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第三章:赫拉ディムの律動、神經の超頻

第三章:赫拉ディムの律動、神經の超頻


スラムの地下水道に、重く湿った沈黙が降りていた。

エリートボス『腐食主コラプター』が消滅した後に残されたのは、腐敗した肉の焼ける異臭と、壁を伝う汚水の滴り落ちる音だけだ。

ソフィアは、手の中に収まった漆黑の柄――『黎明の欠片ドーン・フラグメント』を凝視した。

それはまだ、武器と呼ぶにはあまりにも無残な、折れた鉄の塊に過ぎない。しかし、その芯からは、前世で彼女を裏切った者たちが喉から手が出るほど欲した、あの圧倒的な「神性」の鼓動が聞こえていた。

「……ッ、ぐ、あ……」

不意に、ソフィアは膝をついた。

同期率100%。それは至高の領域だが、同時にレベル1の脆弱なアバターにとっては、高電圧の電流を細い銅線に流すような自殺行為だ。

視界の端で、赤く点滅する【警告:神經負荷オーバーロード限界】の文字が、激しく警鐘を鳴らしている。現実世界のV4シミュレーターからは、過熱したプロセッサが悲鳴を上げるような高周波の駆動音が聞こえていた。

「このままじゃ、脳が焼き切れるわね……。」

ソフィアは、ボスの背後に隠されていた朽ち果てた石箱を開けた。

そこには、前世で世界の歴史を塗り替えたとされる禁忌の技術――**『ラディム呼吸法(残篇)』が眠っていた。これは単なるスキルではない。仮想空間における「呼吸」という動作を通じて、サーバー側のデータ処理優先順位を強引に奪い取る、一種の「合法的なシステム・グリッチ(System Glitch)」**だ。

【システム:伝承級スキル『赫ラディム呼吸法(残篇)』を検知。習得しますか?】

【注意:このスキルは、プレイヤーの自律神経系を仮想的に再構築します。神經元ニューロンへの直接的な負荷を伴います。】

「痛みのない強さなんて、この世界には存在しないわ。」

ソフィアは迷わず「YES」を選択した。

その瞬間、彼女の肺の中に、氷のように冷たく、それでいて火を放つような異質なエネルギーが流れ込んできた。

「ガ、アアアアアッ――!」

肺胞の一つ一つが、データ流によって強引に拡張される感覚。

現実世界のソフィアの肉体は、シミュレーターの中で激しく痙攣していた。神經が焼けるような熱。脳髄に直接、数千の針が突き刺さるような激痛。

だが、彼女は叫びを押し殺した。ただ、前世の最期に感じた、あの冷たい「裏切り」の記憶を燃料にして、その痛みを制御コントロールへと変換していった。

吸気三秒、保気五秒、排気一秒。

その奇妙なリズムを刻み始めた瞬間、世界の色が変わった。

「……神經の『遅延ラグ』が、消えた?」

【ステータス(Status)恒久上昇:敏捷+5、精神+5。】

【固有パッシブ:『赫ラディムの共鳴』が発動。同期率100%時の負荷を50%軽減。】

【特殊効果:『神經超頻オーバークロック』状態での動作フレーム数が10%増加。】

ソフィアは立ち上がった。

その動作には、もはや「重さ」は微塵もなかった。

呼吸を一つするたびに、大気中のデータが彼女の肌を通り、神經を冷やしていく感覚。

彼女はそのまま地下水道を抜け、スラムの暗部に隠された「影の取引所」へと向かった。

そこは、公式の地図には載っていない、NPCの犯罪者たちが集う闇市ブラックマーケットだ。

薄暗いランプの火が揺れる中、ソフィアは一人の老人の前に立った。

名を「禿鷲バルチャー」。阿登城の裏社会で情報を操る、狡猾な情報屋だ。

「……何の用だ、小娘。ここは大人の遊び場だ。ミルクでも飲んで寝てろ。」

禿鷲は、手元の錆びた歯車をいじりながら、鼻で笑った。

だが、ソフィアは無言で、ボスのドロップ品である『腐食の核』をカウンターに叩きつけた。

その瞬間、闇市の喧騒が止まった。

禿鷲の濁った瞳が、驚愕で見開かれる。

「……これは、地下の王の心臓か? バカな、サービス開始からまだ一時間も経っていないぞ。どこの大手ギルドがやった?」

「ギルドなんて存在しない。私一人よ。」

ソフィアの声は、地獄の底から響くような冷たさを帯びていた。

彼女は禿鷲の襟首を掴み、その耳元で囁いた。

「『沈墨シェン・モー』……輝煌之盾ブレイジング・シールドのギルドマスターが、裏で阿登城の防衛騎士団と密約を結んでいるわね? その証拠となる『密書』を、今すぐ私の前に出しなさい。」

禿鷲の顔が、一瞬で土気色つちけいろに変わった。

「な、なぜそれを……!? それはトップシークレット……」

「三秒。二秒。」

ソフィアの右手が、腰の折れた剣の柄にかかる。

ただの柄のはずなのに、そこからは目に見えるほどの「殺気」が物理的な圧力となって、禿鷲の呼吸を止めた。

これが100%同期と呼吸法による**『精神圧迫メンタル・プレッシャー』**。

禿鷲は、自分の目の前にいるのがレベル1の初心者ではなく、何百万人を屠ってきた本物の「捕食者」であると、細胞レベルで理解した。

「ま、待て! 出す! 出すから刃を収めてくれ……!」

【クエスト完了:『裏切りの証拠』を入手。】

【報酬:金貨50枚、闇市の秘密会員資格。】

ソフィアは、手に入れた書簡を懐に収めた。

これこそが、沈墨を絶望の淵に突き落とすための、最初の「くさび」だ。

「……沈墨、貴方の『完璧なスタート』は、ここで終わったのよ。」

ソフィアは闇市の出口へと歩き出した。

その背後で、ようやく解放された禿鷲が床に崩れ落ち、震えながら呟いた。

「あいつは……あいつは人間じゃない。復讐の女神ネメシスが、アデンに降り立ったんだ……。」

外は、冷たい雨が降り始めていた。

ソフィアは雨に打たれながら、遠くそびえ立つ阿登城の中央塔を見上げた。

そこには、もうすぐ何も知らない「王」たちが降臨する。

だが、その椅子は、もう既に彼女によって切り裂かれ始めているのだ。

「さあ、招待状は送ったわ。……次は、その尊厳を一枚ずつ剥ぎ取ってあげる。」

雨の中に消えていくソフィアの背中は、もはや一人のプレイヤーではなく、世界の法則そのものを書き換える「神」の試作機のように見えた。

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