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白いもやもや

 女の子だ。


 まず、はじめにそう思った。妹かと思った。でも、とても綺麗な銀髪が見えたから、すぐに否定した。


 銀色の髪を長く伸ばした女の子が、目の前に立っている。その唇が動いて、確かに言葉を紡いだ。


「――――。――――――」


 聞こえない。


 少女の口は動くのだが、耳に聞こえる音は発せられていない。


 それでも、その切羽詰ったような様子に、たまらずに手を伸した。


 まるで泣いているようなその顔に。


「――! ――――――――」


 聞こえないはずの声の中で。


「…………助けて」


 それだけは、わかった。


 手を伸ばしても、見えない壁に遮られる。ガラスのような透明の壁を、何故だか、壊せるような、そんな気がした。


 右手を大きく振りかぶり、そして――――。




「ふああああ……」


「見事なまでの大あくびだね、お兄ちゃん」


「おう、まあな」


 翌日。朝から寝不足の香月である。調査に熱が入り、ついつい夜更かしをしてしまったのだ。若い体は多少の睡眠不足には耐えるのだが、眠いものは眠い。結局、授業中を睡眠時間にあてがうこととなったのだが、椅子に座ったままでは熟睡はできず、放課後の今もあくびを連発している。


「――では、次のニュースです。都内に住む一人暮らしの男子大学生が、意識不明になっているところを、友人らが見つけました。男子大学生は病院に運ばれましたが、意識は戻っていないということです。突然人が自宅や仕事場、学校などで意識を失う事件は、今年に入って急増しており、警察や医療関係者も調査を行っておりますが、未だ原因の究明には至っておらず――」


 黒い学生服と紺のセーラー服が並んで歩いていると、通りがかりの店屋の軒先から、ラジオのニュースが聞こえてきた。


「怖いねぇ。原因不明の気絶なんて」


「ああ。発症の条件や発症者に共通点が無いらしいからな。案外次は自分かも、なんて思っちまうな」


「お兄ちゃん、授業中寝てて疑われなかった?」


「おう。そのせいで何度も隣のヤツに起こされて、熟睡できなかったぜ。良い迷惑だ」


「隣で意識不明になられるほうが良い迷惑に思うけどな」


 言って、カラカラと笑う弥生。冗談めかして、香月がわざと怒ったように拳を上げると、楽しそうに逃げていく。兄妹の仲は良好のようであった。


 そうこうしてるうちに、自宅へたどり着く。玄関のドアを開けると、下駄箱の上に一枚の書置きが。先に入っていた弥生が手に取って、何ともいえない顔で黙り込んだ。


「どうした?」


 香月が訊くと、弥生は黙ったまま書置きを差し出してくる。


“旅に出ます。探しても見つかりません”


