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俺はラブミさんの家のチャイムを鳴らした。
「はい」
「こんにちは。演劇部の熊美です」
ラブミさんが応えたので、名乗る。
昨日と同じように、オートロックが開き、玄関からラブミさんが顔を出した。
「……その人は?」
今日も寝間着姿だったラブミさんが、言った。
今日来たのは、女装した俺と、マメさん、男装したユーキ。それにもう一人。
背の高い美人が一緒だった。
パッチリした目に少し派手な化粧。ゆるふわパーマをかけたミディアムロングヘア。顔の輪郭が見えづらいのがポイントだ。
「……もしかして……」
「……俺だ」
美人が、海老さんの声で言った。
「……うそ……」
「すまなかった!」
言ってすぐ、海老さんはそのままの格好で土下座をした。
「ちょ、ちょっと待って! そんなことされても困る!」
「させてくれ!」
「困るんだってば。うちの中でやってよ!」
俺たちは土下座をやめようとしない海老さんをどうにか起こして、家の中にかつぎ込んだ。
「海老ちゃん、どうしてそんな格好してるの? 変態なの?」
変態と付け加えたのは、ラブミさんのささやかな復讐心だろうか。
「どこから、言ったもんか……」
「俺がそそのかしたんですよ」
海老さんが困ってるので、俺が言った。
「女装してみれば、こういう世界の一端でもわかるんじゃないかなって思ったんです」
「そう……それで、なにかわかったの?」
「……すまなかった」
「謝ってほしいわけじゃないよ。感想を聞いてるの」
「……ん、その、なんだ。……解放された気分だ」
海老さんの感想は、奇しくも俺と同じだった。
「……俺は、もしかするとこっちのほうが正解なのかもしれん」
「正解って?」
「俺は多分、女より男のほうが好きだ」
その発言に、誰もが息を飲んだ。
「もちろん、恋愛対象として、だと思う」
「思う、くらいなの?」
ラブミさんは聞き返す。
「ああ、恥ずかしながら、俺は未だに恋愛感情とか、そういうものを持ち合わせたことがない。こう見えて女友達のほうが男友達より多いし、それでも女に恋愛感情がもてないので自分がホモなんじゃないかと悩んだこともあった」
「正しい言葉としては、ホモじゃなくてゲイです」
マメさんが補足するが今はだれも取り合わない。
「性欲の対象もわからん。女に興奮したことがない。かといって男に興奮するわけではないのだが……」
「それじゃあ、わたしとは違うね」
ラブミさんが真剣な顔で言った。
「……かもしれん。だが、こうして女装してみてようやくわかったことがある」
「何?」
「俺がおまえに裏切られたとおもったのは、嘘をつかれたと思ったからじゃない。おまえが、うらやましかったんだ」
海老さんは部室で涙ながらに言ったことを、もう一度繰り返した
「俺はその、自分が、その、オカマ……いや、マメやラブミのいう、トランス何とかというものなのかもしれんとは、ずいぶん前から思っていた。だが、このツラにこの体格だ。女装なんかできないと思っていた。それが間違いだった」
「トランスジェンダーかトランスセクシャルのどっちかですね」
マメさんが補足する。だがやはりだれも取り合わない。それでもいいらしい。
「外見は変えられるんだな。俺が変えなきゃならないのは、内面なんだと気付かされたよ。だから、ラブミ……ほんとうにすまなかった」
改めて海老さんが頭を下げる。
ラブミさんは何も言わなかった。
しばらくうつむいて、小さくうめくような声を漏らしている。
「ラブミ……」
「……ぷっ……」
海老さんが名前を呼んだ瞬間、ラブミさんは大きく吹き出した。
「っははははははっ! あははははっ! ありえないんだけど!」
ラブミさんがこらえていたのは、大きな笑い声だったようだ。その豹変ぶりに、海老さんをはじめみんな呆然としている。
「ちょ、ちょっと待って。怒ってない、怒ってないから……くっ、ははははは。面白すぎるの、ちょっと面白すぎるの!」
