母カラス
「いるってのはわかっているのよ! とっとと姿を現しなさい!」
シキ隊長が私を見て首を左右に振る。あくまでいないふりを貫くようだ。
「にゃ、にゃ~ん」
突如隣にいた隊長とおぼしき男が気持ち悪い声をあげた。驚きのあまり音速で首を向けて凝視する。ひどい。まさかここで猫に擬態をするとは。しかも似ていない。酷過ぎる。
思わず額に手を当てて空を見上げた自分の仕草に気がついたのだが、隊長も隊長なら私も私で古典的過ぎて、猫擬態をどうのこうの言えない。
「こらっ! ここに猫がいるもんですかっ! しらばっくれるなっての! ケツの穴に手ぇつっこんで奥歯がたがた言わせるわよっ!」
羽を逆立てて怒るその様子に屈して、私たちは両手を頭の上に上げながら、ゆるゆると芦の原から立ち上がった。戦うつもりは毛頭ないが、仮に生身で戦うとなると人間は成鳥のヤタガラスには勝てない。ここは素直に降参した方が得策だ。ヤタガラスはバカではない。猫真似で騙せるわけがない。
親ガラスはさっと子ガラスを背後に回し、こちらを睨みつけたまま羽を逆立てて警戒を続ける。
「人間が何の用かしらっ」
「すみません。あの……子ガラスの声が聞こえたもので、もしかしたら密猟者かなにかが危害を加えたのかと思いまして……」
私の言葉を嘘と思ったのか、ふっふっと鼻息を荒くし興奮した様子で親ガラスが脇を広げた。自然と鋭い爪に目が行く。シキもそうなのだろう、ちらりと横を見ると青白い顔をして震えていた。腰に銃をぶら下げてはいるが、二人ともヤタガラスに向かってそれを抜く気などさらさらない。
両手をあげたまま顔色の悪いシキが一歩踏み出した。
「その、突然すみません。私たちは怪しいものではありません。この区域を任されている自然保安官です」
「自然保安かぁ~~~~~~ん?」
親ガラスが開きかけた翼をそのままに、一段と姿勢を低くする。いつでも飛びかかってこられる体勢だ。
「保安官なら手帳を持っているわよね。見せなさい。特殊加工3Dホログラムの手帳よね。写真付きの。知ってるわ」
「よくご存じで」
失礼して、と私は片手をあげたまま胸ポケットにしまっている手帳を取り出した。その間もヤタガラスは警戒を怠らない。
「ご確認ください」
手帳を顔の高さに差し出して、偽物ではないことを主張する。
ふむ。と言って母カラスがまじまじと手帳を見た。
「どうやら本物ね。信じるわ。その制服も密猟者のカモフラージュじゃないってわけね。本物の制服はトミョーカの製糸組合が縫ったってタグがついているはずよ」
「よくご存じで。ご確認しますか」
「いいわ。信じるわ。縫製がしっかりしているもの。私の目はスーパーコピーだって騙せないわ」
このヤタガラス、よほど詳しいな。感心して頷くと彼女も納得したのかようやく警戒の姿勢を解いた。その背後からヒナがひょこりと顔を出した。
「ままー、人間! 怖いよー!」
「大丈夫よ、この人間はわりとそこそこいい方の人間よ」
「そうなの」
「多分きっとおそらくね」
母ガラスが先ほどまで喧嘩していたとは思えない優しい瞳で、子ガラスを見つめる。どうやら虐待とかではなく、本当によくある親子喧嘩だったようだ。
現場検証もほっぽらかして急行したのだが、取り越し苦労だったということか。私は隊長と互いに目を合わせて肩をすくめた。
この保護区域においての野生動物との無闇な接触は禁じられている。お互いの生活域を侵さないようにするとの取り決めのためだ。これは早々に退散した方がいい。
仲睦まじい親子ガラスの会話を邪魔しないように、我々はこれで失礼しますと無言で一礼してこの場を後にする。つもりだったのだが、
「ところで」
と、親ガラスがくるりとこちらに向き直る。
「先ほど発砲音のような大きな音が聞こえたのだけれど、何かあったのかしら」
首を傾げて私と隊長の顔を交互に見る。
「実は」
口を開いたのはシキだった。