「……」


「……」


 沈黙が場を支配する。やがて二人は紙を下駄箱の上に戻すと、何事も無かったかのように家に上がりこんだ。


「ねえ、お兄ちゃん」


「なんだ?」


 弥生が、深いため息をつきながら言う。


「今夜のご飯、どうする?」


「…………お茶漬けで」


「りょうかい」


 リビングの空気は、この上なく微妙であった。


「父さんも母さんも出かけたってことは、遅くなるってことだろうな」


「明日の朝まで帰ってこないかもしれないね」


 高塚家の二親は外出好きで、時々ふらっといなくなることがある。今日もそんな一日のようだ。


「まあ、最近二人とも帰るの遅かったみたいだしな」


「週末だもん、ゆっくりさせてあげよ」


 そしてそんな家庭の子供たちは、とてもよくできていたのであった。


「そう言えばさ、お兄ちゃん」


 弥生がふと思い出したように口を開いたのは、香月が立ち上がって飲み物を物色に行ったときだった。冷蔵庫を開けたまま、香月は返事をする。


「なんだ?」


「昨日のあの子、どうだったの?」


「昨日の……? あぁ、『霧の少女』か」


 オレンジジュースとコーラのボトルを調達した香月は、弥生の対面に腰を下ろしつつ、思い至ったように言った。弥生がしばし手を迷わせ、オレンジのボトルを引き寄せる。


「そそ。調べてたんでしょ?」


「うーん、結局良くわからなかったんだよな」


「何それ? 掲示板は?」


「色々行って、最後は4CHの過去ログまで漁ったんだが、それでも謎なんだ」


「4CHでもだめだったんだ? と、なると……」


 弥生が難しい顔をして考え込む。


「いや、4CHでいろいろ噂を拾った。噂っつうか、都市伝説じみてるけどな」


 香月は調査結果を妹へ話して聞かせた。弥生は聞きながら顎に手を当てて考えている。


「つまり、人によってステータスの報告が違うってこと?」


 話の切れ目に、弥生が口を挟んだ。香月は頷いて、更に話を広げる。


「そうなんだ。しかも、アビリティやスキルまで別のものが報告されてる。4CHでも意見はまとまらなくて、“アップデートのたびに強化される予定だったんじゃないか”とか、“ガチャを引くときにステータスやスキルなどが決まる仕様の実験キャラだった”とか、“デバッグ用に作った高レアリティダミーを消し忘れた”とか言われてた。けど、おおまかな傾向みたいなのはあったんだ」


「というと?」


「まず第一に、星6の最高レアにしては、全体的にステータスが残念なこと。第二に、低い中でもHPだけはバカ高くなりがちだってこと。第三に、報告されているスキルやアビリティが、どっちかというと防御寄りなこと――」


 指折りしつつ香月が語る間に、弥生はオレンジジュースを飲み干した。空になったボトルを片手で転がす姿はさながら猫のよう。いつものことなので、気にせずに香月は話を進めた。


「そして、最大のポイントは、イラストが超絶美少女だってことだ」


「ポイントがそこ? まあ、ソシャゲ板らしいっちゃらしいけどさ」


 オチを聞いた弥生が一気に落胆するのを見て、香月が席を立つ。次の飲み物を用意しようという香月へ、片手を突き出してお代わりを要求する妹。いつものことなので気にすることもなく兄は妹の要求に応じた。


「ほらよ」


「うん、ありがと」


「んで、不可解なことに、コイツの存在が囁かれだしたのは、去年の春かららしい」


「去年の春? ってことは、あれ? オリジンシリーズだってこと?」


 弥生が思わず叫んだ。オリジンシリーズとは、ガチャのラインナップのシリーズの一つで、ゲームリリースと同時に実装された最古のキャラカード群である。


 まだ運営側もバランスを取りなれていなかった頃のキャラカードは、テコ入れと弱体化を繰り返してきているが、基本的には壊れた性能の強カードが多い。


「時期的にはな。リリース直後から存在するらしい、謎の激レアカード。なんていうか、実感湧かねえな」


 ほへえ、と間抜けな声を上げてテーブルに突っ伏す二人。香月はスマートフォンを取り出し、早速サイドダークのアプリを立ち上げた。


「しかしあれだね、お兄ちゃん。課金してない身で最高レア引いたんだし、良かったんじゃない?」


「まあ、ノーマルのダンジョンで落ちるコウモリとかトカゲが未だ一軍入りしてるしなあ。課金者とバトルになったら確実に負けるだろうし」


「確かにねえ」


 サイドダークには対人戦が実装されているが、香月は一度大敗を喫してから行かなくなった。修羅の住む世界に足を踏み入れる勇気が無かったのである。


 香月はサイドダークのキャラクター画面で、『霧の少女:ネビュラ』を選択する。持っている育成アイテムをとりあえず合成してしまおうとしたのだ。

 こちらへ向けて手を伸ばしたような立ち姿。物憂げな表情に、霧に溶けてしまいそうな、銀色の長い髪。選択したその画面に、何気なく手を伸ばした。香月の指先が画面内のネビュラの手に触れた、その瞬間であった。


