第五章:影の追跡者、阿登城の雨
第五章:影の追跡者、阿登城の雨
オークションハウスの外は、さらに激しさを増した雨が降り注いでいた。
阿登城の黄金色の灯火が、濡れた石畳に反射して歪んでいる。
ソフィアは、手に入れたばかりのスキルブック『影歩き(シャドウ・ウォーク)』を即座に脳内インターフェースで展開した。
【システム:伝承級スキル『影歩き』をロード中……神經接続完了。】
【パッシブ効果:移動時の足音を80%カット。アクティブ発動時、3秒間の「無敵(フレーム回避)」状態を生成。】
「……来たわね。」
ソフィアは、フードの陰で冷酷な瞳を細めた。
赫ラディム呼吸法の律動を維持したまま、彼女の神經網は周囲360度の環境データをスキャンしている。
背後の路地裏、そして建物の屋上。気配を殺しているつもりだろうが、100%の同期率を誇る彼女の前では、その殺気は「ノイズ」となってはっきりと浮き彫りになっていた。
「追跡者、合計六名。……沈墨、相変わらず手回しだけは早いわね。」
沈墨の飼い犬である『輝煌之盾』の精鋭部隊。
その先頭に立つのは、前世でも沈墨の「影」として多くのプレイヤーを葬ってきた暗殺者、**狂梟**だ。
【テクニカル・ログ:雨中の索敵判定】
「……狂梟の敏捷値、現時点で推定15。レベルは恐らく3。対する私はレベル1。純粋な数値計算では、私の生存確率は0.02%以下……。」
ソフィアは、あえてスラムへと続く暗い裏路地へと足を踏み入れた。
誘い込み。
彼女は、自身の『敏捷(AGI)』値を限界まで開放しつつ、わざと右足の着地を0.01秒だけ遅らせた。それは、システム上の「動作のブレ」を装った完璧な罠だ。
「……逃がすかよ、小娘!」
背後の闇から、狂梟の声が響く。
瞬間、雨を切り裂いて三本の投擲ナイフ(スローイング・ナイフ)が放たれた。
ナイフの軌道は、ソフィアの背中、腰、そして逃げ道の先を完璧に封じ込めている。
だが、ソフィアの脳内では、そのナイフの飛行曲線が青い光の線として視覚化されていた。
「判定:前傾姿勢からの、右旋回。」
ソフィアの体が、物理法則を無視した角度で折れ曲がった。
ナイフが彼女のローブを掠め、石壁に突き刺さる。
火花が散った瞬間、ソフィアは既に、狂梟の視界から「消えて」いた。
「なっ……!? 消えただと!?」
狂梟が目を見開いた時、彼の足元にある「影」が、生き物のように蠢いた。
【アクティブスキル発動:影歩き(シャドウ・ウォーク)。】
ソフィアの姿が、雨粒を透過するようにして、狂梟の背後へと再構成される。
彼女の手には、まだ「柄」だけの武器、『黎明の欠片』が握られていた。
「……貴方の視神経は、私のフレーム(動作)を捉えるにはあまりにも低性能よ。」
ソフィアの冷徹な宣告。
彼女は、赫ラディム呼吸法によって神經を「超頻」させた。
視界が赤く染まり、耳元で脳髄が焼けるようなパルス音が鳴り響く。
だが、その代償として、ソフィアは狂梟の喉元にある「当たり判定」の脆弱なピクセルを、完璧に捉えていた。
「死ねッ!」
狂梟が振り向きざまに短剣を突き出す。
しかし、その攻撃が届くよりも早く、ソフィアの『黎明の欠片』が放電を開始した。
それは武器としての攻撃ではない。同期率100%による、システム側の「位置座標の強制書き換え」だ。
パリィンッ――!
仮想空間の空気が、ガラスが割れるような音を立てて砕けた。
ソフィアの突きが、狂梟の喉を貫通する。
正確には、貫通した「データ」が狂梟の HP バーを一瞬でゼロに書き換えたのだ。
【クリティカル・エクスキュージョン(精密処刑)!】
【-240 HP! オーバーキル判定。】
「……が、は……バカな、レベル、1の、はず……」
狂梟の体が、光の塵となって雨の中に溶けていく。
残された五名の部下たちは、その光景に恐怖し、一歩も動けなくなった。彼らの目には、ソフィアが「バグ」そのものに見えたに違いない。
ソフィアは、狂梟がドロップした一通のエンブレムを拾い上げた。
それは輝煌之盾の幹部証。これがあれば、沈墨の私設倉庫の座標を特定できる。
「……沈墨。オークションの金貨は、ほんの序の口。」
ソフィアは、雨に濡れた髪をかき上げ、中央塔の最上階を睨みつけた。
そこでは沈墨が、自身の完璧な計画が崩れ始めたことも知らずに、勝利の美酒を味わっているはずだ。
「貴方が築き上げたその『城』を、一階ずつ、内側から爆破してあげるわ。……まずは、貴方の財布(倉庫)からね。」
赫ラディムの鼓動が、彼女の心臓と共鳴し、雨音をかき消していく。
ソフィアの姿は再び闇へと溶け込み、阿登城の迷宮へと消えていった。
復讐の女神は、決して立ち止まらない。