それからたっぷり二分、ラブミさんは笑い通しだった。
「あはははは……はは、はあ……はあ……。ごめ、ごめん。どうしても面白くって」
ラブミさんは笑い終えると、海老さんを見つめて言った。
「海老ちゃん。わたし、実はあなたのこと好きだったんだよ」
「俺を?」
海老さんは大きな声をあげた。
「女として、男の海老ちゃんを。すごく頼れるし、強くて優しいし、一緒にいて楽しいし……。卒業式までは我慢しようと思ったけど、言っちゃったなあ……」
ラブミさんはあさっての方を向いて続ける。
「でもね、わたし、異性愛者だから。女の子は好きになれない。海老ちゃんも女の子になるんだったら、わたしは失恋。そう考えたらなんだかすごく面白くなっちゃって」
「そ、そうだったのか……」
海老さんは窓ガラスに映った自分の姿を見つめなおす。
「嫌われたと思って、すごく落ち込んだ。けど、これならしょうがないよ。これからも親友でいてくれる?」
そう言って、ラブミさんは片手を差し伸べた。海老さんは迷わずその手をつかむ。
「もちろんだ! 俺はおまえの親友でありたいし、それに……」
「それに?」
「……それに」
「だから、それになに?」
「言わせるな!」
「ええー。言ってよ。海老ちゃん。わたしの大好きだった海老ちゃん」
「ああもう! 言わねえよ!」
「意識しちゃったんすよ、たぶん」
ユーキが言った。瞬間、海老さんの顔が塗ったように赤くなる。
「ラブミさんに告白されて、海老さん、ラブミさんのこと異性として意識し始めちゃったんすよ。それで自分のアイデンティティがまたわからなくなってるんす。きっと」
「言うなあっ!」
海老さんが大声で怒鳴ったので、ユーキもそれ以上は冷やかさない。だがニヤニヤと二人を見つめている。
「それって、そうなの? 海老ちゃんも、わたしのことを……?」
ラブミさんが目を見開いて言った。
「でも、海老ちゃん、女の子になるんじゃないの? わたしみたいに……」
「そうとも限った話じゃないですよ」
マメさんが言った。
「性の世界、恋愛の世界は簡単じゃないんです。海老さんは自分のことを同性愛者か、それともGIDか悩んだのかもしれませんが、きっとそうじゃないんです」
先程からスルーされていたマメさんの性の世界の話に、ついにみんなが注目する。マメさんは得意そうに続けた。
「両性愛者か、全性愛者か、まあこの言葉はどっちも曖昧なんですけどね。性別にこだわらないひとだったんじゃないですか? 海老さんは。好きになった人が好き。ただそれだけのひと」
「お、おう……」
「性別じゃなくて、ラブミさんを見てあげてください」
「ええ、でも……わたし彼女ができるのは困る。彼氏が欲しい」
ラブミさんが調子に乗って言った。
「わかった、女装はしない。俺は男のままでいい。その、俺も、おまえが好きだ……」
海老さんが語尾をすぼめながら言った。
「……はい」
ラブミさんはそれに、ただそう答えただけ。瞬間、ユーキが爆発する。
「おめでとう! おめでとうっす! 先輩方、おめでとうっす!」
「う、うるせえ! 騒ぐな!」
「騒がずにいられるかってんですよ! 海老さん、おめでとうございます! ラブミさんもおめでとうございます!」
「ありがとう、ユーキくん。……はあ、わたし、カマバレしたから転校しようと思ってたけど、できなくなっちゃったなあ」
ラブミさんは頬を染めながら言った。
「あと一年、好奇の目で見られるのは我慢します。責任とってよね、海老ちゃん」
「おう。……俺と付き合ってりゃ、おまえが男だなんて言う奴は黙らせてやる。おまえが昔男だろうが、今女なら関係ねえよってな」
「もう! 海老ちゃん、どうしてそんなかっこいいこと、女装しながらいうの!」
「あ……いけね」
海老さんはどうやら、自分が女装していたことをすっかり忘れていたらしい。
「あとでまた、ふたりきりの時に言ってよね……そしたら、わたしちゃんと泣くから」
ラブミさんは言った。
こうして、どうにもしまらない告白劇は幕を閉じた。