「うわっ!?」


「何よこれ!?」


 二人の驚きの声。スマートフォンの画面から、真っ白な煙が噴出したのである。煙は上には上がらず、テーブルの上を這うように広がり、床へと降りていく。まるでドライアイスでも仕込んであったかのようである。驚愕のあまり停止していた二人だが、一足先に我に返った香月は、妹のそばへ駆け寄るとその手を掴んだ。


「お兄ちゃん!?」


「逃げるぞ!」


 そのままリビングから脱出を試みる。だが。


「くそ、開かないだと!」


「窓は?」


「反対側だ。あの妙な煙の中を通っていかなきゃならんのは気が進まないが……」


 香月が握る弥生の手は僅かに震えている。不測の事態だが、両親不在の今、高塚家の支えは自分なのだ。


「弥生。息を大きく吸って、それから止めるんだ。庭への窓はここから一直線、テーブルを避けてしまいさえすれば、障害物は無い。俺の合図で、一気に全力疾走で突破しよう」


「お兄ちゃん……」


「本当なら良いことなんだろうが、今は残念なことに、あの窓のガラスは強化ガラスで、人間の力じゃ割れない。窓までたどり着いたら、慌てずにロックを解除して普通に窓を開けるしかない」


「う、うん」


「大丈夫だ。兄ちゃんを信じなさい」


 香月は妹へむけて薄く微笑む。それは、弥生にとってどんなものよりも信頼できる顔だ。弥生はパシンと己の頬を一叩きして、兄に笑みを返した。


「わかった」


「よし、行くぞ。大きく息を吸って……」


 二人が肺に空気をためる。白い煙は下からリビングを侵食しているが、その高さは既に弥生の肩辺りまで上がってきていた。


 指が三本立てられた香月の手が、弥生の目の前に差し出された。そのまま、二本、一本と指を折っていく。カウントダウンだ。


 最後の指が折られた瞬間、弥生の手が強く引かれた。香月が走り出したのである。弥生もそれとわかったときには、足が動いていた。


 ものの数秒で、二人は白い煙を突っ切り、リビングの大窓へと到達する。香月は窓枠へ手を伸ばした。ガチャリという音とともに、ロックが外れる。そのまま、窓を全開に開け放とうとして――。


「待って!」


 弥生の悲鳴にも似た叫びに、手を止めた。疑問に思うまでも無かった。


「何だこりゃ!?」


 香月も驚愕のあまり叫んでしまう。窓越しに見えるはずの高塚家の庭が、一面白に覆われていた。侵食は家の外にも及んでいるのか。


「くそっ! 外が安全という保障が無かったか」


「どうしよう、お兄ちゃん?」


「どうするもこうするも――。って、どうしたおい!しっかりしろ!」


「なんか…………わたし、きゅうに……ねむ、く…………」


「おいバカ! 目を覚ませ! 寝るな!」


 弥生の手から力が抜けるのを感じた香月は、妹の肩を強く揺さぶる。弥生の瞼は今にも落ちそうで、急速に意識を失いつつあるのがわかった。白い煙は弥生の口元に及んでいる。


「これは――霧か?」


 香月の脳裏に、一瞬だけ、霧の中に佇む何者かの姿がフラッシュバックのように現れる。だが、そのイメージを振り払い――。


「寝るな! 寝たら死ぬぞ!」


「ごめ…………げん、か……い………………」


「弥生! 弥生!! くそっ、俺もか……」


 なんとか妹を目覚めさせようと頑張る香月であったが、程なくして自身も強烈な眠気に襲われる。それはまるで、海の中に落ちていくマリンスノーのような、そんな綺麗なイメージを香月に抱かせた。同時に、胸の中が痛みを訴える。それは呼吸困難や心臓発作のようなものではなく(香月にはどちらも経験がないのだが)、何年も離れていた故郷の風景をふと思い出したような、長い間会っていない初恋の人に偶然再会したような、そんなノスタルジーにも似た痛みであった。


 いつしか香月も抵抗を忘れて、眠りについていた。リビングの窓際で、兄妹が折り重なるように倒れて、眠っている。つないだ手だけは、互いに離さぬように、しっかりと握り締めたまま――。


2話になります。ようやく異世界へ行くことができそうです。

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