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第二話 効率が悪い正義と、面倒くさい善意


 星野凛花という女は、

 立っているだけで周囲の空気を変えるタイプだった。


 派手なことは何もしていない。

 声を荒げてもいない。

 ただ、こちらを見ている。


 それだけで、

 「この人には誤魔化しが効かない」

 という圧がある。


「で?」


 俺は給湯室の壁にもたれ、紙コップを持ったまま言った。


「わざわざ内部に潜り込んで、

 俺に声かけた理由は?」


 星野は即答しなかった。

 その沈黙が、計算だと分かる。


「理由は二つ」


 指を二本立てる。


「一つ。あなたが“書いた”から」


「……」


「もう一つ。

 あなたが“消さなかった”から」


 意味は分かる。

 分かるから、少し嫌な気分になる。


「普通、内部の人間はね」


 星野は淡々と続けた。


「例外を見つけたら、

 上に投げるか、見なかったことにする。

 自分で“決めない”」


「……」


「でもあなたは決めた。

 たった一行で」


 その言い方は、

 褒めているようで、

 責めているようでもあった。


「俺は正義感でやったわけじゃない」


 俺はそう言った。


「放っとく方が、面倒だっただけだ」


「そう」


 星野は頷く。


「そこが一番、危ない」


 俺は鼻で笑った。


「脅し?」


「忠告」


 彼女は一歩、距離を詰める。


「あなた、自覚ないでしょうけど……

 統制庁の文書管理課って、

 “世界の通過点”よ」


「大げさだ」


「大げさじゃない」


 星野の声が、少し低くなる。


「法律は議会で作られる。

 命令は上から降りてくる。

 でも――」


 一拍。


「実際に世界を動かしてるのは、

 それを“どう書いたか”なの」


 俺は黙った。


 反論できない。

 なぜなら、それが事実だからだ。


「だから聞きに来た」


 星野は言った。


「あなたは、

 どこまでやるつもり?」


 俺はカップの中身を飲み干し、

 答えた。


「……やるつもりなんて、ない」


「嘘」


「嘘じゃない」


 星野は目を細める。


「じゃあ、次も同じことがあったら?」


 沈黙。


「また書く?」


 俺は視線を逸らした。


「……多分な」


「でしょうね」


 星野は小さく笑った。

 勝ち誇った笑いじゃない。


 諦めを含んだ笑いだ。


「なら、効率化しましょう」


「は?」


「あなたの善意、無駄が多い」


 言い切りだった。


「一人救って満足して、

 九十九人を見捨てる気?」


「……極端だな」


「制度は極端なの」


 星野は、バッグから一枚の紙を取り出した。


 内部資料。

 それも、かなり奥の方の。


「この補助金制度、

 要件が三つあるでしょ」


「年齢、所得、居住年数」


「その“居住年数”」


 彼女は指で叩いた。


「定義、曖昧なのよ」


 俺は反射的に紙を受け取り、

 読み込んでしまった。


 ……確かに。


「居住とは何を指すか、

 明文化されてない」


「でしょう?」


 星野は言う。


「あなたなら、どう書く?」


 これは――

 罠だ。


 分かっている。

 分かっているのに、

 俺の口は動いた。


「……住民票基準じゃなく、

 実態居住で定義し直す」


 星野の目が、一瞬、輝いた。


「そう。

 それだけで救われる人、山ほどいる」


「……」


「ねえ、霧島」


 初めて、名前を呼ばれた。


「私、正義の味方じゃない」


 声は静かだった。


「怒ってるだけ。

 理不尽に」


 そして、まっすぐ俺を見る。


「だから、あなたが必要なの」


 俺は、頭を掻いた。


「……面倒くせぇ話だ」


「知ってる」


「俺、英雄になんてならないぞ」


「求めてない」


「責任も取りたくない」


「それも知ってる」


 星野は少し間を置いて、言った。


「でもあなた、

 見て見ぬふりはできないでしょ」


 ……反論不能。


「協力して」


 彼女は、はっきり言った。


「世界を壊すためじゃない。

 ちゃんと書くために」


 俺は長い息を吐いた。


「条件がある」


「なに?」


「俺が決めるのは、

 “書き方”だけだ」


「……」


「どう使うか、

 誰を煽るか、

 どこまで行くか」


 一拍。


「そこには、

 俺を巻き込むな」


 星野はしばらく黙っていたが、

 やがて肩をすくめた。


「効率、悪いわね」


「今さらだろ」


 彼女は、ほんの少しだけ笑った。


「でも――

 嫌いじゃない」


 その日、

 俺たちは組んだ。


 革命でも、

 正義でもない。


 ただ、

 面倒な善意と、効率の悪い正義が、

 同じ机に座っただけだ。


 この時点では、

 まだ誰も知らなかった。


 この選択が、

 世界の“常識”を、

 どこまで無効にするかを。


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