ぎりぎり殺していい人間だけ殺そう
電車から家までの道のりを食べ残したケーキの箱片手に歩く。クーラーのきいていた病室と違い、曇ってはいるが外は暖かかった。保冷剤は溶けているかもしれないが、そうすぐに腐り落ちることはないだろう。
空はまだ明るい。お昼を少しすぎたくらいだ。昼ビールもいいなと冷蔵庫の中身を思い出しながらお昼ご飯を考える。ケーキで少しおなかが膨れたので軽いものでいいだろう。
「ねぇ、アンスルちゃん」
頭の上に乗っていたヤッタが、ふいに声をかけてきた。
「はい」
「アンスルちゃんは、たくさんひとを殺したの」
予想しなかった質問に、電流のような衝撃が全身に走った。一瞬足が止まりかけたが、努めて平静を装い歩き続ける。右足、左足、右足、左足、意識して足を前に出す。まっすぐ歩けているか不安だ。体が左右に揺れている気がする。
正直ここまで動揺するとは思わなかった。今まで私が人を殺してきたことをヤッタが知らないわけがない。なによりも、密猟者を四人撃ち殺すところをしっかりと見ていたのだ。
殺人者に母親としての資格なんてないと言われるのが恐ろしいのかもしれない。
確かに人を殺しすぎたとは思う。正直、誰かを育てていくという母親としての資格どころか、まともな人間かどうかも怪しいと自分で思う。殺しに対する感覚は麻痺してしまっている。その証拠に人を殺しても罪悪感をそれほど感じない。
ヤタガラスは神聖な鳥だ。かつての惑星カヅキでは王でもあったと神話さえある。当然プライドも高い。ごまかせるものではない。
「そうだよ、私はたくさん人を殺してきたんだ」
声が震えた。
「そっかー」
間の抜けた声を上げて、ヤッタが首を前にまげてさかさまに私の顔をのぞき込んできた。
「どのくらい」
「たくさん。数え切れないくらい」
「でも、食べないのにひとを殺すの、あんまりよくないことだって、まま言ってた。たとえ相手が嫌いでも、無駄に殺すのはダメだって」
「うん。そうだ。あまり推奨されることではない」
ひとを殺してはいけない理由はと聞かれたら、なにがなんでも駄目だから駄目。それが理由だ。小難しいこじつけを欲しがる奴は馬鹿だ。法律がどうのというやつは、法律のない所に行けばひとを殺していいと言うのだろう。誰でも未来への可能性があるからそれを奪ってはいけないというやつは、未来への可能性のないひとなら殺していいと言うのだろう。エルスはそう言っていた。そしてエルスは殺された。
先程まで空にあった月はもう見えない。だが確かに存在して私を見下ろしているのだ。
標的、自分。と言ったら、システムは作動するのだろうか。
「もう殺さないことにしたの?」
「まだよくわからない」
「そっかー」うーん、とヤッタが唸った。「じゃあしてもいいけど、アンスルちゃんが迷ったり考え込んでしまうような殺しはしないようにしよう!」
あまりにもあっけらかんとした言葉に拍子抜けした。遠く地平線上の空に向けていた視線をヤッタに向けようと頭を上げると、うわぁと驚いた声をあげてヤッタが頭から滑り落ちた。慌てて羽ばたいて私の肩に着地する。
「ヤッタちゃんは私が怖くないの」
「怖い? なんで」
青く大きな瞳が私の目を覗き込む。
「ひとをたくさん殺したから」
「無駄に殺しちゃいけないって言ってるままだって、にんげんとかウサギさんとかたくさん殺した。おいしかった。ヤッタもいつかウサギさん穫れるように頑張ってる」
「食べるために殺すのとは違うんだ」
「じゃあ今度から食べればいい。ままもうっかり人間殺しちゃったときは、ショウコインメツショウコインメツロッコンショウジョウロッコンショウジョウ、って呪文言いながら食べてた」
「六根清浄は違うと思う。それと、私は人間は食べないんだ」
