episode04
主人の容体はそれほど悪くはなかった。
少年にも言ったように、少し無理をし過ぎたのにゃ。
しかし、こういうことの頻度は年々増加しているにゃ。
日常生活で蓄積する疲労だけでも大きなダメージを受けるようになっている。
これはつまり、呪いの進行を意味しているのにゃ。
つらい状況でも明るく振る舞おうとする主人だが、最近見ていて辛くなる。
どうにかしなきゃにゃ。
今日は日曜日。
主人には念のため休んでもらうことにする。
言葉は通じないが、「そろそろ準備しなきゃ」などと言いながら起き上がろうとする主人の周りを威嚇しながら踊りまわったので分かってくれたと思うにゃ。
まあ、起きてきちゃったら少年を通訳にして無理させないようにするにゃ。
そう、今日も少年は午後から来店していた。
あたいは少年に今日も自習するよう指示すると、窓際のテーブルの上に座った。
この店は外とは別次元になっている。
しかし、お日様の光は窓越しに入ってくるのにゃ。
不思議なのにゃ。
結界の不備なのかは分からないが、お日様大好きなあたいにとってはありがたいのにゃ。
白に近く、しかしわずかに黄色を帯びた光が、あたいの体に降り注ぐ。
するとあたいの美しい白い毛は一層輝きを増すのにゃ。
特に毛の先端部分などは、細やかな宝石の如き輝きを放つ。
撫でるとその輝きは神秘的な変化を見せるのにゃ。
毛づくろいが苦手なあたいでも、この時ばかりは楽しいと思える。
あたいはしばらく自画自賛し、うっとりし、ぽかぽかぬくぬくしたにゃ。
ふと気づき時計を見ると、二時二十分を過ぎた頃だった。
どうやら一時間ほどぬくぬくしていたようにゃ。
少年は頭を抱えながらも勉強を続けていた。
あたいはどんな調子か確認しようと思い、テーブルから降りて少年のもとへと向かう。
午後二時二十二分。
すると急に店の扉が勢いよく開いたのにゃ。
「うぃ~っす! ネコちゃん、元気してる? う~ん今日も素敵な毛並み、キュートだね」
あいつが来たにゃ。
そういえばこの時間に来るんだったにゃ。
入り口には二十代半ばと思しきお兄さんが立っていた。
驚く少年をよそに、あたいは言った。
「今日は何しに来たのにゃ? うるさいのにゃ!」
「もう、そんなこと言って本当は寂しかったんでしょ? ほら、いつものやつ持ってきたから。ここに置いとくよ」
お兄さんは大きな紙袋を入り口近くのテーブルに置く。
「にゃ、それは……ご苦労にゃ」
手土産をもらってしまっては、追い返せないにゃ。
「それにしても、ここに少年がいるなんて珍しいね。新しいバイト?」
お兄さんが尋ねてくる。
「違うにゃ、主人の彼氏にゃ」
あたいがそう言うと、少年が狼狽える。
「彼氏!? そんな、僕はまだそんな関係じゃ……」
「彼氏……だとっ!」
そしてお兄さんも一瞬固まった。
しかしすぐに元に戻って話し始めたにゃ。
「そっかぁ、あのお姉さんについに彼氏がねぇ」
そう言いながら少年の肩に手を置く。
「だからそんなんじゃないですって」
「分かるよ~、お姉さん可愛いもんねぇ。俺も好きだし」
「えっ!」
「なんてね、安心しな少年。俺の好きはなんていうか、娘を見守る父親みたいな感じだから」
「そうですか、それなら安心……って、そうじゃなくて、本当にまだ」
「はいストップ~。いいかい、少年。あのお姉さんは手ごわいぞ。簡単に出会えるわけでもないし、気丈なようで弱い。好意があるならはっきりと伝えるべきだよ」
お兄さんは少年が持っているシャープペンをそっと取り上げ、軽くペン回しをすると、少年の問題集に書き込み始めた。
「君は受験生かな。なかなか難しい問題をやってるんだね。特にこれなんかは厄介だ」
「ええ、ここの問題で悩んでて……」
「うん。君の書いてるこの式、これでも答えにたどり着きはする。でもこの問いの終着点を考えたときに、このアプローチには無駄がある。ほら、こういうアプローチにすれば、分かりやすいし早く解ける。受験では速さも重要だからね。もちろん、恋愛にもね」
「恋愛にもって……だからそんなんじゃ」
「ははは、顔が真っ赤だよ少年。可愛いね」
驚いた。
いつもお気楽で適当なお兄さんだから、真面目に勉強を教える姿はとても新鮮だったにゃ。
「さて、お兄さんのプチ講義はおしまい。何だか少し安心したよ。少年、お姉さんと仲良くね。それではアディオス!」
お兄さんはそう言うと、入って来た時と同様に勢いよく去っていった。
「はぁ、何だか嵐のような人でしたね。あのお兄さんも、この店のお客さんですか?」
「違うのにゃ、勝手にやってくるのにゃ。まあ、お土産に食料とか持ってきてくれるから下手に追い返せないんだけどにゃ。お代を払うって言っても断られちゃうし」
「そうなんだ。でも、このお店って猫の手を求める者しか入れないんだよね」
「そうにゃ。でもお兄さんは例外なのにゃ。結界のメンテナンス時間、二時二十二分ジャストは外界との次元の断裂が無条件で解除されるのにゃ。そしてそこを狙ってやってくるのにゃ」
「へぇ、そんな方法が」
「でも、失敗したら次元の狭間に巻き込まれて死ぬにゃ」
「そんな危険なことをお兄さんはなぜ?」
あたいは少年の膝に飛び乗って撫でられ体勢に入った。
気づいたのか少年が優しく撫で始める。
「そうにゃ、危険なのにゃうん! だからたぶん……魔術と関わりのある……存在なのにゃうん!」
気持ちよすぎてしゃべるのが辛い。
しかし撫でるのをやめない少年。
さすがなでなでマイスターなのにゃ。
「ここ二年くらい時々来るの……にゃっ! 大体素性は予想がついてるのにゃ。でもいずれにせよ、お人好しのバカなの……にゃうぅ!」
はぁ、はぁ……容赦ないのにゃ。
あたいは体をくねらせると少年の膝から降りた。
「少年、わざとやってるのにゃ? あたいの撫でられて嬉しいところを熟知してるのにゃ、意地悪なのにゃ? とにかく、今日はこれで十分なのにゃ。ありがとう、そして勘弁してなのにゃ」
「分かったよ、ネコさん。自習に戻るね」
そう言って少年はまた勉強を始めた。
あたいは思った。
このままだと少年に手玉に取られてしまうと。
しかし、あのなでなでテクニックの前ではきっと屈してしまうのにゃ。
あたいはだんだん少年のことが好きになっていたのにゃ。