第1章 (1)森の中
◆◇◆
追われる。
追ってくる。
何か、とてつもなく大きいものが。
ふと立ち止まるが、周りは木しかない。
ここは、何処?
誰か、
助けて―
◆◇◆
深い森の奥。かつての英雄、メモリアントが植えたといわれる"記憶の木"のある森の奥。俺はそこに、たった1人で住んでいる。
そのせいか、他の人間との関わりはゼロに等しい。と言うか、関わりを持つ気もない。だけど、生きるためには何かと必要な物もあるわけで。例えば食料であっても、森で自分で見つけなければいけない。時には狩りなんかもする。
今日だって、たまたま無くなった薬草と、たまたま無くなった干し肉をつくる為の肉を手に入れるためにたまたま森の中を歩いていただけなのに。
「どうして俺は…」
―女の人を拾ってしまうんだろう。
とりあえず家へと運ぶ。見て見ぬ振りをしておけば良かったものを。だけど、後々恨まれたら嫌なだけだ。その女の人の着ているドレスは所々破れていて、裸足の足は泥だらけだった。だけど、顔立ちはキレイ。もしかしたら、どこかのお偉いさんの御令嬢かもしれない。
面倒くさいことになる前に、この人が目覚めたらさっさと帰ってもらおう。そんなことを考えながら、食料を手に入れることなく、女の人を手に入れる羽目になった。
俺が住んでいる家のベッドに女の人を寝かせると、女の人を家の中に残し、俺は外へ出た。外はすでに日が暮れ、見上げる空には、今にも降り注いできそうな星が輝いていた。見渡す限りの木々と星。この他には何もない。ただ、無情に時だけが流れる。かつての英雄、メモリアントが
「我々人間は小さな存在であり、愚かで、何も出来ない。だからこそ、群れで行動するのである」
なんて言葉を残している。そんな言葉、たとえ、かつての英雄の言葉であっても、俺は信じない。もし、俺がこの世に言葉を残すのなら、こう残す。
「我々人間は卑劣な存在であり、自分を守るためなら、何だってする。だからこそ、他人を傷つける」
―ガサガサッ、ガサッ…ガサッガサ
普段、静かなこの森に、何者かの気配が漂い始めた。野犬か?魔物だったら最悪だ。俺は一旦家へ入り、玄関に立て掛けておいた剣を手に取ると、再び外へと出た。
すると、先ほどとは違う気配を感じた。ただの気配だけではない。重たく、邪悪な気配を背負った殺気。木々の間から、その無数の殺気が飛んでくる。数は多そうだ。ゆっくりと目を閉じる。神経を集中させ、その殺気を読み取る。野犬でも、魔物でもない。
―この殺気は…
「覚悟!!」
目を開けた瞬間、数人の兵隊が剣を俺に向けて突進してくる光景が目に入った。俺は咄嗟にジャンプし、後ろに下がった。それでも尚突進してくるその兵隊たちに、嫌気が差した。兵隊たちの殺気は恐ろしく鋭い。俺は剣を右手で持ち、その場で空気を左から右へ斬ると、両手で持ち高い位置から振り落とすと、地面に突き刺した。
その瞬間、突風が吹き、兵隊たちは吹き飛び、尻餅をついた。兵隊たちは素早くたちあがり、再び俺に向かって来るが、もはや無駄だった。俺の前には見えない壁が聳え立ち、兵隊たちは何度も何度も跳ね飛ばされていた。
「貴様っ…姫様をどうするつもりだ!」
「姫様?」
一番強そうな兵隊が、地面に倒れながら俺に鋭い視線を送ってきた。
「知らない振りをしよって…!王族を誘拐することは、し、死刑に値するぞ!」
「誘拐?」
この兵隊の言ってることがさっぱりわからなかった。地面に突き刺さっている剣を抜き取ると、その兵隊はゆっくり近づいてきて、俺の足首を掴んできた。
「…放せ」
その兵隊を見下ろすと、冷たい言葉と共に蹴り飛ばした。人の領地に勝手に踏み込み、その上、人を誘拐犯呼ばわり。怒りは頂点に達していた。この兵隊たちの始末をどうするか。そんなことを考えていると、森の奥から馬の蹄の音が聞こえてきた。音をよく聞いてみると、どうやら馬は2頭のようだった。俺は再び剣を右手に持つと、やってくる何者かに備えた。
「これはこれは、もしかして、貴殿は噂の呪われた子、いや失敬、ロビン・アンソニック様では?」
「へぇ…兄上、この人と面識あるんですか」
森の中から、白馬と黒馬に乗った2人が俺の前に現われた。2人とも腰には見事な細工の施された剣を差していた。馬の装飾も凄いもので、いくつもの大きな宝石で飾られていた。
「お前ら、誰だ?」
いかにもどこかの王族であろう身なり。しかし、たとえ王族であろうと、誰であろうと、俺には関係ない。早くこの領域から出て行って欲しい。
「失礼、名乗りもしないで。わたくしはメモリアント国第一王子、ウェルト・アルフレット」
「同じく、メモリアント国第二王子、ノヴァン・アルフレット」
2人は馬の上から、無残にも倒れている自分の軍隊の兵隊たちを見下ろした。
「さて…わたくしの可愛い妹はどこに?」
「姉上を、どこへやったのですか?」
兵隊たちはよろよろと起き上がり、2人の後ろに整列をし始めた。俺はしばらく考えていた。
姫様?王族?誘拐?可愛い妹?姉上?
