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かくてカラスはうたいだす  作者: トトホシ
解放

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かくてカラスは歌い出す

 雨が木々の葉を打ち鳴らす音が聞こえる。はじめは静かに、やがて激しく。雨は良くも悪くもすべてを洗い流してくれる存在だ。周りのすべての音をかき消すほど激しく降り出してきた雨を窓越しに眺める。家が押し流されてしまうのではないかと錯覚するほどの雨量と雨音。騒々しい。けれども嫌いではない。


「どう……行く?」

「え?」


 背後から声をかけられた。雨音でよく聞き取れなくて振り向き聞き返すと、彼は密着するほど近づいてきて、先ほどよりも大きい声を耳元で発した。


「雨が上がったら行く? って聞いたの」

「そんなすぐ上がるかなぁ」

「天気予報では1時間ほどって言ってるよ」

「最近の天気予報は当たらない」

「またそういうこと言う~。ヤッタに乗っていけばすぐだからいいでしょ」

「ヤッタちゃんは私を乗せられるほど大きくないでしょ。そもそもヤタガラスは人間を乗せて飛べるほど強靱な肉体は持っていません」

「ちぇ~」


 はぁとため息をつくと、ヤッタが私の頭に顔を載せて、かちかちとくちばしを鳴らした。脳天に振動が伝わってくる。私は目の前にあるヤッタのまふまふの胸に顔を埋め、背中に手を回して抱きしめた。鳥類特有の高い体温と私より幾分早い振動が伝わってくる。きゅうりと墨を混じり合わせたような、青臭く渋い独特の体臭が鼻腔をかすめる。


「ヤッタ、もっと大きくなりたい」

「ヤッタちゃんは十分大きくなったよ。むかしむかしは私の頭の上に乗るくらい小さかったんだから。今それをしたら私の首の骨が折れる」

「お母さんくらい大きくなりたい」


 ヤッタはもともと小柄で成長も遅かったが、大人になるにつれて横にも縦にもぐんぐん伸びて驚くほど大きくなった。今でもすでに私と同じくらいの高さがあるのだから十分だと思うのだが、本鳥はそれでもまだ足りないようだ。確かにヤッタの母はヤタガラスの中でも一際体格がよかったことを思い出す。


「牛乳飲んでたらどうにかなるんじゃないかな」


 さすがに成長期も越した今ではもう無理だろうが、と思ったが言葉にはしない。


「小さいときからカルシウム入りのウエハース、沢山食べたのになぁ」


 私の頭からくちばしを下ろし、カァ~、とため息混じりのひと鳴きをして、ヤッタが再びかちかちと不満げにくちばしを鳴らした。私もヤッタから体を離して窓の外を見た。


「あ、小降りになってきたかも」


 はじき豆のように屋根を打ち鳴らしていた騒がしい音もいつの間にか小さくなっていた。


「ほら、天気予報もたまには当たるんだよ。準備しよう! フクロウ太さんが待ってる!」


 目を輝かせて袖を引っ張るヤッタに私は頷いた。



 目的の場所につくと、雨はすっかり止んでいた。


「フクロウ太さん、久しぶり! 大好きな六花屋のおまんじゅう持ってきたよ! 粒あんにくるみ入り! 皮には黒ゴマちょいと乗ってる!」


 大きな樫の木の下におまんじゅうを置いてからヤッタは目を瞑ってナムナム、と呟いた。私もその隣に花屋で買ってきた花を置いてから手を合わせる。葉っぱから滴り落ちてきたしずくが肩に当たり、思わず目を開いた正面に悠然とたたずむ大木。立派な樫の木だ。


 先ほどまで雨が降っていたのが嘘のように、空は青く晴れ渡っていた。まだ空気は多くの水分を含み、未だに足下の草花も濡れていたが、それがより生命の瑞々しさを際だたせていた。


 フクロウ太が眠る木の近くには、廃墟となった建物があった。私も数年お世話になった、かつて自然保護施設として運営されていた場所だ。今では窓ガラスも割れ、壁中にツタが這い、部屋の中までも草に覆われ、その施設自体が自然に帰ろうとしている。まだ一千年までは届かない、たった数百年程度でこれほどまでに朽ちていくことに軽く衝撃を覚える。


