辞職
仕事辞めます。
休憩室で昼に弁当を広げながら、隣にいる直属の上司であるシキにそう告げると、彼は目を丸くしてミートボールを箸から落とした。肉塊と机が接触した瞬間に聞こえたぺちゃりという音を最後に、やや長い間沈黙が周囲を支配する。
昔から子供っぽい味付けのおかずが大好きなんだよな、この人は。そう思いながら、真白いテーブル上に鎮座する所在なげなミートボールを見つめていると、ヤッタが素早い動きで肉団子を足で掴んだ。
「ゲット。ヤッタこれ食べる」
ヤッタが足に掴んだ肉団子を、箸を持つ私の手元に置く。
「だめ。隊長に返しなさい」
「なんでー」
「いや、いいよ……食べても」
「ほら!」
なにがほらだ。人間の食べ物は味が濃いので、内臓の作りの違うヒト以外の生物には本当はあげたくはない。だが、そう言ってもヤッタは理解してくれないだろう。まあひとつくらいならいいか。ため息をつきつつシキに御礼を言い、それを箸で摘んで、大きく広げたヤッタの口の中に放り入れた。
「もぐもぐ。ん、ちょっとしょっぱい。甘い」
「ほらね、人間の食べ物は味が濃いんだよ。喉が乾くから水は多めに飲んで」
「お水。コップ。ごくごく」
ご飯は食べられないが、お水は自分でどうにかなるようで、なみなみと注がれたどんぶりの水にくちばしをつっこみ、喉を鳴らして器用に飲んだ。
「で、いま、なんつった? 仕事辞めるって……」
箸を宙に浮かせたまま、シキが呆然として横にいる私を見る。
「はい、辞めます」
目を合わせて改めて言った。他の隊員は食堂に行ってしまったので、部屋には弁当持参派の二人しかいない。話すなら今かと話を切りだしたのだが、弁当を食べながら話す内容ではなかったかもしれない。
ヤッタの口にアスパラの肉巻き(味付けなし)を放り込んでから、自分の口にはちょっとだけ塩を振った同じものを放り込む。素材の味がおいしい。ヤッタのおかげでもともと弁当派ではない私も健康になりそうだ。
「就業規則を読み返してみたら、最低でも二週間前に言えって書いてあったので、辞めるのは二週間後ということになりますが。でも実際のところ、これ以上一日でも続けるのは無理かと思ったりもしてます」
「なんでまた……。いや、理由はなんとなくわかるが」
シキが口を開けてご飯を待つヤッタを見下ろす。
「この子が一人立ちすればどうにかなるだろう。なにも辞めなくても」
「その一人立ちが難しいです。二十年間産みの母親ができなかったんですから」
「ヤッタは一人立ちしないよ」
もぐもぐくちばしを動かしながら、二人の話を聞いていたヤッタがそう言ってのけた。
「この調子ですから」
「ごはん、ごはん」
「はいはい」
今度は生のニンジンを口に入れる。そして私も同じものを食べる。ニンジンは好きではないが、ヤッタの栄養を考えてあえてお弁当に入れてみた。おかげで偏食だった自分の健康がよくなっている気がする。
それにしてもやはりニンジンはまずい。青臭いのに甘いのがよくない。生ならまだ自然の甘さと変な味でも普通に食べられる。しかし、煮物にすると甘みも抜けて泥臭いだけでまずい。牛乳でニンジンの臭さをなくしたシチューくらいだ、ニンジンの煮たので許されるのは。
ニンジンのグラッセがもてはやされているのは、ニンジンの臭みがバターで緩和されるからに違いない。バターでごまかすとは、おおよそ多くのヒトはニンジンが臭いと思っている証拠だ。と瞬時に思考を巡らすが、言葉には出さない。私がニンジンを嫌いと言うと、ヤッタがこれはしめしめと食べなくなる可能性があるからだ。
「もぐもぐ。甘くておいしい」
「ヤッタちゃんはなんでも食べるいい子だ」
「うん!」
「アンスール、おまえ、もうちょっと厳しくしたらどうだ。あの母親のこと言えないぞ。随分甘やかしているように見えるが」
「うー、ん」
曖昧に答えつつ、確かにそうかもしれないと思う。だが、子育てをしたことがない私にとって、子供にしかも異種である鳥にどう接したらいいのかわからないということもある。それになにより、冷たくすることでヤッタに人間嫌いになって欲しくはないのだ。
そして、実のところ甘やかしているという意識はあまりない。悪いことをすれば怒るし、言うことを聞かないと叱る。ただ、ご飯の時はこうやって甘やかしてしまうのだ。まだヒナのような声でご飯をねだられると、どうも拒否することができない。おそらく母親もそうだったのだろう。
この子ガラスはおねだり上手だな。そう思いながら、せっせとヤッタの口にご飯を運ぶ。
「それで、仕事を辞めるという話だが」
「はい」
「その子がいると仕事ができない、というのが理由か」
「そうです。先日のような状態では緊急出動なんて無理です。あの後この子には何度も説明したのですが、一緒に行くときかなくて」
困った様子でシキがヤッタを見下ろす。
「あのな、アンスールはおまえの仲間を守っているんだぞ。こいつが出動できないと、仲間や母親が危険にさらされるかもしれないんだぞ」
シキがヤッタに保安官の重要性を滔々と説明をする。だがヤッタは、出動はだめと言っていない、ただ自分は私のもとを離れない、としか言わない。なにを言ってもその要求はがんとして譲らない。
