名探偵藤崎誠の最後の事件簿
藤崎はドアを開けると、立ち止まった。
おかしい・・・
いつもと違う・・・
そう、藤崎は感じた。
感は鋭い方だ。
名探偵には必須の要素だ。
藤崎は部屋の奥に視線を向けた。
生気の無い顔色の男と目が合った。
その目は死んだようだった。
男の口が動いたが、藤崎はその言葉を聞き取れなかった。
いつもは元気に「いらっしゃい」と言うが。
でも、藤崎は気づいている。
その理由を。
店には十数席あるが、客は誰もいなかった。
こんなことは初めてだった。
午後1時を過ぎても、いつも半分は埋まっていた。
藤崎はハッとした。
「そう言えば」と呟く。
小さく後ろに振り返る。
でも、窓が無かった。
しかし、藤崎は思い出した。
店に入る時のことを。
数軒先に行列があったことを。
「味噌ラーメンくん」
店主は頷くだけで、いつもの威勢の良い復唱はなかった。
藤崎は席を立ち、雑誌がある本棚に向かう。
ない・・・
スペリオールの新刊がなかった。
この店でラーメンを食べながら、スペリオールを読むのが、
藤崎のルーティーンだ。
特にサッカー漫画の『フットボールネーション』が好きだ。
危ない・・・
藤崎は席に戻った。
顔をしかめる。
視線の先にはメニューがあったが、
もちろんメニューを見ているわけではない。
「はい、味噌ラーメンくん」
店主はカウンター越しにラーメン丼を藤崎の前に置いた。
藤崎はレンゲを取り、スープを一口含む。
この味だ・・・
奥深い味である。
藤崎はエビを掴み、頭の殻を取る。
そして、かぶりついた。
このミソ・・・
エビのミソがなんとも言えなかった。
味噌ラーメンくん、この店の自慢の一品だ。
別にふざけたメニューではない。
藤崎が提案した名前だ。
エビ入り味噌ラーメンでは普通過ぎるから。
これで一時話題になり、テレビで取り上げられた。
『くん』とはタイ語。
エビ!
トムヤムクンの『くん』だ。
一気にラーメンをたいらげた藤崎が顔を上げると、
店主と目が合った。
その目は何か言いたげだった。
藤崎は顔をしかめる。
「も~、無しだよ~
しょうがない。
名探偵にお任せあれ」
この店が潰れても困るし・・・
藤崎はぼう然と立ち尽くした。
二週間が経ち、再びラーメン店に足を向けていた。
店の外まで人が溢れていた。
行列とは言えないが。
藤崎は四人の後ろに並んだ。
フーっとため息をつく。
自分が解決した問題で、自分が苦しめられるのだ。
そんな自分に苦笑いしてみた。
15分後、ようやく店に入れた。
「味噌ラーメンくん、お待ち」と言って店員が、
丼と道具を置いた。
スタンドのような道具と小さな器。
異様な光景だ。
藤崎は教え子を見つめる教師の気持ちで、
その様子を横目でうかがう。
客は手にしていたスマホを置き、箸を持った。
箸で麺を掴み、店員が持ってきたスタンドにセットする。
そして、小さな器に水を注ぐ。
客はスマホを構え、カシャり。
「この湯気、最高ッ!」
満足げに画像を確認した。
当然、この画像をSNSアップするのだ。
ラーメンを待つ客は皆、この使い方を注目していた。
そう、彼らはラーメンの画像を取りに来た客だった。
藤崎は考えたのだ。
手っ取り早く、客を集める方法を。
最高の一枚の画像が取れれば良い。
他ではできない演出を。
それは、麺上げ。
テレビでグルメレポータが良くやるアレだ。
でも、麺を掴みながら、スマホで撮るのは、ちょと難しい。
それに・・・
藤崎は麺上げスタンドを考案した。
知り合いに頼んで、3日で試作品を作った。
でも、何かが足りなかった。
やはりスタンドがあった方が綺麗に撮れる。
でも、美味しそうには見えなかった。
ハッとした。
「熱さがない」
ラーメンから熱さが伝わってこない。
まるで、食品サンプルようだった。
藤崎は厨房に入り、食材がある冷蔵庫を漁った。
「あった」
藤崎は声を上げ、ドライアイスを取り出した。
そして、ドライアイスを砕き、
器に入れて水を注いだ。
そこから、あり得ないほどの湯気が出てきた。
「凄い~」
湯気を見て、客が叫ぶ。
そして、カシャり。
この画像はすぐにSNSで注目を集め、
この絵を取りたい客が押し寄せたのだった。
ようやく藤崎は味噌ラーメンくんを食べ終えた。
店に来てから、1時間半を超えていた。
藤崎は一応、ズボンの財布を探ろうとする。
店主はすぐ、「お代は、結構です」と言い、
深く頭を下げた。
藤崎は店主を見つめる。
「もう、これで最後ですよ。
ラーメン1杯と引き換えは・・・」
この前も、猫探しをラーメン1杯無料で引き受けていたのだった。
こうして、名探偵藤崎誠の最後の事件簿は幕を閉じた。
事件じゃない?
ただの依頼案件だって?
でも・・・
みなさんも考えてみてください。
もし・・・
自分のお気に入りの店が潰れたら・・・
やはり、それは事件でしょう。