うってつけ
今日はいつにもまして月が綺麗だ。惑星カイトスを取り巻く月の中で私が特に好きなのは幸月という月で、見ているだけで幸せになれそうなほんのり桃色をしており、右下にはうっすらと緑色を帯びたクローバー型の影がある。
そんな幸月のキレイな夜、いつもの居酒屋に一人。といきたいところだが今日は連れがいた。ヤッタちゃん。貴重種ヤタガラスの子ども。
私は一杯飲みに行ってくるから、子供は寝ていろと言ったがヤッタはきかなかった。確かにひとりにするのも不安なので連れて行くことにしたのだが、きっとこのことをヤタガラス母に知られたら、私は八つ裂きにされるのであろう。
本来居酒屋に子供を連れて来てはいけないのかもしれないが、今日はとにかく外でいっぱいやりたい気分だったのだ。
行きつけの店ののれんをくぐると思わず涎が出そうなお出汁の香りがした。夕食は食べたのだがおでんは別腹だ。しみっしみの大根が食べたい。
「大将、生チューひとつ」
「あいよっ」
大将は私の頭の上にいるヤッタにちらりと視線を向けただけで小さく二回頷いて全てを理解してくれた。かどうかはわからないが、とにかくなにも聞かれなかった。
この店は私が幼形成熟で中身はただの寂しい婆さんだということを知っている。そこにも安心感を覚える。
だいこん、こんにゃく、ちくわとちくわぶ。ビール片手に流し込む。うまい。うますぎる。からしをつけて食べると鼻につんときたのだがそれもまたいい。
ヤッタもおでんは見たことがなく気になるようで、頭から膝の上に降りてきて、しきりに大根を食べたがった。箸で小さく摘んでふうふうとさましてからくちばしに運ぶ。子どもの証拠である赤い口の中がかわいらしい。おいしいおいしいと目を輝かせて次を強請るヤッタに、大将の顔がゆるむ。
家を出る前におにぎりをみっつ食べたばかりなのに、子ガラスの食欲は衰えない。だいこんも、はんぺんも、私の分がなくなっていく。こんにゃくは喉に詰まらせては危険なのであげないこととする。つまり、私の食べる分がこんにゃくしかない。
「大将、おにぎりください」
「あいよっ」
仕方がないので単価が安く腹にたまるおにぎりをヤッタにあてがう。今日4つめだ。今度こそ自分の分としてだいこんとちくわぶを注文する。
ようやくおなかが満たされたヤッタに安堵のため息をつき、これでゆっくりおでんを食べられると大根をつついたその時に、ポケットの中の通信端末が振動して受信を告げた。一度の振動で終わったことから電話ではなく単文のメールのようなので、だいこんをひとかけら口の中に入れてから、ゆっくりと端末を確認する。すると、発信源は職場の同僚であるユイス保安官からだった。
『仕事を辞めると聞いた』
そう書かれていた。はい。そうです。それだけ入力して返信した。
端末をカウンターの上に置いて、ジョッキに三分の一残っていたビールを飲み干す。
「大将、生もうひとつお願いします」
「あいよっ」
「タイショウ、ヤッタもサイダーひと瓶おねげいします。あとおだいこん」
「あいよっ」
まだ食うか。しかもどさくさに紛れてジュースまで追加するとは。ご飯を食べながらジュースを飲むなと言いたいが、こちらもビールを飲んでしまっている手前あまり強く出られない。まぁ、今日だけ大目に見るか。
しばらくすると通信端末が再び鳴り、ユイスからどこにいるのかと返信が返ってきた。そういえばこの居酒屋の名前は、と思ったところでふと気がつく。ここはユイスが紹介してくれた居酒屋だったことに。
いつもの居酒屋です、とだけ打って端末の音声通知をオフにした。あとでなにか言われたら、酔っていて気がつかなかったことにすればいい。
話があるのなら明日職場で聞く。勤務時間外で仕事の話などしたくはない。血圧が無駄に上がるだけだ。
『検討がつくから今から行く』
端末を鞄にしまう前に速攻で返信があった。
瞬時にうなだれる。面倒くさくないか、これ。また仕事辞めること怒られるのか?