「どうしてこんな寂しげなところにフクロウ太さんを埋めたの? 家の近くだったらいつもすぐに来られるのに」

「フクロウ太さんが望んだから。この施設にある大きな木下に埋めてくれって。お気に入りだったからね、この樫の木。よくこの木の下でお昼寝してたんだって。眠りすぎて死んでるんじゃないかってリアが慌てて迎えに来てくれたことがしょっちゅうあったって、晩年はよく言ってたな」


 私のことを気遣ってかほとんど口には出さなかったが、フクロウ太はリアが死んでしまったことをずっと引きずっていたようだった。私が思っていた以上にフクロウ太とリアは心が通じ合っていたのだと、リアがいなくなってから知り、野生種がそこまで人間に心を寄せていたことにわずかばかり驚いた。フクロウ太にとって初めて人間の優しさを知ったのは、リアの存在があったからこそだという。


 優しい人間など知らない、というのがそれまでの自分だったと言っていたフクロウ太の言葉を思い出す。思い出話をするときはいつもその瞳の奥にリアの存在を感じた。

 リアと過ごした以上の時間を共に過ごしてなお、私はフクロウ太にとってのリアにはなれなかった。

 ヤッタとふたりで大きな樫の木を見上げる。つやつやとした葉が風に揺れて音を立てるたびに雨の名残が落ちてきて、ヤッタはぶるぶると体を震わせた。


「ヤッタちゃんも小さい頃この場所によく来たこと、覚えてる?」

「ん~、小さいとき? あんまりよく覚えてない」

「ここでいろんな人と出会ったんだよ。獣医師のリア、隊長のシキ、先輩のユイス、施設長のバナハ……」

「うーん。覚えてない」

「ヤッタちゃん私と出会った時のことだって覚えてないもんね」

「だって、そんな何百年も昔のことなんて覚えてないよ。アンスルちゃんよく覚えているね」

「君のことは衝撃的すぎたから。突然の育雛放棄だったからね」


 ヤッタは無事独り立ちして、今も私と一緒にいる。独り立ちしたのに一緒とはおかしな話だが、ヤッタは私を当分のパートナーとして選んだのだ。母ガラスもそれを了承してくれた。

 先日会った際に母カラスの足下に小さなヤタガラスの子どもがいたのだが、その子に対するヤッタの兄貴面には思わず笑みがこぼれた。ここまで彼の成長を見られるとは思っていなかったのが正直なところだ。

 もう私がヤッタを庇護する立場ではなく、大人として対等の立場にある。おそらく彼の嫁を見つけるまでは一緒にいることになるのだろう。


 そういえば、先日良い雰囲気のお嬢さんがいたな。ヤッタもあの子の前ではちょっと自意識過剰気味だったし、意識をしていたのだろう。ヤッタの子供が見られる日もそう遠くないかもしれない。


「さて、次のところいきましょうか」

「次?」

「カザモリのところです」

「カザモル。久しぶりだね。誰だっけ?」

「忘れすぎでしょ。私の夫ですよ。彼の最後のたった10年を連れ添った程度でしたが」

「冗談だよ。もちろん覚えているよ。ヤッタとアンスルちゃんの生活に割って入ってきたのは気に入らないけど、カザモルとワカメのことは、きっとずっと忘れないと思う」

「ノエルロードさんのことも覚えてるんだ。あの人はわりと長生きでしたしね」

「うん。死ぬ間際はワカメじゃなくて磯焼けになってたけど」

「髪のことは言わないでおきましょうか」

「でも、他の人のことはあんまし覚えてない。覚えることありすぎて昔のことなんて忘れてくよ」


 確かにヤッタと出会ってからは濃密な八百年だった。色々な人と出会い、色々な処へ行って、色々な経験をした。私より幼いヤッタが小さい頃のことを覚えていなくても当然だろう。私ですら昔出会った人の名前は、よほど親密な人でない限りあまり思い出せない。今は交流の途絶えたカザモリの子孫たちの顔もよく思い出せない。


