2 高校の演劇部員
・ 演劇部に入ってまだ半年だけど、わたしは毎日ワクワクしながら過ごしています。
だってお芝居してると、すごく楽しいんだもの。少しの間だけでも全然ちがう自分になれちゃうの、すごくない? ものすごい歳のおばさんにだって、男の人にだって、女王様にだってなれる。なりきってセリフなんかしゃべったときは、もうトリップ寸前。こんな体験は日常じゃできないはずなの。
お芝居が何千年も前から愛されてるってことが、わかる気がする。エリザベス女王もお芝居が好きだった。貴族も平民もみんなお芝居を見ていた。舞台セットも照明もない時代、お客と役者はいっしょに空想の世界にトリップしていた。
お芝居はドラマとか映画とはぜんぜん別ものなの。舞台の上にいる役者のこえ、はく息、つたわってくる振動、記憶から生まれるセリフと振りつけ、いま地震が起きたらなにもかもが壊れてしまうかもしれないスリル。ライブ感っていうの?
それが楽しいんじゃない。
・ 俺にはどうも演技の才能があるらしい。自分ではふつうだと思ってるからよくわからない。おなじ部の新入部員の女がやたら褒めてきてうっとうしい。
だけどそれがなんだってんだ? このご時世、芝居でメシ食ってけるほど甘くねえ。まともにやっていけてる劇団がいくつあんだよ。芝居はもう時代おくれなんだ。世間のやつらはドラマと映画で大満足で、「お手軽」で「いつでも見れる」が最近のトレンドなんだよ。定期的に劇場まで足をはこぶやつなんて、一体どれだけいるんだ?
それに、客と役者が一体感をもてるほど、客は芝居の世界を求めてない。そんなヒマなんてないんだ。客は別世界にトリップできるほど余裕がないのさ。娯楽を十分に楽しむにはこころの余裕が必要なんだ。いまの世間のやつらに、そんな余裕なんてありゃしねえ。毎日仕事を終えるだけで必死さ。お手軽に楽しめてすぐに現実世界に戻れる、それしか考えてないんだ。
・ 私はそのとき、心臓がつぶれそうになった。
高校演劇の地方大会。わたしの所属する演劇部は名門で知られ、部員の数も50を超える。対して、片手で足りるほどの部員しかいないあんな弱小演劇部に、こんな芝居を見せられるとは。
男の子の方はどこか手を抜いていた。自分の力を過信しているというか、どこか本気になれていなかった。彼は自分の才能に気がついていない。暴れ馬に乗っているかのような感覚だろう。技術を磨けばさらにうまくなる。ただ、彼にその気持ちがあるかどうかはわからない。
女の子の方はまじめな演技だった。日々の練習の成果が見えるようだ。ただ、言ってしまうとセンスがなく、色気がない。これと言って演技に特徴もなかった。ただ、彼女は芝居をしぬほど楽しんでいる。役になりきれていないと言えばそれまでだけど、芝居を見て幸せで笑ってしまったのは久しぶりだ。
大勢でやるような芝居ではない。2人だけで芝居をもたせている。だけどわたしはうらやましかった。彼らの芝居はいきいきとしていた。そう感じてしまった。つまり、わたしの演技は死んでいるのだろうか。こんなに毎日、厳しい練習に耐えているというのに。
本当は、彼らを殺してしまいたいほど憎んでいる。嫉妬している。つまり彼らは私に足りないものを持っている。それを知りたいという欲求と、知りたくないという欲求がぶつかって、むせそうになる。泣きそうになる。けれど、知りたい。この気持ちを引き剥がしてしまいたい。
私は客席から離れ、彼らのいる楽屋まで歩き、扉をたたいた。私の手は驚くほど震えていた。