episode03
あれから少年は学校が終わるとキャットハンドレンタリズムにやってくるようになったにゃ。
もちろん主人に勉強を教えてもらうためにゃ。
テーブルに向かい合って座る主人と少年。
あたいは隣のテーブルからその様子を眺めた。
「ほら、ここはこうやってこうっ! そうしたら解けるでしょ?」
「なるほど」
少年が答える。
しかし主人は言うにゃ。
「少年、君本当に分かってる?」
「ええ、ここがこうなってこうなるんですよね?」
「そう。あってるんだけど、君は教えたときは理解してくれるけどすぐ忘れるじゃない。いい? 自分で説明できるくらいにならなきゃ、応用問題で打ちのめされちゃうわよ」
「うう、すでにその言葉で打ちのめされました。痛いとこ突きますね。確かにうちに帰ってやろうと思ったら解けなかったりするんですよねぇ」
「ほら、やっぱり。解法もそうだけど、問題の本質を理解しなきゃ」
「はい、努力します」
あたいが見てる限り、少年は頑張っていると思うにゃ。
でも少し惜しいのにゃ。
もう一歩踏み込む努力が必要なのにゃ。
「さて、ひと段落したし何か飲み物を入れよう。何がいいかね少年」
「ではコーヒーで」
「なるほど、ではコーヒーに合うお菓子を用意しよう」
そう言って主人はキッチンに向かった。
「また変わったお菓子が出てくるのかなぁ」
「たぶんそうなのにゃ」
あたいは少年の膝に飛び込んだ。
「おっと! えっと……」
「どうしたにゃ、少年」
膝に乗ったあたいは少年を見上げて問う。
「猫とはいえレディなんですよね。スキンシップは失礼かなと」
「良いのにゃ。最近少年の勉強で忙しいから、主人が構ってくれないのにゃ。代わりに撫でるにゃ」
もう数日撫でてもらってない。
あたいは欲求不満だったのにゃ。
「では失礼して」
少年が恐る恐るあたいを撫でる。
頭からしっぽにかけて、滑らかに撫でられる。
「うにゃんっ!」
嬌声を上げたあたいに驚く少年。
「ごめん、変な撫で方しちゃったかな?」
「だ、大丈夫にゃ。続けるにゃ」
「うん」
もふもふと撫でる少年。
あたいはそのたびに、にゃうにゃうと鳴いた。
欲求不満とかそういうレベルの話じゃない。
この少年は。
「少年、もしかしてテクニシャンなのにゃ? 撫でるの上手いのにゃ、うっとりするのにゃ」
「そんな、テクニシャンだなんて。普通に撫でてるだけなんだけどな」
無自覚とは恐ろしいにゃ。
「そうだ、少年。言い忘れてたけど、実は当店の利用には対価がいるのにゃ」
「やっぱりただってわけではないんだね。でも僕お金は……」
「安心するにゃ。お金はいいのにゃ。その代わり、来店したら毎回撫でてほしいのにゃ」
「それだけでいいの?」
「良いのにゃ。少年にはなでなでマイスターの称号を授けるにゃ」
「それをもらうとどうなるの?」
「特に何もないにゃ」
「ないんだ」
「とにかくにゃ、これで契約成立にゃ。約束は守ってもらうにゃ」
「うん、分かったよ」
やったにゃ、素敵なお客さんをゲットしたにゃ。
あたいは少年の手が、あたいの長く白い毛にうずまって流れていく感覚に酔いしれた。
「お待たせ~って、ネコさんがそんなところに! 仲いいんだね君達」
少年とあたいを見て主人が言った。
「少年は動物に好かれるタイプなのかな? なんかネコさんに話しかけてたみたいだし。もしかしてネコさんとお話しできちゃったりする?」
「ええ、まあできますけど。お姉さんもできますよね?」
「まさか! というか本当にできちゃうの少年? そっか~、少年もそうだったのか~」
主人は頭を抱えつつも何だか嬉しそうにしたにゃ。
「いや、ここに来る人ってさ、みんなネコさんと話せるっていうんだよね。驚いて帰っちゃった人もいるくらい。そっか~、うんうん」
楽しそうな主人。
しかし、あたいは気づいたにゃ。
少年があたいのことを疑いの目で見ていることに。
困ったにゃ。
「にゃぁ~?」
あたいは一鳴きしてごまかすと、元のテーブルへと戻った。
今日のおやつは鯛焼きだった。
コーヒーに合うのか、中身が何だったのかは分からないが、少年の反応を見る限りは美味しかったのだろう。
そしてしばらく勉強をした後、少年は帰っていった。
ただ、あたいに対してはずっと疑いの目を向けていたのだにゃ。