気がつかなかったことにして、とっとと帰ろうと思って飲みかけのビールに手を伸ばしたところで、手元に影が差した。不自然に蔭ったその様子にもしやもう来たのかと思って顔をあげると、見たことのないやけに背の高い男が私の左隣に立っていた。
「少しだけよろしいでしょうか」
男が口を開いた。地の底から聞こえてくるような低く沈んだ声だった。だが重苦しさはない。まるで雨を含んだ土のような……、そう、湿った土のような、それでいて熱をはらんだ腹の底に響くマグマのような声だった。普通ではない雰囲気に息をのむ。店内の明かりに照らされた髪の色はくすんだ金色だった。この辺ではめずらしい。
軽く頷くと彼は隣の椅子に腰をかけた。立った状態でも高いと思ったが、座った状態でも高い。体も大きい。おそらくこの星の人間ではない。
慇懃な言葉遣いの中にもこちらを圧倒するなにかを感じる。恐怖と言ってもいいかもしれない。高圧的な物言いな分けではないが、この男からあふれ出す雰囲気というかオーラがそう感じさせる。
「ヤタガラスですか」
その言葉に身を硬くする。
「カァカァ」
咄嗟にヤッタがハシブトガラスの物まねをした。
「突然で申し訳ありませんが、数枚羽をいただけませんか」
「あげません」
なんのクッションもなく発せられた男の言葉に即座に拒否の意を唱える。だが、男はそれが当然の反応だというように、ひるむ様子はない。
「別に毟ってまでして欲しいといっている訳じゃありません。換羽などで抜け落ちた羽があるはず。それをいただけないだろうか」
彼は無表情をカウンターの向こうにいる大将に向けて、ビールを注文した。
改めて隣に座った男を眺めると、圧迫感を感じるほどの体の大きさだった。服の上からもわかる筋肉。隙のない態度。もしかするとどこかの軍人かもしれない。それも下級ではない位の。
ヤタガラスの羽の価値はここ惑星カイトスでも知る人ぞ知る価値がある。というのも、その効能は羽ひとつであらゆるルネの効果の増幅を促すということなのだが、そもそもルネは使える人があまりいないので一般人でこのことを知っている人はほとんどいない。
この男、ちょっと危険だ。自然と抜けた羽でも同じ効力があると知っているのならば、ヤタガラスだと知ってすぐに羽を毟ろうとする連中よりはましかもしれないが。
「どちら様ですか。失礼な言い方かもしれませんが、普通の人間ではないですよね」
男は私の質問に答える前に、グラスに手を伸ばして静かにビールに口をつけた。思わず見惚れる流れるような仕草だった。
「ラグナレクという星をご存じですか。惑星カイトスからかなり遠くにある惑星なのですが、私はそこにある全世界統括国である元欧ラグナレクの軍人をしております。決して怪しい商人ではありません。まとまった休暇が取れたのでこの星に旅行に来ていました」
知らない星の名前だった。そもそも私は星外惑星のことをあまり知らない。それに、この男の話が本当だという信じる根拠もない。それなら身分証明書なりなんなり見せてほしい。そういう疑問が顔に出ていたのか、男が少しだけ困ったように首を傾げた。
「身分証明書、見ますか? 見たら信じてくれますか、怪しいものではないということを。星外渡航許可証とかもありますが……」
「いや、いいです、別にそこまでしなくても」
わざわざ見せてもらったらヤッタの羽をあげなくてはならなくなるではないか。もとよりあげる気はさらさらないのだ。
冷たい態度は当然だというように、彼は少しだけ考えて、そして小さく頷いた。
「もちろんただでとは言いません」
男がコートのポケットに手を差し込み、小さな箱を取り出してカウンターの上に置く。
「それは」
箱から出てきたのは、カイトスでとれる希少な最高級鉱石のひとつ、サフェイエスがあしらわれた指輪だった。もちろん保証書付きだ。四方に光を照り返す貴石のカットと深い青色は一目で見て一級品だとわかる。
フェイクも多く出ている石ではあるが、保証書を確認してみると、カイトスでも有名で信頼のおける店で購入しており、その点でも確かに本物に違いなかった。お値段も相当なもので、カイトスの平均年収から言えば月の給料の5倍くらいだろう。この星でいうならばセレブ階級が恋人の誕生日に渡すとか、それ以上にもっと重大な場面で、たとえば婚約指輪で渡すような代物だ。
「土産に買ったのですが考えてみれば少し大仰すぎた。ヤタガラスの羽と交換してもらえるのなら、ありがたいことはないのですが」
太い指で繊細な指輪をもてあそびながら男が言った。
なるほど元欧ラグナレクとは、この程度の指輪など楽に買えるほどの裕福な惑星なのだろう。