「うーん。そうなんだ。でも埋めといたら代わりに土の中の微生物がおいしくいただくよ、きっと」
無邪気な言葉に返す言葉が見つからず、私は曖昧に頷いた。
「アンスルちゃんは、食べもしないひとを殺すこと、駄目なことだって思ってるの」
普通ならためらうような質問も、ヤッタは子供特有の無邪気さでまっすぐにぶつけてくる。
「うーん、人による」
いや、この場合は思っています、と答えるのが正しいのか。でも嘘はつけない。死んでいい人間も世の中にはいるものだと私は信じてしまっている。
「じゃあ、これからはできるだけしないことにしよう! ぎりぎり殺していい人間だけ殺そう。アンスルちゃんが怒ったらヤッタが注意するよ。ビームが出そうになったら、ヤッタがアンスルちゃんを止めるから。よくよく考えてから殺そう」
「よくよく考えてから殺す」
いや、すごい言葉だな。
肩からひょいと飛びあがり、ヤッタが羽ばたいた。のろのろ歩く私の前を先導するようにバサバサと飛んでいく。
「ヤッタちゃん、待って」
「アンスルちゃんっ、はやくっ、はやくっ。ケーキがダメになっちゃう」
置いていかれてしまう。小さくなっていくヤッタの姿に手を伸ばし思わず背筋が凍りつく。自分はこの子ガラスに捨て行かれることを恐れている。そう思うと惨めで情けなくて苦しくて道の真ん中で目の奥がむずむずとした。
もしかすると、私は泣きたいのかもしれない。漠然とそう思ったのだが、どうすれば涙が出てくるのかということすらも忘れてしまっている現在、ただ戸惑うばかりでそう簡単に涙は出てこない。震える足でヤッタの後ろ姿を追いかけようと走り出したのもつかの間、ヤッタがふらふらと蛇行しながら戻ってきて、頭の上に着地した。
「はぁはぁ。疲れた。飛ぶの疲れる」
「アナタ。百メートルも飛んでないよ」
「ヤッタはそんなに飛べない。いつもママの背中に乗ってたし」
「はぁ?」
甘やかしすぎだろ、あの母ガラス。子供がいつまでたっても甘ったれなのは、母親のせいも大いにあるに違いない。騙された感に苛んでいると、ヤッタが頭の上で歌い始めた。
「ヤッタが鳴ーくからかーえろぉ~」
間抜けな歌を聴いていると、なんだかあらゆることがどうでもよくなってきた。色々考えていたことが全て取り越し苦労だったようで、全身から気が抜けた。
ヤッタは私を見捨てない。とりあえず、今のところは。
「ヤッタちゃん」
「はいよ」
「ぎりぎり殺していい人間も、できる限り殺さないよう善処する」
「そおお? でもお肉食べてるひとはみんな間接的にだいたい生き物を殺してるから、そんなに無理しなくていいと思うよ。多くのひとは自分で手を汚してない分、やりかたとして汚いよね」
いや、うん、食べるか食べないかはこの際、横に置いておこう。
「ヤッタちゃん」
「はいよ」
「ずっと一緒にいてくれる?」
「いるよー。ずっと一緒にいるって、ヤッタ前から言っていた」
「ありがとう」
誰もが先に死に、風景さえも変わっていく中で、ひとり取り残されるのが怖かった。ヤタガラスにこの子供を託されたとき、不安と動揺の他に、ほのかな期待を抱いたのも確かだった。
数千年生きるというヤタガラスなら、ずっと一緒にいてくれるかもしれない。私の死すらも看取ってくれるかもしれない。
都合のいい願望だ。子供は大人になれば去っていく。ヤッタもいつか去っていく。だが私はもう一人にはなりたくなかった。この子が大人になるのを拒んでいたのは、私の方だったのかもしれない。
「ヤッタちゃん」
「なぁに」
「明日から、長く飛ぶ練習をしようか」
「えー」
「大人になるには大切なことだよ」
「ヤッタ、大人にならなくていい」
「ワカメに笑われる」
「ワカメは笑わせておく」
「まぁ、それもいいか」
再び歌い出したヤッタの声が、遠く空まで響いていった。