「密猟者が大鵬の子供を誘拐してしまって。それで追跡していたのです」
この聡明なヤタガラスに隠し事をしてもどうしようもない。人間に対するマイナスイメージを植え付けることになるかもしれないが、今は真実を伝えるのが正しい行為だと思われた。
「大鵬の子供を?」
ヤタガラスが目を丸くして、よくやったわねぇ、と感心したような声をあげた。口から炎を吐くあの大鵬から、よくぞ子供を誘拐できたものだと驚いているようだ。
「それで子供は無事だったのかしら」
「三羽全員保護しました。すでに群に帰っています」
それはよかったわ、と母ガラスがほっと息をついた。
「密猟者の方は?」
「三名中二名殺しました」
シキが即座に答えた。ここに住む野生動物は人間に不信感を抱いているものも少なくはない。ここではっきりと自分たちは密猟者と同じ人間ではあるけれども、違う種類の人間であることを示さなくてはならない。
「一名は確保。事情聴取に回されます。刑はまだわかりません」
「そう」
母ガラスが深く頷いて今度は先から黙っている私の方を見た。
「殺したのはあなたね、お嬢さん」
一切迷いのない突然の指摘に、脳味噌に冷たい衝撃が走り体が固まった。血の付いた上着は予備のものに着替えてきたはずだ。
「わかりますか」
かろうじて声は出たが、もしかすると震えていたかもしれない。
「わかるわ。あなたとても疲れた顔をしているもの」
「体力的にはそれほどでもなかったのですが」
「ひとを殺すってのは精神的に疲れる行為なのよ。たとえ相手がにっくき密猟者であったとしてもね」
少しだけ悲しそうな目をして、母ガラスが私の目をじっと見つめた。彼女の瞳はブラックホールを連想させる大きく真黒い瞳をしていた。間近ではやや青く光を返す瞳もその黒い体と同化していて、遠くから見たらどこに目があるのかわからないだろう。
「まま、みつりょうしゃって悪い人間のことだよね」
母ガラスの陰に隠れていた子ガラスが、ひょこひょこと前に出てきた。胸にすがりつく子ガラスの頭を、母ガラスがくちばしでやさしくトリミングする。
「そうよ。近づいちゃ駄目よ」
「ずっとままと一緒にいるから大丈夫」
「だから、あなたもう一人立ちをしなきゃ駄目なんだって、何度言ったら……」
言葉の途中、母ガラスがはっとした様子で私を見た。それからシキを見て、もう一度私を見る。
鋭い視線に気圧されて思わず後ずさった。
「あなたたち、もうちょっと近くに寄りなさい」
「エッ!? く……!」
「喰わないわよ!」
狼狽えたシキを一喝してヤタガラスがふっふと翼を広げて威嚇する。
本当かなぁ、喰われそうだなぁ、ナムアミダブツ、とつぶやきながら、シキがすごすごと歩み寄る。私もそれに続く。ヤタガラスの大きな目が遠慮のかけらすら見せずに、穴があくほど私たち二人を交互に見る。
「ふーん。ふーん。なるほどね」
挑むように見据えられると、より一層強く心臓が鳴った。
「あの、なにがなるほどなんでしょう」
シキの質問には答えずに、ヤタガラスがつま先から頭のてっぺんまでまじまじと私の姿を見る。
ヤタガラスは人の心を読むと言われている。まさか心を探られているのだろうかと思うと、やましいことはないにしろ無意識のうちに視線を逸らした。
「隊長そろそろ退散しましょう」
居心地の悪さを感じて、助けを求めるように隣にいるシキを見た。
「ああ。できることなら俺もそうしたい」
「あの、ヤタガラス殿、私たちここらへんでおいとまを……」
「待ちなさい」
言うが早いか、にゅっと伸ばしてきた三本のうちの中央にある巨大な足で私の頭を鷲掴みにする。頭皮に爪が食い込む。なにが起こったのかわからず体はただ硬直する。
「まだ話は終わっていないわ」
恐ろしいとは思わないがめんどうくさいことになった、と心の中で泣いた。ただ、私の頭を掴んだヤタガラスの足の食い込みが絶妙な刺激であり、非常に気持ちよかった。




