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俺は結局、ワンピースの方を選んだ。価格はこれで驚きの六八〇〇円!
お小遣いとしては少し痛いが、まあいいだろう。
……楽しくなってきてる。それがなんだか辛い気もするけど。
「次は下着だね」
「下着……あ、そうですね」
「ブラとカラータイツがあればいいよ。パンツは構造が違うから買わなくていい」
構造が、ねえ……。
たしかに余計なものがついてるぶんおパンティ様に必要な形は男女で変わるのだけど。
「タイツはサイズもわかってるから、色を何種類か選んで、それからブラだね」
マメさんは店員さんを捕まえた。
「この子のブラのサイズ測ってもらいたいんですけど」
「かしこまりました」
仕事に忠実そうな、感情を殺した店員さんが、ウェストバッグから巻き尺を取り出す。そして俺の胸にそれを二回回して言った。
「お服の上からですので若干サイズにズレがありますが、Dの七五か、Eの七〇をお選びください」
「あ、ありがとうございます」
俺はそれだけしか言えなかった。
顔が熱い。
一週間前まで、まさか女性にブラのサイズを測ってもらうなんて思ってなかったのに。
いま、こうしてブラを買おうとしてるなんて、ほんとに女になってるみたいで、なんだかすごく怖いし、恥ずかしい。
「顔が赤いよ」
マメさんにそう茶化されて、俺ははっとする。
「だ、大丈夫です」
「そうか。しかし参ったね……」
「なにがでしょうか……」
マメさんがそうつぶやいたので、俺は急に不安になった。女装の先輩のマメさんにもわからないことがあるとすれば、大問題だ。
「Eカップ用のブラは、数が少ないし少し高い。そこが問題なんだ」
「そうなんですか?」
「大きい人用のブラとなると格安店ではあまり見ないね。ほら、標準サイズならたくさん揃ってるんだけど」
言ってマメさんはそこら辺のブラを俺に見せてくる。ううむ、これも恥ずかしい。
「オンナの苦労がわからないみてえだな」
ユーキも気楽そうな顔をしながら言った。
こいつ、男の姿なのに女性下着売り場に平気でいやがる。俺なんか女装してても恥ずかしいのに。
「そういうユーキは何カップなんだ」
「Bだよ。ブラに困ったことはないね。むしろ簡単に潰せるからありがてえや」
「ふーん……俺より小さいのか」
「は?」
「あ、いや。胸囲。ほら、骨格が違うから」
危ない危ない。
もう少しで、おっぱいがあることを普通に話題にするところだった。
今のところ俺のおっぱいは、この学校ではマメさんとさんごだけが知ってる状態だ。それ以上は、まだ明らかにするつもりはない。
「あれ? ちょっと……」
マメさんが言った。
「あそこにいるの、海老さんじゃない?」
そう言って示す先には、演劇部の島海老先輩こと海老さんがいた。
海老さんはあたりを伺いながら女性用ドレスを手にとって見ているところだった。
「あ、本当だ。何やってるんだ?」
周囲を警戒するかのようにチラチラしているのは、まるで万引き犯のようで、逆にその様子を店員さんが警戒しているのが、下着売り場からだと丸見えだった。
「あれ、下手すりゃ捕まるね……」
「声かけたほうがいいでしょうか」
「そうするか」
マメさんが言ったので、俺は買い物カゴに下着を突っ込んで、海老さんの方に向かった。
「海老さん、おはようございます」
「ひっ!」
海老さんは大きな身体に似合わない甲高い悲鳴をあげた。
「な、だ、誰だ?」
「女装部ですよ。おはようございます」
ああ、そうか。この格好だと誰だかわからなかったのか。
「女装部だと? 俺はそんなものを認めた覚えはないぞ!」
娘の婚約者に会ったお父さんか、あんたは。
しかしその言葉も、背の高いごつい男が、女性物のワンピースを手にしながら言ってるわけで。
「海老さん、そういうのに興味があるんですか?」
ユーキが言った。
「あるか!」
海老さんは怒鳴った。
「これは、その、シンデレラの継母に向いたものはないかと思って、見ていただけだ」
「一人で?」
「悪いか?」
「いや、悪くないですよ。わたしたちもこういう趣味の持ち主ですし」
そう言ってマメさんは俺とユーキを見る。
「お前らと一緒にするな。俺はあくまで演劇部員として衣装の調達に……な」
「水くさいなあ。一緒に見ればいいじゃないですか。こういうドレスでしたら部室にもありましたし」
マメさんの言うとおり、部室にはドレスのような衣装はサイズを問わずいくらかあった。新品を買うよりそういうものを合わせたほうがいいだろう。
「女装部と慣れ合うつもりはないんだ、俺は!」
海老さんはそう言って、持っていたワンピースを元に戻す。
怒りながらもきちんと丁寧に戻すあたり、このひとの素の性格が丁寧な人である証拠だ。
「ラブミはああは言っているが、おまえら女装部の存在を俺は認めたわけじゃないぞ。今回の女装劇も、あくまで芝居としてなんだからな!」
「わかってます、わかってますよ」
マメさんはちょっと茶化すような含みを持って返す。
「くそっ……嫌なやつに見られたもんだ」
海老さんは吐き捨てるように言い残して、帰っていった。
「難しい人ですよね……」
「彼は彼で、いい人なんだけどね」
俺のつぶやきを拾って、マメさんが答える。
「趣味嗜好や性癖の違いで揉めるのはちょっと残念なことだよ」
「でも、仕方がないっすよ」
ユーキは言った。
「あるものに対して好きでたまらないひともいれば、嫌いでたまらないってひともいるのは、しゃあないと思うっす」
「……そうかな?」
「そうっすよ」
「海老さんの場合はそういうのと違うんじゃないかな」
マメさんはそう言って意味ありげに笑った。
「どういうことです?」
「さあ。私の勘違いかもしれないし、勝手なことは言わないでおくよ。さて……あれ?」
マメさんがハンドバッグをまさぐる。いろんなポケットや、服のポケットまで。
「携帯やーい」
「なくしたんですか?」
「うん。携帯にここのポイントカード入れてたんだけど。さて、参ったな」
さして参ってもいないようなふうに、マメさんはタブレット型コンピュータを取り出す。
少し操作すると、画面に地図が表示されて、学校のあたりにマークがついた。
「ああ、部室に置いて来ちゃったのか」
「それで携帯のあるところがわかるんですか?」
「GPSだよ。最近の携帯にはみんなついてる機能だと思うよ? わたしみたいにタブレットと携帯の二台持ちだと、どっちをなくしてもすぐ追跡できるしね」
「便利なのはいいけど、自分がどこにいるか誰かに追跡されちゃうんじゃねえっすか?」
「その心配はあるけど、今のところわたしにストーカーはいない。害意を向けられたら機能をオフにしちゃえばいいだけさ。さて……ポイントカードは、君のを新しく作るとしますか」




