1 視力を失った男
・20歳のときに視力を失った。
通っていた大学を休学せざるを得ず、一時は基本的な生活を送ることさえ苦労した。点字をがんばって覚えたが、小学生じゃあるまいし、この若くない頭に新しい文字を覚えさせるのはなかなか難しかった。コンピュータの発達のおかげで、趣味だった書きものはなんとか続けられそうだった。僕は科学技術の進歩にはじめて心から感謝した。
いちばんつらいことは、最愛の彼女の顔を二度と見られないことだった。失明直前に見た顔はなんとか覚えているものの、10年後、20年後はどうだろうか。自分といっしょに老いていく姿を見たかった。さらに彼女の花嫁衣装のすがたはどうか。それに、いつか生まれてくるかもしれない僕の子どもの顔はどうか。子どもの成長する姿さえ見ることができない。彼女はなぐさめてくれたが、僕の絶望は消えない。何度も彼女を悲しませたくはないので、いつしか僕は不満も言わなくなってしまった。
・わたしの恋人が視力を失った。青天の霹靂だった。
彼の悲しみは想像を絶するものだった。彼の目が治るのならわたしの片目をあげても良いほどだった。残念だけど、彼の目は一生治らないらしい。彼はわたしの姿が見えないのが一番つらいと言い、額と額を合わせ、なんとかわたしの顔を見ようとした。彼は他の感覚でわたしを感じようとしたが、どうしても視覚の情報には足らないようだった。
わたしは彼の人生を支えることにした。彼は、今はこんなだけれど向上心が強く、ただでは起き上がらない人だ。たまにつらそうな言葉を口にするけれど、彼は立ち直ると信じている。
・今日は施設で、私と同じ視覚障碍者に出会った。
彼はとつぜんの事故で視力を失ったらしい。私は子どもの頃に病気で視力をなくした。彼の気持ちはよくわかった。二度と光が見えないことへの不安と絶望、これから一生、他人にずっと迷惑をかけていくというやるせなさ。私は彼の気持ちをひとつひとつ聞いて、そのからまった悩みが自然にほどけるのを待った。彼は内省的な部分があったが合理的でもあった。少しずつ私たちは、施設以外の場所でも会うようになった。
私はそんなに安易な女でもない。私と同じというだけで惹かれるのもなんだかシャクだったが、彼は特別な匂いを発していた。ふたりとも目が見えないのでは恐ろしく生活に困るだろうとも思ったが、あまり障害にはならなかった。それは彼も感じていたことらしかった。
目が見えないのなら声を聴けばいい。手で触れ合えばいい。もともと気持ちなどというのは目でもそんなにわからない。