――――土曜日の午後。
今日は休日ということもあって、少年は午後一時頃に店にやってきたにゃ。
「こんにちは~」
「こんにちはにゃ」
「やあ、ネコさん。お姉さんはいないのかな?」
「いるにゃ。でも洗濯したり、大学の課題やったりでちょっと忙しいのにゃ。自習しておくのにゃ」
親切に少年の勉強を見ている主人だが、主人にも主人の用事があるのにゃ。
「そっか、大変だね。ほぼ毎日勉強教えてもらってるけど、少しは遠慮した方がいいのかな?」
「大丈夫にゃ。なんだかんだ主人もこの生活を楽しんでるのにゃ」
「そうなの? でもいつもこのお店にいるし、大学の方は大丈夫かなって」
「実は休学してるのにゃ。でもって体調が戻るまでは通信で学ぶのにゃ」
「何か病気だったの?」
「説明しづらいにゃ。簡単に言うと呪いのようなものにゃ」
「呪い? それってまた、魔術的な何かってこと」
「そうにゃ。あと主人は大学一年生だけど、少年の一つ年上ってわけじゃないにゃ。高校でも苦労したし、休学してるし。だからお姉さんなのにゃ」
「そうだったんだね」
心配そうな顔をする少年。
「大丈夫にゃ。むやみに外出したり、体力を消耗しなければ、普段は元気にゃ。ささ、自習するにゃ」
あたいはそう言って、少年が持っているカバンをポンポンと叩いた。
「わぁ、分かりましたから。カバン叩かないでくださいよ~」
少年は椅子に座るとカバンから問題集を出し、勉強する態勢に入った。
しかし、すぐに何かを思い出したようにあたいの方を見るのにゃ。
「ああ、そういえば。この前のあれはどういうことですか?」
「ん? 何のことにゃ」
「ネコさんって、人語が話せるって言ってたけど、お姉さんは理解できてなかったじゃないですか。なんか話が違う気がするんですけど」
困ったにゃ。
あたいは前足の肉球をつけ合わせてぺったんぺったんしたにゃ。
「厳密には違うのにゃ。あたいが人語を解せるのではなくて、この店の結界によって、中にいる人間があたいの言葉を解せるのにゃ」
「でも、お姉さんは」
「呪いのせいにゃ。この結界の影響を呪いが相殺してるのにゃ。だから主人にはにゃあにゃあとしか聞こえないのにゃ」
「そんなことが。あの、ネコさん。もっと詳しく聞かせてもらえませんか?」
魔術に興味があるのか、それとも主人が気になるからだろうか。
少年はもっと知りたいらしい。
少年は普通の人間にゃ。
正直なところ魔術に関わるのはお勧めしないにゃ。
しかし、あたいの翡翠色の瞳を真っすぐ見つめる少年には何か強い意志を感じたにゃ。
「分かったにゃ。少しだけ教えてあげるにゃ。その代わり話してる間撫でるにゃ」
そう言ってあたいは少年の膝に飛び乗った。
そして話を始めようとしたのだが、大きな物音によってそれは遮られた。
ガタガタッ!
店の二階から聞こえてくる音。
二階には主人しかいない。
何かあったのにゃ。
あたいはすぐに少年の膝から降りて二階へと向かった。
「わぁ、一体何が?」
「少年、ごめんにゃ!」
二階に駆け上がると、広めのベランダへと続く扉の前に主人が倒れていた。
「だ、大丈夫にゃ?」
「あはは、ネコさん。洗濯物取り込んでたら、ちょっと倒れちゃった」
主人は辛そうな笑顔でそう言うと気を失った。
とにかく寝室に運ばなきゃ。
あたいは少年の所に行き、助けを求めたにゃ。
「少年、とにかく来るにゃ」
あたいは先導し、少年を二階へ招くと、寝室に運ぶよう指示した。
「よいしょ。これでいいかな?」
「ありがとにゃ」
「救急車とか呼ばなくて平気かな?」
「平気にゃ、ちょっと無理しちゃったのにゃ。それに外に連れ出すのはやめた方がいいのにゃ」
「そっか」
「本当にありがとにゃ。でも今日はもう帰った方がいいのにゃ。あとはあたいが見ておくのにゃ」
少年に気を使わせるのは悪いし、勉強も自習しかできない。
今日はこれで終わり、なでなでもふもふタイムも残念ながらお預けだにゃ。
「そうだね、では失礼するよ」
「ばいばいにゃ」
あたいは少年を見送ると一息ついた。
「ふぅ~、参ったにゃ。このままこんなことが続いたら、大変なことになるのにゃ」
あたいは独り言を言うと、主人の様子を見るため、また二階の寝室へと向かうのだった。