95 シュトルツ村:マトカリア―19
「ねぇ、ゼゼヒヒ……なんで、あんな嘘を吐いたの? ワームヨモギなんて、簡単に手に入らないよ」
「…………」
母親から逃げて、村の外れにある小さな丘にマトカリアとゼゼヒヒは座り込んでいた。
ここから、解決屋前で行われている宴の様子もバッチリとまではいかないが見ることができる。
マトカリアの質問は、ゼゼヒヒの口を閉じさせるのに十分だった。
ゼゼヒヒは後ろめたいことを隠し貫きたいと思っている。
マトカリアは諦めたかのような雰囲気を出して、話を始めた。
「ワームヨモギは販売禁止となってるところが多いんだって。手に入れるには、リライズから南にある砂漠でしか採れないんだよ。……いや、もう一つ手に入れる方法がある。それは、盗むこと。そう、ゼゼヒヒは誰かから盗んだんです!」
探偵かのように、人差し指をゼゼヒヒに逸らすことなく突きつけた。
だが、反応はない。
「……盗むのは悪い事って、みんな教えられてる。だけど、仕方ないんだよね。きっと、すごい理由があるんだろうなぁ。……全然、教えてくれないじゃん」
マトカリアは何度も目を向けているが、変わらず反応はなかった。
もう諦めた様子のマトカリアは、打ち明けるように昔話を語ることにした。
「私は人間とドワーフの……混血なんだ。お母さんが人間で、お父さんがドワーフ。世間一般では、あまりよろしくないってされてるけどね。だけど、結婚して私を生んでくれたんだよ。あんなお母さんだけど、元グラビアアイドルだったんだって。リライズでは有名だったらしいよ……テレビに出たり、あと意味は分からないんだけど枕営業? っていうのも、ものすごく頑張ってたんだって。そして、お父さんはドワーフの研究者で、リライズ大学の大学教授だったんだよ。それも、リライズ大学では知らない人はいないって言われるほどの! ……だけど私が生まれた後、死んじゃったんだって。物心なんて付いてないから、お父さんの顔が分からないんだ。でも、私に手帳をくれたんだよ」
道具袋から、手帳を取り出す。
手のひらからはみ出すぐらいの大きさで、表紙は真っ黒。
得体の知れない圧を感じてしまう手帳だ。
マトカリアは、1ページ1ページめくりながら口を開けた。
「お父さんは遺書を残していたんだ。そこには『マトカリアに、この手帳を託してほしい』って記されていたの。それに、お父さんはこの手帳を大事に抱きしめるように最期を迎えたんだって。まるで何かから守るようにして、死体になっても、なかなか離せなかったって知り合いの人が言ってた。お父さんは『調合』のスキルとか、何かを生み出す創造系スキルの研究を続けた偉大な人とも言ってた。『調合』のスキルは、世界で数人しか所有できない制限スキルだってことも突き止めたそうだよ。他にもね、あるんだけど……それしか頭に残ってないよ」
「お前の父親は『調合』の組み合わせを研究していたんだろ。その手帳が物語ってる」
ゼゼヒヒが、やっと喋ってくれたことに嬉しくなったマトカリアが更に話を続けていく。
「そうなんだよ! ほら、手帳の半分以上を埋めるほどの調合方法があるんだ。『調合』に関しては謎が多いからね。こんなに詳しく載ってるのは、この手帳だけなんだって! すごいでしょ!」
歯を見せながら、ゼゼヒヒに自慢したが反応は薄かった。
ゼゼヒヒは俯きながら、ぼそぼそと語る。
「……リライズ政府は『調合』を危険視していると聞いたことがある。なぜか分かるか? ……それで作れるものの中に、破滅へと導くものもあるからだ」
「破滅? ちょっと待ってよ。ほら……状態異常を治す薬とか、アイテムしか載ってないんだよ! それに、ハンターなら誰もが世話になるようなアイテムとか!」
「一番後ろのページを開けてみろ」
「後ろ……? お父さんオリジナルの調合しか載ってないよ」
そう、そのページは以前ギガースレオを倒そうとした際に読んでいた【成功】の調合方法が書き込まれていた。
娘を想って書いたであろう温かい字と言葉が、そこには並んでいた。
これは、マトカリアにとって救いの調合方法だ。
心の拠り所となる優しさの詰まった文。
「これが破滅になるの?」
「左ページではない。右ページを見てみろ」
「え? 何もないよ」
何もない。
見返しがあるだけで、硬い紙が裏表紙の役割をしているだけだ。
「よく見てみろ。吾輩の目に間違いがなければ、あったはずだ。間に……紙をちぎった跡が」
「ほ、ホントだ! 小さくて分からなかったけど、ちょっと残ってる」
「丁寧に破いたのだろうな、”犯人”は」
確かに、ページを破り取った跡が細々とだが残っている。
ゼゼヒヒってこんなところまでよく見ているんだなぁと、マトカリアは感心していた。
だけど、ゼゼヒヒのある言葉に引っ掛かった。
「今、犯人って言った?」
「父親が破った可能性もあるが、もしだ……そこに”破滅”につながる『調合』が書かれていたら?」
「その犯人は金になると思って盗む」
「なんか、ずれてる気がする。いや、まあ盗んだということだ。父親が発見した”破滅”を利用しようとする悪い奴にな。ただ、単なる金目的ではないと思うがな」
「単なるって……お金を稼ぐのって大変なんだよ。私でも売ると思うよ!」
「お前が犯人か? ……とにかくだな、そのような仮定をすると……父親は……」
「殺された……ってことだよね」
笑顔はなかった。
ゼゼヒヒが示した、欠けた1ページ。
ここから推測できる域は広い。
「そういうことになるな……だが、安心しろ」
