16 言葉を消し去る魔術師
・わたし、魔術師です。いちおうお店もやっていて……わたしの専門は『言語魔法学』と言って、言葉に関する魔法です。普段やってくる依頼といえば、俺のプロポーズの言葉を考えてくれとか、効果的な謝罪の言葉になやんでるとか、個人のお客さんが多いですね。でチョチョイっとまじないをかけて、言葉をお客さんにあげます。
でもわたしが本気になれば、もっとすごいこともできるんですよ。例えばある単語の世間のイメージを変えたりとか、ある言葉をこの世から消したりとか、そんなこともできます。と言っても、そんなことを勝手気ままにやったら大変なことになるから、一応、国に許可はもらいます。国立言語研究所ってところね。
先日の依頼は、ある有名人からの、自分の芸名を世間から消してくれって依頼でした。仮にその芸名をミユキちゃんとします。そのミユキちゃんは、バカなわたしでも知ってるほどの有名人で、最近とんでもないスキャンダルが露わになりました。それはミユキちゃん自身が完全に悪いってわけじゃないから、同情するんですが、でも、名前のイメージを良くするって依頼じゃなくて、消してくれってやつは、めずらしいかな。
いろいろあって、私はミユキちゃんの名前をこの世から消しました。消すと言っても、過去の新聞から「ミユキ」って文字がパッと消えるわけじゃないです。ミユキちゃんの文字を見ても、人が彼女のことを思い出せなくなるだけ。映像で彼女の姿を見ても、はて名前はなんだったかな、という感じです。記憶が消える感じに近いかなぁ。
そう、だからわたしも、ミユキちゃんのことは一瞬すべて忘れました。直前に自分で書いておいたメモを見て、わたしは記憶を取り戻しました。魔法が広範囲だとコントロールが効かなくって、自分自身も魔法の範囲なんです。
・私の名前がひとり歩きしている。
初めて恐ろしいと思ったのは、この業界に入って、世間のあちこちで私のことが噂されたときだ。褒めるならまだしも、みんなが平気で悪口や殺害予告に近い言葉をつかう。だれも私に面と向かって言う勇気なんてないくせに、こっちが見えるところでラクガキだらけ。覚悟してたけど、すごくこわかった。有名になるってこういうことなんだって。自分の噂がコントロールできなくなるってことなんだ。
今回のことが露見して、怖さはもっと大きくなった。世間であることないことまで言われてる。はっきり言ってそれは妄想とかウソに近い。ウソがどんどん拡散されて、広まったらそれが事実になって、私の居場所はなくなった。多すぎる報道のせいで、私の名前を見ただけで吐き気がする、という人が多くなった。
私は自分の名前を消すことに決めた。あのころ、下積みのころはあんなに広めたがった自分の名前を、消すことにした。
・国立言語研究所にあの魔術師がやってきた。今回の依頼は、ミユキという名前の消去だった。
ある言葉をこの世から消す、しかも名前を消す、というのは高位の魔法にある。影響もかなり大きい。ミユキ本人にとっては、噂だらけの現状はかなりきついだろうが、その報道で生活をしている人間もいる。簡単に使える魔法ではない。会議の結果、うわさが減っているであろう、3か月後に消去を行うことにした。
ミユキの名前が消えたあと、世間はミユキのことを忘れた。ミユキへの悪口も消えたが、代わりに彼女を支持する人間の発言も消えた。厳しい状況でも彼女を支えていたファンは、1人残らずいなくなった。このことは事前にミユキに確認していたことだったので、仕方がない。
ミユキのまわりにも変化があったらしい。当然、家族からも「ミユキ」の記憶は消えた。ミユキの本名を忘れたわけではないから、完全に縁が切れたわけではないが、おそらく会話はちぐはぐになっているだろう。また、彼女には付き合っていた彼氏がいたらしいが、彼も彼女のことを忘れた。どうやら彼も「ミユキ」目当てだったらしい。ミユキ本人が今どう感じているかはわからない。おだやかな顔をしているといいのだが。
芸名を消しただけでこの影響だ。もしひとりの人間の本名を消せば、大変なことになる。(これはとても危険な魔法なので、よほどの理由がない限り使用されないが……)名前を失うということは存在を失うことだ。家族も職場の人間も、役所でさえ、その人間の名前を思い出せなくなる。名前を消した人間は異邦人にでもなると考えるべきだろう。
(ミユキちゃん自身も自分の名前を忘れてるんじゃないだろうか)
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