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「うん、いい眉毛してるから書き足さなくても映えるね。背も高くないから違和感ないし」
放課後、俺はしっかりと遠藤先輩のおもちゃになっていた。
遠藤先輩に連絡して、演劇部室で待ち合わせると、遠藤先輩はさっそく俺の顔に落書きをはじめた。いや、落書きではなく化粧だが。
ちなみにその遠藤先輩もすでに女の子モードだった。女子制服のリボン付きブレザーにスカート。髪の毛も昨日と同じ茶髪のポニーテールだ。男の人だってのはわかってるけど、まったく女子にしか見えない。
「メイクってのは、女性の場合はしなくても映えるんだけど、男性を女性に見せるにはやっぱりメイクが必要だからね」
遠藤先輩はそう言いながら俺の顔にいろいろなものを塗りたくっていく。
「男性の方がゴツゴツしてるし、ヒゲも生えるから。……と言いたいんだけど、君は本当に化粧がいがないなあ」
「す、すいません……」
「いや、あやまらなくていいんだよ。別に責めてるわけじゃないんだ。もともと女顔だって言われない?」
「……さあ、そんなには」
「ホルモン異常、って言ってたよね。そのせいもあるのかな。ヒゲは薄いし骨格も丸っこいし。胸だけじゃないのかな」
遠藤先輩は、仕上げに口紅を塗ってくれた。ブラシを使って丁寧に塗る。
「ふふ。よし、これで出来た」
そう言って遠藤先輩は、手鏡を俺に差し出した。
「これが俺……ってほどでもないですね」
鏡に写っていたのは、確かに女性の顔だった。だが、着ているものが男子制服だし、髪の毛もヘアネットで束ねられてるだけだから、それほど変わったようには見えない。
「ああ、順番が逆になっちゃったな。普通は服を着替えてからメイクだから。じゃあ、これ着てくれる?」
そう言って遠藤先輩が出したのは、制服ではなく普通の女の子の服だった。キャミソールとか言う、胸を少し露出するワンピース。
「こ、これ……着るんですか?」
「極端なくらい女の子っぽい服を着てた方がいいだろう? 自分は今は女の子だ、って意識できるし」
「そうですけど……下着も女物つけないとならないんですか? スカートだし……」
「大丈夫、カラータイツを履くから下はそのままでいいよ。すね毛を処理する手間も省けるし」
「ほっとしました」
「でも、上はブラジャーをつけたほうがいいね」
「ぞっとしました」
「そんな胸なのにブラジャーはつけたことないのかい?」
「ええ、ないです」
これは本当。ナベシャツに出会うまでは、おっぱいは野ざらしだった。先端がこすれて痛くなったからというのも、陸上部をやめた一因だ。
スポブラつければいいのに、なんて言われたものだが。
「ブラつけちゃったら、もう戻れないんじゃないかと思って、怖かったんです」
「なるほどね。確かに一理ある」
遠藤先輩はそう言って、俺に差し出した山からブラをつまみ上げた。白地にパステルカラーの水玉がついた、可愛らしいデザインだ。
「まあ、どっちにせよ、女装始めちゃったら帰って来られないかもしれないけどね」
「怖いこと言わないでください」
俺はぞっとして、逆らうように強く言った。
夜のお店で女装して働く自分の姿を想像してしまったからだ。
「ちょっと、試してみるだけなんですから」
「知ってるかい。麻薬の売人は『いつでもやめられるから』って言うのが常套句らしいよ」
「……女装って麻薬なんですか?」
「さあね。でも僕はもう、やめるにやめられない。君がそうならないって保証はできないから、ブラをつけるかどうかは、君が決めるんだ」
遠藤先輩はブラジャーを差し出した。受け取れということだろうか。
これを受け取れば、俺は後戻りができなくなる。ということだろうか。
……違う。一度だけだ。試してみるだけだ。
「……大丈夫です。今日だけ、試すだけです」
俺は、そのブラジャーを受け取った。
「よし。じゃあ付け方を教えようか。上を脱いで」