「安心できるわけないでしょ! なんで、そんなことが言えるの!」
「……嘘だからだよ! 全部!」
「う、うそぉ?」
「ああ、そうだ。嘘だよ嘘。お前を、からかうための冗談だ。調合で破滅になんてつながるわけねぇよ。そもそも、このスキルはとある転……人間がつくったスキルなんだ。それも、魔物との戦いに役立つスキル。だから、大丈夫だ」
「けど、なんで1ページだけ破られてるんだろう」
「それも、たぶん恥ずかしいこと書いてたからじゃないか? 落書きで最後のページを使うこともある。捨てたんだろ、きっと! な、そういうことで……許してくれ! この通りだ!」
土下寝。
人間でいうところの土下座を超えた土下寝に近い体勢で謝っていた。
「それ、体伸ばしてるだけだよね」
「いいや、謝罪してるのだ。全身全霊で。吾輩が謝ったこと……光栄に思うがいい!」
「あはは、なにそれ! それで光栄に思えると思う? ははは!」
ゼゼヒヒが繰り出す不可思議な連続が、マトカリアを笑わせるのに十分すぎた。
本当に可愛いとまで思ってきたマトカリアが、ふさふさの毛を撫でている。
あまり触られたくないのか、ゼゼヒヒは足で少しずつ離れていったが、マトカリアがぎゅうっと抱きしめた。
「なーっ! 吾輩……苦しいぞ!」
「あっ、そうそう……思い出したんだけど、なんでワームヨモギもってたの?」
「その話を聞かせろと! こんな時に!」
「話してくれないと……首をぎゅっと絞めるよ!」
「質問はすでに『拷問』に変わった、ってやつ? しょ、しょうがねぇなぁ。お前が色々と話してくれた礼だ。ありがたく聞いとけ!」
マトカリアは草が群生している地面に、そっと置いて話を聞く体勢に入る。
ゼゼヒヒは軽く茶化しながら発話した。
「確かに、あのワームヨモギは盗んできた。ワームヨモギを違法に栽培している連中から、こっそりとな」
「けど、どうして……」
「マタタビって知ってるか?」
「猫を興奮状態にさせる植物だよね」
「ワームヨモギは、マタタビの一種だと思ってくれていい。むしろ、マタタビよりも強力な……『麻薬』だ。吾輩の首元を見ろ」
そう言って、顔を上に向けて首を見やすくする。
マトカリアは何かを見つけて、それに触れた。
「首輪……? というよりも、ブレスレットみたいだね。取っていい?」
一度こくんと頭を下げて了解し、マトカリアは首輪を外す。
首輪はマトカリアの言う通り、ブレスレットのようになっており、白く輝く糸に小さな水晶がいくつも付いていた。
「御主人様がくれた……その魔石には『異次元収納』のスキルが込められている。”異次元”には……『麻薬』たっぷりの不健康に満ち溢れた偽りの楽園。吾輩に憑りついた悪霊そのもの。……自覚はある。だけど、追放することはできない。今や追い出そうという気もなく、憑りつかれたまま。共生関係で結ばれたまま」
「本で読んだことがある。麻薬って脳に作用して快楽を味わうことのできるお手軽な薬。だから、大昔……規制される前は、麻薬を巡った争いが勃発していたんだって。だけど、一時的な快楽と引き換えの仮死状態なんだよ。それに頼るのは、何か……あるからだよね。自覚していながらも、やめられない理由があるんだよね」
「麻薬は悪循環に導くと言われているが、吾輩にそれは起こらない。いつでも止めることができるといいっていい。今すぐにでもな。……誰だって忘れたい”過去”があるはずだ。思い出させなくするのに、ワームヨモギは打ってつけだった。乱用してから、見なくなった。悪夢にも現れなくなった。心地よかった……それが理由だ」
ゼゼヒヒは目を瞑って、荒くなった息を整えた。
「過去を現在で圧し潰す。吾輩は過去を……無理矢理に変えた。未来は変えられる? 過去は変えられない? いや、違う。未来なんて変えられない。まだ何もないのに、変えることができるなんて不可能だ。それよりも過去を塗り替えた方が早い。吾輩にとって都合のいい過去にな。思い出したくない過去は捻じ伏せて! 気持ちいい過去だけを思い出す! ……しょせん、自分勝手なんだ。これぐらいのことは許される。そう思って、今を生きている」
再び荒くなった息を、静かに殺すように落ちつかせていった。
こんなに、誰かに話を聞いてもらったのはいつ以来だろう。
じわじわと全身に広がる悲哀を、ゼゼヒヒは感じていた。
「ゼゼヒヒちゃん! 今日からは私、マルミナ・マトカリアがいるよ! 運が良いね! こんなとびっきり可愛い女の子が側に、ついてるなんてね! 私が側にいること……光栄に思いなさい! なんてねー!」
「光栄に思え……か。昔、御主人様がよく呟いていた言葉だった。勇者を倒したときに、それを言うんだと。これで勇者も御主人様の味方になると考えてな。味方だけでなく敵に対しても、優しさを振舞っていた。実際その後は味方になることが多い。だから吾輩も、まねして言ってるわけだ」
「うんうん! ゼゼヒヒの昔話、もっと聞きたいなぁ! ものすごく興味があるんだ!」
「おいおい……過去はあまり思い出したくないんだが。……分かった! 一日一話! これが約束できるなら話してやっても構わんぞ!」
「やったー! 生きがいになる!」
「元気なやつだな、まったく。ほら、なんか食いにいくぞ! 吾輩に付いてこい! ……って追い越していくなー!」
マトカリアは、村人が集まって楽しそうに騒いでいる中心に向かって走り出した。
その後ろを四足で走っていく白い猫がいた。
彼女は、ある決心をした。
『世界を視てみたい』と。