(5)育ての親
ここに来て何日経ったのか。朝、昼、夜に運ばれてくる食事を食べ、柔らかいベッドの上で、魔物が襲ってくるかもしれないという万一の場合に備えることなく寝れる。
別に、不自由もないが、俺に合わない生活だった。みすぼらしいからという理由で王から与えられた服も、袖を通すだけで虫唾が走った。何度ここから逃げ出そうと思ったことか。だけど、逃げられなかった。
ここに来た日の夜、客間に備え付けられた窓を開け放ち、空を見上げた。ふと下を見たとき、ものすごい高さにこの部屋があることを知ったものの、俺ならなんとかなるか、と安易に考えて窓に足を掛けた。そして、いざ飛び立とうとした時、目の前には見えない壁があるかのようにして俺を遮った。顔面から思いっきりぶつかった俺は、うずくまって痛みを堪えていた。
「逃げ出そうなんて甘い考えは捨てた方がいいであろう。逃げ出したところで、ヴォルデオに見つかるのも時間の問題だ」
痛みを堪えながら見上げた先には、ドアが開いた音もしなかったのに、ジジィがローブを身にまとって立っていた。
「……どういうことだよ?てか、てめぇ、人のこと変なことに巻き込みやがって!」
「てめぇ、か……仮にもお前を8年間育てた育ての親であるぞ。私の名前はアルフィ・ソード。国王直属の魔法使いだ」
「俺を、育てた?」
懐かしい感じもする。だけど、だからと言って、アルフィが俺の育ての親だという証拠はない。俺はまじまじとアルフィの顔を見た。
「お前に魔力を授けたのも私だ。老いぼれだからと言うて、私をあなどるでないぞ」
アルフィは持っていたローブの袖から枝のような杖を取り出すと、杖を振って、俺が開けた窓を閉めた。続いて空中でもう1度、2度杖を振ると、俺とアルフィの間に、テーブルと椅子が2脚、そして、もう1度杖を振ったところで、ポットとカップが現れた。
「まぁ、座れ」
そう言ってアルフィは俺に杖を向けて振ると、体が勝手に動き、無理矢理椅子に座らされた。杖でポットを叩くと、勝手にポットが動き、ティーカップに湯気が出る熱い紅茶を注いだ。
「さてと、準備は整った。それで、質問は何だね?」
俺は呆気にとられて何も言えなかった。
「それでは私から質問しよう。お前の名は?」
「そんなの、知ってるだろ。ロビン、ロビン・アンソニック」
「そうであった。近頃物忘れがひどくてな」
そんなこと明らかに嘘であるのに、アルフィは声をあげて笑った。
「しかし、それ以外に、ロビン・アンソニックに関する情報は何かあるのであろうか……」
「……」
「小さなルルーエントという村に生まれ、生後間もなく両親を亡くす。
それからお前の記憶はどこへ行った?」
物静かに話し続けるアルフィは、時折紅茶を飲みながら、俺の目を見ずに窓の外を見ていた。
「魔力を授けられたが故に、村人やこの国の者から疎まれ、呪われた子と呼ばれる羽目になった。ヴォルデオに呪われ、自分の運命に呪われ、呪われるばかりじゃのぉ」
「その1つの元凶はアルフィだろ」
ぼそっと言った俺の言葉に、アルフィは笑いながら、これは失礼、と言った。
「……記憶を失くしておる……ソフィアン王女のように」
俺は口を閉ざしたまま、紅茶にも手を付けなかった。アルフィは2杯目の紅茶を注ぎ、カップを持ったまま言った。
「記憶とは儚いものだ。人はすぐに忘れてしまう。だから過ちを繰り返す。しかし……」
アルフィは俺の顔を覗きこんだ。
「記憶を取り戻すことも出来る。お前が望むならば、お前の過去を、取り戻すことも出来る」
「何が言いたい?」
「お前の住んでいた森は、記憶の森と呼ばれておる。その記憶の森を、記憶の森と呼ぶ理由さえもわからぬまま、そう呼んでおる」
「だから!!何だって言うんだ?」
俺がテーブルを勢いよく叩いて立ち上がった瞬間、俺のカップが倒れ、紅茶がテーブルを伝って床にこぼれた。
「かつての英雄の話は知っておるな?かつての英雄メモリアントは、この国に、枯れる事の無い木を植えた。それが、記憶の木。その記憶の木には、様々な記憶が刻み込まれておる。もちろん、ロビン、お前の記憶もじゃ」
黙ったまま、俺はただただアルフィを見つめるだけだった。
「行ってみるか?その、記憶の木のある場所へ」
◆◇◆
それっきりだった。それっきり、アルフィが俺の前に姿を現さないまま数日が経った。
結局ヴォルデオとか言う魔法使いについても聞き出せずに、テーブルと椅子だけ残して、アルフィはドアを使わずに部屋から消えた。窓から星空を眺めていると、森が恋しくなる。恋しくなるなんて言うと、柄には合わないけれど。
毎日生きていくのがやっとな生活でも、何年もやっていると、それはそれで居心地のいいものだった。時折、魔物に出くわす時もあったけれど、いつもあの剣で倒してきた。ふと思い出したのは、ソフィアンを助けた時に使った剣だった。いつも家の入り口に立て掛けておいて、何かあるとそれを使っていた。
いつから持っているのかはわからない。それにも、強大な魔力が宿っている事は俺にでもわかる。あの剣も、アルフィの物なのだろうか。わからないことだらけの俺は、一層森が恋しくなった。
呪われた子がどうだとか、そんなことは関係ない。俺は俺だ。だから、こんなところに留まってるわけにはいかない。早くここから出たい。そう、心の底から思ったときだった。
「そろそろ、森が恋しくなる時か?」
後ろを振り向くと、そこにはアルフィが立っていた。
深い青の瞳。すっと吸い込まれそうなほど透き通っている。銀色に輝く長い髪は、後ろで1つに束ねられている。首からぶら下げられた、瞳と同じ色の宝石のペンダントは、アルフィの動きに合わせて輝く。何もないこの部屋の空間で、アルフィは圧倒的な存在感を放っていた。
「今から、あの木の場所へ行く。お前も来なさい」
そう言って、アルフィは手に持っていた黒いローブを俺に投げ渡した。少しホコリっぽい気もしたけれど、それくらいが俺には丁度良かった。
「丁度よかった。聞きたいことがいろいろとあったんだ。それと、その場所へ行く前に、俺の家に寄ってくれないか?」
「……別に構わない。彼らが良いと言うならば」
「彼ら?」
アルフィはニコッと意味深な笑顔を浮かべると、今度はドアを使って部屋の外へ出た。城の門までアルフィの後を歩いて付いていくと、そこには見覚えのある馬が2頭、それに馬車が1台、そして、その馬車の前には王子兄弟がいた。