俺はようやく頭の整理がつくと、無言で家の中へ入って行った。その後を、馬から下りたウェルトとノヴァンがついてきた。そして、家の中へ入ると、俺は横たわっている女の人の頬を軽く叩いた。何回か叩いているうちに、女の人は気が付いたようだった。
「ソフィアン!」
「姉上!」
ウェルトもノヴァンも俺を跳ね除けると、そのソフィアンとかいう人に駆け寄った。すると、ウェルトが腰から剣を抜き、俺にゆっくりと近づいてきた。
「王族を誘拐…。ロビン様には度胸があるようで。我が城まで来ていただけますか?
来ていただけないのならば、いくらあなたが呪われた子であっても、この剣があなたの血に染まるだけ」
俺は何も言わずに突っ立っていた。じっとウェルトを見る。ウェルトも目を逸らさない。
すると、ドタバタと家の中に兵隊たちが入ってきた。ウェルトはそこでやっと目を逸らすと、その兵隊たちに目で合図をした。合図を受けたであろう兵隊が、俺の後ろに回ってきて、腕を掴んだ。次に、他の兵隊がロープで手首を縛り、俺が何もできないようにした。俺は抵抗をしなかった。ただ、じっとウェルトを見るだけ。
「ここは…どこ?」
小さな声は、震えながら発せられた。
「姉上!ノヴァンでございます!お気づきになられましたか?」
「…ノヴァン?」
続いてウェルトが話しかける。
「ソフィアン。私だ、ウェルトだ」
「ウェル、ト?」
そのやりとりを聞いていた俺は、妙な感覚を覚えた。ソフィアンを盗み見すると、もうすっかり気が付いているようだった。それなのに、会話が疑問系だ。
「もしかして、記憶が無いんじゃないの?」
何気なく発した俺の一言で、ウェルトもノヴァンも、兵隊たちも一気に俺を見た。ウェルトは再びソフィアンに話しかけた。
「ウェルト、ウェルト・アルフレット…わからないのか?」
ソフィアンは返事をしなかった。今度はノヴァンが剣を引き抜いた。
「貴様っ!姉上に何をした!?ただでは済まぬぞ!」
「…ノヴァン」
ウェルトが、昂っているノヴァンに落ち着いた声で話しかけた。それでもノヴァンは俺に突っかかってきた。
「姉上が、我が国にとってどれほど重要なお方か知らぬのだな!?今、この世の―」
「ノヴァン!」
俺に切りかかろうとしたノヴァンを、ウェルトは一喝して止めた。
「しかし兄上!」
「とりあえず、ロビン様には城まで来ていただく。ソフィアンも、城に連れて帰る」
ウェルトがきっぱりと言うと、ノヴァンは俺を睨みながら剣をしまった。
◆◇◆
一夜にして、俺は犯罪者という濡れ衣を着せられ、厄介な事に巻き込まれてしまったらしい。しかし、これはただの始まりにすぎなかった。いや、これ以前から、俺の運命は動き出していたのかもしれない。忌まわしい、「呪われた子」という肩書きが、俺の運命を狂わした。