ヤッタの覚悟
私はまだ遠くに行っていない犯人を追いかけて、あてもなく走り出した。どこにいるのかはわからない。だが、走るしかない。胸元ではヤッタも真剣な顔で前を前方を見つめている。
「って、ちょっと! 君たちのボスはなにやっているんですか」
走り出した足を止めて、二人を呼び止めると、ノエルロードの部下たちが大げさに体を震わせて、おそるおそるこちらを振り返った。
気まずそうなその表情から推測するに、彼らの上司はまだ震えながらコンクリートの上で転がっているのだろうか。部下が婦女暴行致死事件の犯人に連れ去られたというのに。
「怖くてお家に帰ったんですか」
嘲るような私の言葉に、オリガがおずおずと口を開いた。
「その、ノエルロード隊長は、以前判断ミスで部下を死なせてしまったことがあって……」
「へぇ」
それで? だからなんだというのだ。私の冷たい態度に、ニレもノエルロードを庇うような言葉を紡ぐ。
「空間転移を使う奴で、目の前で人質に取られた部下を連れ去られて。その部下は後日遺体で発見されて、犯人は未だに捕まっておらず……。だから、今回もそのときのことを思い出しているのだと思います」
「だから?」
えっ、と二人が顔を見合わせる。
「それで?」
自分のミスで部下を死なせてしまい、そしてその犯人が今回と同じ空間転移系のルネを使う相手で。
それで。それでなんだというのだ。それなら怖くて震えてていいというのか。さっぱり理解できない。自分が動かないとまた部下を死なせてしまうかもしれないのに、ただ過去を思い出して震えて道路の上で寝ているのか。それを部下も仕方ないと許すのか。
見損なった。私の中で何かが崩れ落ちた。
「わかった」
自分にだけ聞こえる大きさでそう呟いた。
実際私はノエルロードのことを買っていた。ヘラヘラしていても、締めるところは締める男かと思っていた。だがそれがあのザマだ。今まさに死にそうな人間がいるというのに、過去を思い出して、芋虫みたいに震えている男だったとは。
「仕方ないですよ……」
おずおずとニレが口を開いた。声はややうわずっていた。
「仕方ない?」
存外冷たい声色になったことをに我ながら驚きつつ問いかけた。
「人間そんなもんですよ。簡単に傷は癒えないんです」
よくわからなくて首を傾げるしかできない。
「過去は過去です。今死ぬかも知れないのはセキノです。過去に震えて今の彼女を救えないのなら、なんのための経験だというんですか」
「でも……」
ニレはひるむことなく私を見た。
「隊長は優しいひとですから」
それでは私が優しくない人ではないみたいではないか。思ったけれども口にしなかった。実際、自分は優しくない人間なのだろう。と思うと同時にばからしくなったからだ。
人間なんてこんなものだ。折に触れて蘇った母の言葉がまた今日も脳裏をよぎる。
軽く首を振りため息をついた。話は進まないのに事態は刻一刻と進行している。
「わかりました。ノエルロードさんのこともとりあえずおいておきましょう。まず、月が隠れているうちにルネの痕跡を追跡してください。物体転移のルネを生体に使っているのであれば、体に負担が掛かりすぎために短時間で連続は使えません。足で探せる範囲にいるはずです」
オリガとニレが頷き、再びルネ検出器を手をかける。
「セキノが心配です。月が顔を出す前に見つけ出しましょう」
「はいっ!」
踵を返して走り始めた。物体転移のルネを乱用しているとすれば一刻を争う。
軍隊や保安官のように戦闘に特化した人間ならば、連続でルネを使う特殊な訓練も受けている。だが、並の人間ならば短時間で連続してルネを使うのは難しい。
その上、物体に使うべきルネを人体に使っているのだ。体力精神力の消耗も激しいはず。しかし、そうなると心配なのはセキノだった。彼女がルーンであればそれなりの耐性もある。しかし、なんの耐性もなく対象として物体転移のルネを使われたりしたら、命に関わる問題だ。
