episode05
少年がやってきてから三ヶ月が経過した。
主人との勉強の成果もあってか、最近受けた模試の結果も良くなっているとようだにゃ。
絶対安心というわけではないが、この調子でいけば少年なら合格で来ると期待してるにゃ。
しかし、それとは別にある問題が発生していた。
「お姉さん、ここってこれで合ってますか?」
「ん、どれかな? ああ、そうだね。これは……ね……」
急に静かになる主人。
「あ、また寝ちゃったね。寝室に連れていくね、ネコさん」
「頼むのにゃ、少年。ありがとうにゃ」
「どういたしまして」
主人を負ぶって二階へと向かう少年。
そう。
主人の体調が次第に悪くなってきていたのにゃ。
ただ風邪などと違い、咳や熱が出るわけではない。
急に睡魔に襲われるのだ。
そして、これがナルコレプシーではないことをあたいは知っている。
「お姉さん、寝かせてきたよ」
「可愛い寝顔は堪能できたかにゃ」
「なに言い出すんですかネコさん。そんなじっくり見てませんよ!」
「見るには見たのにゃ?」
「そりゃ嫌でも見えますからね」
「嫌なのにゃ?」
「そんな! 嫌なわけないですけど」
「じゃあ、好きなのにゃ?」
「ネコさ~ん? 僕で遊んでませんか?」
ちょっと遊び過ぎたにゃ。
「ごめんなのにゃ。少年が可愛いから仕方ないのにゃ」
「そうですか」
「そうにゃ。少年がもし猫だったら、求愛してるのにゃ。というか種の垣根を越えていいのなら、あたいは言うのにゃ」
「何をですか?」
あたいは少年のいるテーブルに上ると言った。
「少年のことが大好きだとにゃ。どうにゃ?」
少年は一瞬目を丸くし、その後困ったように言った。
「それって、僕がなでなでマイスターだからですか?」
ふむ、少々軽く言い過ぎたかにゃ?
結構勇気を出して伝えたつもりだったが。
「それもあるのにゃ。でも、少年は素敵な人間なのにゃ。そこが好きなのにゃ。恋愛感情に近いものなのにゃ」
「えっ、そういう……好きですか。驚いたな。でも、嬉しいです。猫とはいえレディですからね。女の子に好意を向けられて嬉しくないわけないですからね」
少年は優しい。
こんな猫にも丁寧に対応してくれる。
でも。
あたいが求める会話の終着点はここではない。
「ありがとうにゃ。でも少年。少年は主人のことが好きなのにゃ。だからあたいはここで失恋するのにゃ」
「失恋って」
「いいのにゃ。少年があたいのことをどう思おうと、主人に対する恋心を上回ることはないのにゃ。違うのにゃ?」
少年はまた少し困った顔をしたが、すぐにあたいの目を真っすぐ見て言った。
「そうですね。ネコさんの言うとおりです」
「そうにゃ、その気持ちは大切にするにゃ」
「はい、ネコさん!」
予定調和ではあるのだが、失恋はちょっと辛いにゃ。
でも、人間に恋をして振られた猫なんて、ちょっと箔がついていいのにゃ。
「さて、本題にゃ。少年が今後も主人のそばに居続けたいと願うなら、知っておく必要があるのにゃ。主人の現状と、以前話せなかった呪いについて」
あたいは少年の膝に乗ると、手加減して撫でるよう頼み、話し始めた。
「元々主人の家族は、魔術師の家系なのにゃ。そして以前はここで主人、パパさん、ママさんの三人で暮らしてたのにゃ。まあ、その時はパパさんが主人だったけどにゃ」
「魔術師?」
「そうにゃ。今となっては魔術師なんて数少ない存在だけどにゃ。でもって魔術師には家系によって得意な魔術が存在し、それを継承し続けるのにゃ」
「それで、お姉さんの家系の得意な魔術って何なのかな?」