「フクロウ太さんは死んでからえっと……数百年だけど、カザモルは何年になるの」

「七百年ちょっと……細かい年は忘れた」

「うーん。もう生まれ変わってるんじゃない」

「そうだね。この星じゃないどこかかもね」


 七百年弱でこの星に起こった度重なる戦乱や疫病により、現在、惑星カイトスの人口は最盛期の半分以下に減った。数々の破壊の歴史により、文明も退化とまではいかずとも進化は止まった。異星からはこの星特有の生物の保護をすべきとの意見もあり、星間での取引も厳格になったせいか、違法取引をする密猟者たちも激減した。よいことだと思っていたのだが、徐々に人口や活気が減っていくこの星の未来を悲観した人々が、やがて異星に移住し始めた。初めは少ない数だったが、やがてそれは大きな波となり、一時の流行では終わらずに人口は流出の一歩をたどり、現在のカイトスは滅び行く惑星となりつつある。

 だがそれも人間の側の話で、野生動物の側からすれば、人間の破壊活動によって傷つけられた星が人間がいなくなることによって蘇り、昔のように動物たちが伸び伸びと生きていける状態にあるというわけだ。


 共存を願っていた私からすれば悲しいことではある。が、野生動物の側からすればそれすら傲慢な考えで、そもそも共存なんて望んでなかったのかもしれない。

 これでよかったのかな。と心の中でリアとフクロウ太に尋ねる。


 現在はぎりぎりでも、もうすぐこの星の人間の数は、生活に困る程度に減少するに違いない。食料を生産してくれる人や、日用品を作ってくれる人、病気を診てくれる人、鉄道を運転する人整備する人その燃料を運ぶ人……そのほか様々な人がいなくなれば、いくら野生児である私だってこの星では生活が難しくなる。

 長命種の私が異星に引っ越する日は遅からずくる。おそらくその時がヤッタと離れる時だろう。と数年前までは思っていたが、ここのところ体の劣化が激しい。私は短命種と長命種の子供なので肉体的に不安定だ。おそらくそう遠くはない未来私に寿命が来るだろう。ヤッタが本当のパートナーを見つけるのが早いか、私が死ぬのが先か。


 それは明日か一年後か、はたまた十年後かはわからない。けれどもこれまでヤッタと過ごした以上の時間をこれから共に過ごすことはない。

 私は隣で空を見上げているヤッタの首に顔を埋めた。


「なぁに、アンスルちゃん。甘えすぎ」

「昔ヤッタちゃんが甘えた分のお返しです」

「なにその変なお返し」


 あははとヤッタが笑った。つられて私も顔を埋めたまま笑うと、くすぐったいとヤッタはさらに笑った。


 甘えんぼ~の~アンスルちゃ~ん。髪は白くなったけど~その他はむかし~とあんま~り変わら~ない~。ヤッタの方が~おと~なになった~。ワカメは磯焼~けに~なった~。カザモリはホネ~に~なったぁ~。フクロ~ウ太さん~は~埋まった~。アンスルちゃん以外は~みん~な~消え~た~~~。


「ひどい歌だな」

「ヤッタの即興ソング。嘘はない」

「まぁ、そうですけど」


 出会いから触れ合っていた長さと比べて、別れは一瞬であっけないものだ。だからこそ、一瞬の別れに命を燃やせるように、私は今まで命を懸けてヤッタとともに生きてきた。


「ヤッタちゃんの歌、おもしろくて大好きだよ」

「うん。アンスルちゃんが好きだと思うからヤッタも胸張って歌える」


 そう言って笑ったヤッタを撫でてから、私はフクロウ太さんの眠る木の下に腰を下ろして深く息をついた。


「どしたのアンスルちゃん、眠いの?」

「うん、とても」

「寝ていいよ。ヤッタが側にいるから」

「少しだけ……少しだけ寝るね。起きたからカザモリの所に行こう。少し……ヤッタちゃんにとってはとても短い時間だから」

「わかってるよ」

「ねぇヤッタちゃん。私が寝るまで唄、歌ってくれる?」

「子守歌? アハハー、まさかアンスルちゃんに歌う日が来るなんて! いいよ、いいよ、歌ってあげるー」

「ありがとう」

「アンスルちゃん」

「なあに、ヤッタちゃん」

「……良い夢を」


 そう微笑んで大きくくちばしを広げたヤタガラスの歌声は、私の意識が遠くなってもなお、世界のどこまでも響いていた。





 了

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