空腹
「あなた、子育ての経験はあって?」
頭を鷲掴みにされたままなので、滅多なことは言えない。
「いえ。ありませぬです」
「なるほど」
母ヤタガラスが再びふーむ、と考え込むように私見て、それから頭を下げ、じっと子ガラスを見て、私を掴んだ自らの足を見る。視線を左右上下に動かした後、やがて納得がいったのか深く頷いた。
「ヤッタちゃん、あなたホームステイしたくない?」
「なにそれ」
「しばらくお母さんと離れて暮らすのよ」
「やだー」
子ガラスが首を振り振り母ガラスの足に縋る。
しかし、二人の会話を聞いて背筋に冷たいものが走った。まさか、ホームステイ先はまさかとは思うが……いや、まさか。
「あの、そろそろ足をはずして貰えませんか。頭が……」
言うが早いか、頭を掴む足に力がこもる。
「あら。そうだわね。それで、人間のあなたに相談があるわ」
「すみません、乗れません」
横からシキが助け船を出した。どうやら彼も母ガラスがなにを言いたいのか、察知したのだろう。
「私たちは野生生物の生活に、無闇に手出ししてはな……」
「あんたに聞いてないわよ」
言い終わるまでにぴしゃりと母ガラスが言い放つ。ごろごろ、と遠くの空で雷が鳴った。直後、母ガラスの背後でぴかーと稲妻が走る。
「あなたたち人間が勝手に作った決まり事に、どうして私たちが従わなくちゃならないのよ。だから人間って傲慢だってのよ」
傲慢な口調で母ガラスがだんと足を踏みならした。空が騒ぎ出す。大地が揺れる。風がざわめく。爪先が頭に食い込む。これは逆らわない方が良さそうだ。まさか怒られると思っていなかったらしいシキ隊長は、固まったまま動かない。
「この子、何歳に見える?」
緊迫する空気の中、突如問われて私は首を傾げた。ヤタガラスの母が頭から足を離して小さく息をつく。
生まれて間もないわけではなさそうだが、体の大きさから言うと生後十年くらいと言ったところか。ヤタガラスだとそろそろ巣立ちの時期だ。
「私、この子をもう二十年育てているのよ」
「えっ!?」
反射的に身を乗り出して、子ガラスを凝視すると、子ガラスは私の視線から逃れるように、ぴょんと跳んで後ずさった。
「な、なんね……」
「二十年」
どことなく母ガラスの顔がげっそりして見える。
「二十年にしては体が小さすぎませんか」
シキが眉間にしわを寄せて言った。
「小さいのよ。小さいからって甘やかして、こうやってずっと育ててきたのよ。今までに三回子育てをしてきたけれど、こんなに小さくて成長の遅い子は初めてだわ」
通常一人立ちまでの期間は十年、遅くても十五年くらいが限界だろう。二十年というとなかなかの記録ではないだろうか。
三大神鳥はどれも長寿で、千年や二千年は生きると言われている。もちろんヤタガラスもそうだ。なので子育ての期間も長いことは長いのだが、さすがに限度がある。
他のカラスとは違い、ヤタガラスが一度に産む卵は一つだ。数年かけて一つの卵から孵ったヒナを育て、そのヒナが成長して巣立ちを迎えると、繁殖期にある雌のヤタガラスは、また卵を産む。生涯に産む卵は十個ほど。この母ガラスは見たところまだ若いので、まだ繁殖期にあると言っていいだろう。その気があるのなら子供を作ることが可能だ。しかし、今いるこの子ガラスが巣立ちを迎えてくれればの話だが。
「ヤッタはずっとままと一緒にいるの」
「あなたねぇ、もうひとの二倍は一緒にいるのよ。そろそろ巣立ってくれないと、ってパパも言っていたでしょ」
「ぱぱが巣立てばいいよ」
「あなた案外ひどいこと言うのね……」ふう、と母ガラスがため息をつく。
「でも手の掛かる子ほどかわいいのよね。だからといって、少し手をかけすぎたわ。気がつけばもう二十歳だもの」
母の胸にすがり、足にまとわりつき、羽を繕ってくれるようねだる姿は、まだ一歳にも満たない子供にすら見える。早く巣立ってほしいのだろうが、こんな様子では手放すのも心配だという気持ちも分かる。
「先ほどの大声は、巣立ちを促す母といやがる子の喧嘩、ということですか」
「そうね」
お恥ずかしい姿をお見せしたわ、と母ガラスが笑う。とりあえずはただの喧嘩でよかった。なにごともないなら、それにこしたことはない。
「もう巣立ちはできるはずなのよ。後は甘えがあるだけで」
子ガラスを見つめる母ガラスの目は限りなく優しい。でも、時にはその優しさが邪魔になるときだってあるのだろう。
「ね、この子、抱っこしてみない? 可愛いわよ」
ギラリ、と目を光らせて母ガラスが私を見る。いやな予感しかしない。