ダイスの起こした強姦致死事件。半ば投げやりだった今回の件でもあって、そのうえルーンでもないという事前情報もあり、事件に関しての詳細などほとんどなにも調べていなかった。被害者らがどのような殺され方だったのか、もう少し詳しく調べておくべきだったと自分を恥じた。死因も直接ではないにしろ、間接的にはルネが関わっていることがわかれば、相手はルーンでありさらにはルネの仕様くらいはわかったかもしれない。
セキノ。ヤッタの為にも無事でいてくれ。夜だというのに賑やかに輝く街の中人の波をかいくぐりながら、息があがるのも忘れて胸に手を当てて祈った。
本部から応援が到着したのか、街中が騒がしくなってきた。これだけ騒がしいとなると、そろそろ捜査局が動いていることに気づかれたに違いない。そうなると、ダイスは逃げるためにさらに何度もルネを使うだろう。つまりそれだけセキノの体に負担がかかる。
早く。できるだけ早く。私はセキノを探して路地裏を駆け抜けた。
「いました!」
街中に捜査官の声が響く。周りの捜査官が一斉に声のした方向に走り出す。私も同様に彼らの後に付いて走った。薄暗い路地裏を駆け抜け、突き当たりを左に回り、ガード下の居酒屋を通り過ぎたところ。人通りの多い交差点のど真ん中で、薄く雲をまとった満月の大月を背後に二人分の人影が重なっていた。
そこには土気色の顔をしてぐったりとしたセキノと、彼女の首に腕を回し、もう片方の手で人混みに拳銃を向ける大柄な男がいた。セキノの服は引き裂かれて上半身がさらけ出され、胸が露わになっていた。
セキノの姿を見た通りすがりの女が空気を切り裂いたような高い悲鳴を上げる。犯人が銃を持っているというのに、それに気が付かないのか、偽物だと思っているのか、突然現れた大勢の捜査官に興味をひかれた野次馬たちが集まってくる。
人が多すぎることに舌打ちをして辺りを見渡した。このまま混乱が広がれば、人混みに紛れて逃げられる可能性もある。
犯人には一見不利と見られる交差点のど真ん中を選んだのは、おそらく捜査官の拳銃を警戒してのことだろう。四方八方に人がいる状態では、こちらは下手に発砲できない。そんなことをすると、一般人に流れ弾に当たりかねない。
そして、完全包囲したとしても、すでに何人も殺している凶悪犯に人質がいたら簡単には近づけない上に、相手は転移のルネを持っている。下手をすれば人質だけ殺されて逃げられる可能性もある。
ダイス・フェロニゼは逃げおおせる自信があるのだ。
「脳味噌ぶち抜くぞクズが」
思わず汚いな言葉が出た。ヤッタがまねをするといけないので慎んできたが、こういう場合はぼろが出る。
「ねえ、アンスルちゃん」
懐にいたヤッタに顎をつんとつつかれた。
「なに、ヤッタちゃん」
「ヤッタ、ワカメのところに行って、尻つついてくる」
「え」
「ワカメを怒ってくる」
私の返事を待たずにヤッタが懐から躍り出て肩に飛び乗った。
「セキノはワカメを信頼してるって言ってた。なのにワカメは道路で寝てセキノの信頼を裏切ろうとしてる。ヤッタはそれが許せない。ヤタガラスはひとの信頼を裏切るやつを一番許さない」
めらめら、とヤッタの目が燃えている。
思いも寄らなかったヤッタの言葉に一瞬言葉を失った。あんなに毛嫌いしていたノエルロードをヤッタは見捨てないどころか、まだ彼が動いてくれると信じているのだ。
そのことに私は狼狽えた。
「でもヤッタちゃん。私はここを離れられない」
「ひとりで行く!」
「それは危険だ」
ここから待機していた車まではかなりの距離がある。もちろん見える範囲にはない。ヤッタは今の今まで、私の姿が確認できなくなるまで遠くに離れたことがない。それに今は夜だ。ヤッタを一人にするのは不安だった。
しかし、ヤッタの決意は固かった。
「ヤッタも進化してる! ちょっと怖いけど、大丈夫! セキノンはもっと怖い思いしてる」
「……わかった」
駄目だと言う理由がなくて頷いた。
「お願いヤッタちゃん」
「わかった! ワカメと一緒に戻ってくるから」
「うん。気をつけて」
ヤッタが暗闇の中を飛び去っていった。ヤッタの震えが目に見えて伝わってきていたが、なにも言わずに背中を見送る。