あたいは少し俯いて答えた。
「それが不運なことに、呪いの魔術なのにゃ」
「そうなんだ。でもどうして不運なの?」
「人を呪わば穴二つにゃ。その術は自らをも蝕むのにゃ」
「もしかしてお姉さんの受けてる呪いは、自分の術で……」
「違うのにゃ。今の主人は魔術師じゃないのにゃ」
あたいは身体をくるりと回すと、少年と向き合う形になった。
そして少年の胸に肉球をぺたりとつけて言った。
「少年。ここからは魔術師の世界の話だと思って聞くにゃ。一般的な人間の感性で聞いていると、たぶん怒りが込み上げてくるから注意なのにゃ」
一応注意したが、あまり効果はないだろう。
「呪いの魔術は諸刃の剣。自分にも返ってきてしまう。そこで歴代の魔術師が試行錯誤の上で見つけた方法が、あらかじめ呪いを受けておくことなのにゃ」
「呪いを受けておく?」
「そうにゃ。死に至らない程度の呪いを受けておき、呪い返しに対する抵抗力とする。これを利用して、パパさんは術を行使し、ママさんが呪い返しを受ける役目を負ったのにゃ」
「そんな残酷な! お姉さんのお父さんはそれを……」
「それ以上は言わないのにゃ。パパさんもしたくてそうしたわけじゃないのにゃ。ただ、時に魔術師の世界は非情なのにゃ」
「うん、わかったよ」
「そして、三年前。パパさんとママさんは襲われた。呪いの術を他の魔術師が奪おうとしたんだにゃ」
「そんなことできるの?」
あたいは首を振った。
「一族に伝わる呪いの術は、一族にしか使えないにゃ。解析し、ヒントを得たとしても、使うまでには至らない。二人を襲ったのは、そんなことも分からない野蛮な魔術師だったのにゃ。そして、ママさんは殺され、パパさんは今の主人を守るため、この店に結界を張り、敵を遠ざけるために失踪したのにゃ」
「その後、お父さんは」
「分からないにゃ。今でも逃げ続けているのか、どこかに潜んでいるのか……それ以上は考えたくないにゃ」
悲しそうな顔をして少年があたいを撫でる。
「うん。それでお姉さんはそれを知っているのかな?」
「知らないにゃ。当時あたいも使い魔として現場にいたけど、最後はパパさんがこの店に放り投げたのにゃ。そして娘には魔術とは無縁の生活をさせて欲しいって頼まれたからにゃ。知ってるのはママさんは死に、パパさんが行方不明ってことくらいにゃ」
「そうなんだね。そんな悲しいことがあったんだ。ねえ、ネコさん。魔術師ってのは何でそんなにも……」
「言いたいことは分かるにゃ。再三言うけど、魔術師は良くも悪くも人であって人ではないのにゃ。怒りや悲しみを感じるのは、少年が真っ当な人間である証拠にゃ」
すると少年が急にあたいを抱きしめて撫でた。
「にゃっ? どうしたのにゃ、くすぐったいにゃ!」
「ネコさんだって怒りや悲しみを感じてるんでしょ? それでも一人で抱え込んで頑張ってきたんだね」
「にゃ!? 何なのにゃ! そ、そ、そ、そんな優しくされたら、泣きたくなっちゃうのにゃ。ずるいのにゃ! あと、猫だから一人じゃなくて、一匹なのにゃっ!」
「ああ、そうだったね。よしよし……」
まったくもう。
これだから少年は大好きだ。
あたいは脱力すると、ほんの少しだけ少年の胸の中で泣いた。
そして落ち着きを取り戻すと、今最も重要なことを話した。
「ありがとうにゃ、少年。でもって大切なことを伝えるにゃ。呪い返しのために事前に受ける呪いだけど、これは呪いを受けていた者が死んだ場合、自動的にその子孫へと継承されるのにゃ」
「それって!」
「そうにゃ。今の主人が受けているのはその呪いなのにゃ!」