「え、いや、だから、それはしてはいけない決まりで……」
「だぁかぁらぁ」
母ガラスが翼を広げてふっふと鼻息を荒くする。軽く二人は叩き潰してしまえそうな巨大な翼に圧倒されて、思わず口を噤む。
「あんたたちの決まりなんてこっちにゃ関係ないわよっ。あんたたちがこっちに干渉してきたんじゃなくて、こっちがあんたたちに干渉してきたってなら、文句はないんでしょっ!」
「いや、それもどうかなぁ……」
「ほれ!」
有無を言わせず母ガラスが子ガラスをひょいと足で掴み、私の胸に投げてよこした。
「えっ、ちょっ、わ!」
とっさに両手を出して、胸の中で受け止める。想像よりも重くて体勢を維持しようと咄嗟に片膝が土につく。
「ままぁ!」
もがくように羽ばたき、両足もばたつかせて、子ガラスが胸の中で暴れる。どうしていいかわからないものの、とりあえず落とさないようにしっかりと抱きかかええた。
「大丈夫よ、ほら、怖くないでしょう」
「怖いよー」
「頭を撫でてもらいなさい」
母ガラスが目で合図をした。撫でろ。無言の圧力が怖い。仕方なく片手で体を抱き止めながら、その小さな頭をもう片方の手で優しく撫でる。ほわほわとした羽の感触と、鳥特有の高い体温が手のひらにじんわり伝わってきて心地いい。ウーム。しおこんぶのにおい。
「気持ちいいでしょう」
「うん、気持ちいい」
なかなか素直な子ガラスだ。
「あなた、そのままぎゅっと抱いていてね」
「え、いや、あの」
イヤな予感がする。
「なにがあっても、離しちゃ駄目よ」
イヤな予感しかしない。
「離したら死してもなおあの世で苦しむよう、末代までヤタガラスの呪いをかけてやるわよ」
冗談に聞こえなくて怖い。
隊長どうにかしてくださいと、縋るようにシキを見たのだが、もうどうしようもないあきらめろという遠い目をして、首を振るばかりだ。
「じゃあねっ、ホームステイ頑張るのよっ。人間さん、その子が一人立ちできるまでお願いねっ」
母ガラスが大きな翼を広げ、ふわりと天高く舞い上がった。突然の風にあおられそうになり、子ガラスを抱きしめたまま必死に踏ん張る。
「ままっ」
悲痛な叫び声をあげて、子ガラスが母を呼ぶ。
「私もつらいのよ。でも、このままではあなたの為にはならないわっ。精神的に大人になったら、また会いましょうね!」
「やだー、ままぁー、離してー、ままぁー!」
あっと言う間に小さくなるその姿に呆然とし、二人は口を開けて見送ることしかできない。
「離してー、まま行っちゃうー」
子ガラスが泣きじゃくりながら、消えていく母の姿を目で追う。だが、私は別にホールドなどしていない。子ガラスがその気になれば飛べるように、腕に乗せているだけだ。だが、この子はぎゃあぎゃあ騒ぐだけで、飛び立とうとはしない。
「君、どれだけ飛べるの?」
「ちょっとしか飛べない」
「じゃあ、もう無理だよ。あんなに遠くなっちゃったし」
「ままぁ~……」
大きな瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼして、子ガラスがかくりと頭を垂れた。この青い瞳は子供の証だ。大人になったら黒くなる。二十歳を越えたヤタガラスで瞳が青い個体は初めて見た。千年単位で生きる種族というのはこれほどまでに個体差があるものなのか。
子ガラス(厳密には子をつけるのはおかしいかもしれないが)を抱えたまま、私はシキ隊長を見た。
「どうしましょう、この子」
「どうもこうも……」
「育雛放棄じゃないですか、これ」
「もうヒナとは言えないしなぁ。なんとも」
「ヤタガラスの子供を連れて帰るなんて、許される訳がないじゃないですか」
「このまま捨てていくわけにもいかないしなぁ。なんとも」
「どうすればいいですかね」
「そうだなぁ。どうすべきだろうな……」
予想の上を行く展開に、さすがの隊長も途方に暮れているようだ。彼が悪いわけではないとは知りながら、頼りにならない隊長だと横目で睨む。しかし、とにもかくにも、このままこうしているわけにはいかない。
胸の子ガラスに視線を落として、頭を撫でる。
「えっと、君、名前は」
「ヤッタ」
「ヤッタちゃん」
「なぁに」
「ヤッタちゃんはどうしたい?」
「ヤッタはご飯食べたい」
「は?」
「泣いたらお腹空いた」
すっかり涙の乾いた瞳で、子ガラスが私を見上げる。
ごはんか。
母ガラスの消えた空の果てを眺めるも、戻ってくる気配はない。
がっしりと服にしがみついたまま離れない子ガラスの体温を胸に感じながら、私は荒野でひとり呆然と立ち尽くした。