「アンスルちゃん以外の人間はあやしいっ。さっき白い服着た奴が、ヤッタを刺そうとした!」
「それはおまえの健康を調べるために、獣医が採血しようとしただけだろう」
「ヤッタは健康! 刺したら痛いから不健康になる!」
「なんそれ」
「どうせそれで健康状態とか調べて臓器密売買のリストに入れるんだろ! コワイーコワイー」
「それはどこか遠い星の赤い国でしていることで、この国ではしてないから。つかなんつー知識持ってんだよ」
「昨日の夜、たくさん考えたんですけど」
終わらなさそうなふたりの会話に割って入る。
「やっぱり辞めるしかない、という結論しかでなくて。銃を撃てる保安官はたくさんいますけど、ヤッタの仮親をできるのは私しかいないんです」
「それはそうかもしれないが」
「後で所長にも言います。早い方がいいから」
「そうか。……意志は変わらないか」
「はい」
目を見て頷いた。ここにいてもみんなの迷惑になるだけだ。なにを言ってもどうしようもないと理解したのか、シキが鼻の穴から盛大に二酸化炭素を吐き出して箸を置いた。すっかり食欲をなくしてしまったようだ。ヤッタが獲物を狙う目をして、なかなか減らないシキのお弁当をのぞき込む。
「おまえ、間違ってるぞ」
「え」
「おまえのように勇気があって、腕のようにサーベルを扱える保安官なんていない。……おまえがいなくなるのは痛手だよ。それに」
シキ隊長が一呼吸おいて私の目をじっと見た。彼に対しての恥じらいはないので、私も無言で見つめ返すと、そこには吸い込まれそうな薄い茶色の瞳があった。
「あれはもう大丈夫なのか」
あれ。二人でいる時も曖昧な表現を使ってみせるあれ。大丈夫かと言われれば、大丈夫とは言い切れない。
「それは」
「昔と違って最近はなんとか制御できているのは知っている。けれど、なにかあったとき、誰かがいて制止をしてくれなくても大丈夫なのか」
それがどうにもならないのなら、辞めることは許されない。シキの目はそう言っていた。私もそれには同調せざるをえない。あれは野放しにするにはあまりにも危険だ。だからこそそれを知る人が私を制御するために、私はここにいるのだ。
「おまえさ」言葉を止めてシキは虚空を見つめた。「覚えているか、エルス隊長と初めて会ったときのこと。俺がまだ若かったころ」
その話題が出るとは覚悟していたが、実際に出されると言葉が詰まった。
覚えている。忘れる訳はない。そう言いたかったのだが、言葉が喉につっかえたまま出てこなかった。数年間こうやって顔を合わせていて、私とエルスとの出会いを話題に持ち出すのは初めてだった。我々が未熟だったから密猟者に殺されてしまった同僚。それを出すと言うことは、シキもなにかしらの覚悟をしているということだとわかった。
「今だから言うけど、エルス隊長はおまえが怖かったって言ってた」
その言葉に衝撃は受けなかった。そうだろうと常々思っていたからだ。シキは右手に箸を持ち眼下にある弁当を見つめたまま、まるで観念したようにゆっくりと紡いだ。
「通報があって向かったとき、まさかそういう場面に出くわすとは思ってもみなかったって。なにもかもてっきり手遅れで、犯人の足取りすらわからないだろうと思っていたから。けど、実際は俺たちが守るべきものはぎりぎりで守られて、敵対するやつらは死んでいた。ま、ということはある意味手遅れだったんだけど」
私は人差し指をこめかみに当てて、その時の記憶を探りながら話を聞いていた。テーブルの上でヤッタが心配そうにこちらの様子をうかがっている。
「おまえが素直にここにに来てくれたときには驚いたって。……あれから何十年が経ったかな。エルス隊長は死んで、俺は結婚して父親になった。本当に長い時間が流れた。でもお前の見た目だけは変わらない」
しばしの沈黙が流れる。シキはなにを言いたいのか。それがわからないふりをして、私は彼がすべて言い終わるまで相づちも打たずに、黙ってテーブルの端のささくれを見つめていた。
「お前のことを頼むとエルス隊長にも言われた。だからこそ」
「制御はできます。なにかあってもヤッタちゃんがいるから、だから大丈夫です」
きっと、と小声で付け加える。苦し紛れの言葉だ。会話を聞いていたヤッタが、首傾げて私を見上げる。
「ヤッタの話?」
「なんでもないよ」
「そう。なんでもないの。あのね、お弁当残すのなら、ヤッタ食べるよ」
「こら、ヤッタちゃん。だめです。隊長が午後から動けなくなってしまう」
ヤッタがまだ半分以上は残っているシキのお弁当箱をくちばしでつつく。自分の分の分はとっくの間に食べ尽くしている。そのうえ、私の取り分まで食べてしまった。この子ガラスはどれだけ食べれば気が済むのだろう。ヤタガラスに関しては一日の食事量など研究は少ない。もしかすると、三段重ねの重箱ひとつでは足りないのかもしれない。
穀物のストックを思い出して、私はひとり気絶しかけた。
「この子ガラスが抑止力か」
シキがほんのすこし納得できないような表情でつぶやいた。
「まあ、そういう感じで」
我ながら芝居がかってるなと思いながら、頭を掻きつつ曖昧に頷くと、シキも苦笑いを浮かべて曖昧に頷いた。