この大きさのサフェイエスからすると、ヤタガラスの羽でも十枚程度の価値があるだろう。確かに自然と抜けた羽はとってある。だが、一度誰かにあげてしまうと、噂を聞きつけた人間が集まってくるだろうことは想像に難くない。
しかしながらこの指輪、石もそうだが地金の部分も相当価値があるとみた。ビールをひとくち口に含んでうーむとひとり唸る。換金すれば結構な金になる。悪い話ではない。ここはどう……。
「わー! ヤッタにぴったりー!」
思考を遮って脳内に響いた声に思わず顔を上げる。
「きらきらー! すてきー! ヤッタにうってつけー!」
静かにしていたはずのヤッタが先ほどの指輪を足にはめてたいそう嬉しそうにカウンターに乗って、羽をぱたぱたと広げてはしゃいでいた。
げぇ。給料5ヶ月分。思わず白目をむく。
「や、ヤッタちゃん。それ外しなさい。なんかあったら弁償できない」
「あー。これもう外れない~」
そんなわけはないだろう。ひどい演技で抜けないならもう自分のものアピールをするヤッタの足をひっつかむ。
「ヤダ~」
「やだじゃない」
「本人が良いって言っているのならいいのでは」
男がヤッタを眺めてそう言った。
「いくないです。今は抜けた羽の手持ちがありません。やっぱり無理で……」
「これで間に合うかー!?」
言い終わるが早いか、ヤッタが自らの初列風斬羽を数本くわえ、なんの躊躇もなく勢いよく引き抜いた。勢い余って一緒に引き抜かれた太股近くのふわふわとした綿羽が空中に舞う。しかし、本鳥に痛がっている様子はない。
「ぎえぇ」
思わず悲鳴が漏れる。隣にいた男もまさかこういうことになるとは思っていなかったようで、驚いたように目をまるくしてヤッタの奇行を凝視していた。
「ヤッタ、この指輪気に入った! すてき! ほしい! 交換する羽はこれくらいでいいのか!? まだいるか!?」
よほど気に入ったようで、ヤッタの目が欲にまみれてぎらぎらと光っている。
「いや、もういい。十分だ」
男が制するが早いか、ヤッタが再び羽を引きちぎった。よく手入れの行き届いた黒く美しい羽が、蛍光灯の元で光を返して緑色にきらきらと輝く。私は卒倒寸前で、男も唖然としてヤッタの奇行を見つめるしかない。
「羽はいくらでも生えてくるから! まだか! まだいるのか!?」
「いや、やめてくれ」
なおも羽を引き抜こうとするヤッタを男が制止する。
「やめてくれ。これでは私が虐待したことになる。そこまでして手に入れたいわけじゃない」
少し血のついた羽軸を眺めて男が言った。
「でも~」
「いいんだ。悪いことをした。指輪はあげるから羽を引き抜くのはもうやめてくれないか」
「そっか! わかった! やめる!」
力強く頷いて、ヤッタは自身の足首にはめられた指輪を天井の光にかざした。じっとその石の輝きを見つめ、はぁ~と感嘆の息をもらした。
「あおい……きらきら……すてき……ヤッタにうってつけ……」
「大丈夫ですか」
男が白目を剥いたままでいた私の肩を叩いた。その刺激で我に返り、目の前にあったビールを飲む。一口分しか残されていなかったそれは、だいぶぬるくなっていていたのだが、ないよりはましだった。
「申し訳ないことをした。痛かっただろうが……」
「ヤッタちゃんが勝手にしたことだからいいんです。本人も喜んでいるみたいですし。まぁ、こういうことは今回限りですけれど」
「もちろんです、申し訳ない」
カウンターに散らばった羽を拾い集めて、残りのビールを飲み干してそれではこれで、と男が席を去っていった。
新しく注文したビールを飲みながら、ヤッタの足に着いた指輪を見る。深い青色をした貴石。私はこんな高価な宝石持っていない。
「キレイ。キラキラ、キレイ……」
飽きることなく店内の明かりをその瞳と指輪に反射させてヤッタが身を震わせる。
カラスはキラキラしたものが好きだからか、ヤタガラスも例にもれずということなのだろうか。これがガラス玉でも同じ反応を示すのだろうか。おおはしゃぎの子ガラスを見て私は残っていたちくわぶをビールで飲み下した。
しばらく待ってみてもユイスは来なかった。連絡から30分が過ぎたので待つのを辞めて席を立つ。
「会計お願いします」
「あ、お会計なら先ほどの男の人が払っていかれましたよ」
思いも寄らない言葉が返ってきて心底驚いた。
え。ほんとか。こういうことってあんのか。
「治療代かな」
それ以上のものを貰ったんだけど。そう納得させて、ご満悦なヤッタを頭に乗せて店を出た。
後程ユイスから連絡が来たのだが、どうやら違う居酒屋に行ってしまったらしかった。




