まれてしまったら、まともな判断ができなくなる恐れがある。
王様が偏ってはダメだということだ。
本でも買って、満足させれば不機嫌になることなく帰ることができるはずだ。
白金貨を白衣のポケットに入れたダンダンは床の資料を踏みつけながら、本棚に向かっている。
あんた、それでいいのか。
書物を手にして、ダンダンは俺に差し出す。
「無料でいいのですよ、私の本なんて。それに白金貨なんて」
「いいんだ。受け取ってくれ」
背表紙に、タイトルと「ダダダンダダン・ダンダン」という著者名が記されている本を手にして『異次元収納』で仕舞う。
「本を読むとは珍しいですね。今は電子書籍の時代ですよ。スマートフォンがあれば、いつでもどこでもコンパクトに知識へと変換できるというのに」
「だが、教授は”本”にした。何か意味があるんだろ。それに、俺は紙媒体が一番慣れているんだ。これらの紙の束を読んだという充実感が欲しいんだよ」
「最近のスマホは目に優しいですし、電池という概念も消えてきている。結局、コンパクトが一番ですよ。本にした理由なんて、ほとんどありませんよ。目に見える形にしただけです。それだけですよ」
教授の理由は酷く単純だった。
何かしらの賢い意味があるのかと思ったが。
あと、電池という概念が無くなってきている?
どういうことだ。
〈リライズの地盤に特殊な磁場を発生させていてー、常にスマホが充電されるシステムなのですー。非接触電力伝送ですねー。人体に影響はないそうですよー〉
こんな地上から離れていても充電可能なのか。
特殊な磁場なんて言ってるが、優れた技術だな。
近未来的要素ではある。
研究室を出て、ダンダンが見送ろうと一緒に歩き出した時、あることが頭をよぎる。
そう、研究室に入る前……『危機感知』で感じた人物。
ダンダンに優秀な教授でもいるのか、確認してみる。
「なあ、ダンダン以外に優秀な教授はいるのか」
「そうですな……リライズ大学で優秀と言えば私と、それから……あの人でしょうな」
「あの人……?」
暗い表情をして、目を閉じながら話してくれた。
「”スキルシステム学”を専攻していた、マルミナ・クラシック教授という方が昔いらっしゃいましてな。彼は無口でしたが、私とは非常にお話ししてくださいましたよ。娘のマトカリアちゃんのことや、奥さんのウェアラブルさんのこと。話を聞いているだけで、マルミナ家の幸福度合いがもう目に見えるくらいでしたよ。ただ……14年前に、不慮の急死を遂げてしまいましてな。研究者一同、皆悲しんだものです」
「マトカリアの父親が不慮の死……」
他の可能性もあるが、俺はこの可能性しか思いつかなかった。
『調合』……その、助手が警告した破滅に導く調合方法。
マトカリアから手帳を借りた時、最後のページに不自然な破り目があった。
丁寧”すぎる”破られ方をした最後のページ。
「彼は心臓が弱かったそうですから、最期は胸を押さえて亡くなったそうです。研究者の中には、殺されたのではないかという推測をする者もいましてな。確かに警察の方が、完全埋め込み型の人工心臓の基本構成要素が働いていなかったと言っていて。『ヴィシュヌ』が外部バッテリーの代替となり電気を送り込んでいたのですが、作動していなかったそうですよ。ここから『ヴィシュヌ』を何者かに操られたと唱えていた者がいましたが、数週間もすれば大人しくなりました。納得するしかないのですよ」
「クラシック教授は研究者に人気だったんだな。それにまだ研究を続けたかったに違いない。悔しいだろうな……『ヴィシュヌ』が機能しなくなって」
「ええ、ほんとですよ……死に際、強心剤を注射しようとしていたようですし。彼が死んでから、スキルシステムの研究は進んでいないと聞いています」
ダンダンも、悔しそうに嘆いていた。
あの時の事を思いだしているのだろうか。
涙も流れ、唇を噛んでいた。
ダンダンは涙が出ていることに気付き、ハンカチで顔を拭いてから、半笑いでポジティブに努めようとしている。
「はは、情けないですよね私は。もう今年で78だ。私はクラシック教授のことを本気で尊敬しています。彼の研究所を真似て……だから、私の研究所は紙の山なんですよ」
それで汚いのか。
いや、汚いと言ってはいけないな。
ダンダンなりの、クラシック教授を忘れないための方法なのだ。
常に尊敬している者が目に見えるように。
それに、78歳なのか。
見た目は初老なんだが……これも『ヴィシュヌ』が、アンチエイジングでもしてくれているのだろうか。
「もしかして、この本も……クラシック教授が?」
「よくわかりましたね……さすが、ミミゴンさん。おっしゃる通り、彼は電子媒体よりも紙媒体を好んでいましてな。不思議で奇妙な方でしたが、ああいう生き方も”あり”なんだと知りましたね。感動しましたよ。既存の便利に憑りつかれない彼に憧れる研究者もいましたよ。かく言う私も、研究と考察結果を本にしたのは……理解したかったからですよ」
人々から不便じゃないかと言われても、きっと賢く断っていたに違いない。
自分の生き方を貫く……周りから見れば不便な生き方かもしれないが、それでも自分の大切な考えは変えない。
俺にも、その心が芸人時代にあれば。
あの頃に憤怒の念を駆られたところで、現状は変わらない。
俺も、進化しないとな……ゼゼヒヒみたいに。
ダンダンに優秀な教授を尋ねたが、今はいないクラシック教授。
だけど『危機感知』は現在も反応している。
まさか本人が生きている、なんてことは幽霊のゼゼヒヒだけにしてくれと思いながらも、ダンダンにもう一度質問する。
「なあ、今現在で優秀な教授はいないのか?」
「と言われましても……あの人しかいないなぁ」
「誰だ、あの人って」
「奇人変人の称号を与えられた教授です。まあ、人々からそう言われているだけで……でも頭はおかしいからなぁ」
「何階にいるんだ?」
「32階ですよ。あなたとは、あまり会ってほしくない人物なんですが」
また、変な人か。
いや変人と言っても、ダンダンが名を上げるくらいだ。
何かで有名なんだろ。
「何を専攻している奴なんだ?」
「……『ヴィシュヌ』。『ヴィシュヌ』の研究者にして、生みの親ですよ」
『ヴィシュヌ』を開発した人物ってことか。
……なのにどうして『危機感知』が発動するんだ。
それは俺よりレベルが高いってことだが。
とにかく会うしかない。
厄介な敵になる可能性もある。
もしかして、エリシヴァ女王は……そいつに会わせたかったのか?
いずれにしろ、対面することに決めた。
困った顔のダンダンと別れ、エレベーターに乗り込み……32階に到着するためのボタンを押した。