第十話 継承は、声を荒げずに行われる
教室は、思っていたより狭かった。
白い壁。
古い机。
プロジェクターが一台。
統制庁・教育局。
新人研修用の、どこにでもある部屋。
「……主任、いや」
前列の職員が言い直す。
「霧島講師」
その呼び方に、まだ慣れない。
「本日の研修内容は――」
俺は資料を一枚、映した。
【制度運用における“前提”の確認】
ざわ、と小さく空気が揺れる。
派手なテーマじゃない。
だが、ここに座っている人間なら、
一番触れたくない言葉だ。
「まず、これを読んでください」
配布資料。
条文。
附則。
運用例。
誰もが知っている文書。
誰もが、ちゃんと読んでいなかった文書。
「質問です」
俺は、淡々と言った。
「この制度が“成立している”と、
なぜ皆さんは思いましたか」
沈黙。
答えがないんじゃない。
考えたことがなかっただけだ。
「前例があるから?」
「上が決めたから?」
「ずっと、そうだったから?」
俺は首を振る。
「違う」
一拍。
「書いてあるからです」
資料を指で叩く。
「逆に言えば、
書いていないことは、
成立していません」
誰かが、息を呑む音がした。
「俺は、
世界を変えたわけじゃない」
自然に、言葉が出た。
「ただ、
書類を、
ちゃんとしただけだ」
教室は静かだった。
だが、
理解が、伝播しているのが分かる。
これは革命じゃない。
扇動でもない。
ただ――
渡している。
考え方を。
見る視点を。
危険で、
面倒で、
でも必要なものを。
研修が終わる頃、
一人の新人が、恐る恐る手を挙げた。
「……もし、
書いてないことを見つけたら?」
俺は、少しだけ考えてから答えた。
「まず、
自分で責任を持って考えろ」
「それでも必要だと思ったら?」
「書け」
即答だった。
「ただし――」
一拍。
「誰の人生に影響するかを、
必ず想像してからだ」
新人は、強く頷いた。
それでいい。
全部、
分からなくていい。
でも、
気づいてしまった人間が、
一人、増えた。




