無題 おそらくはただの怪我
私の右手には、いくつもタコの様な古い傷があります。それらは全て、皮膚筋炎で入院する三年前に、「捨て歩」と呼んでいた雌のオオタカに作られた傷です。同じ時期に、雌のオオタカでやじろべえが居たのですが、この鷹が当時わんわんに襲われて食べられそうになり、「スペア」として購入したという経緯のあった鷹です。管理上の問題なので不名誉な話になりますが、「見える所」に居る鷹を、飼育している他の鷹が自身の大緒を解すなど何らかの方法で以て襲い食べてしまうという事故は時々あります。何故か、やじろべえという鷹は、わんわんにとても好かれていました。だから、念のためもう一羽鷹を作って維持しておこうと思った事があったのです。
残念ながら、この鷹はスペアには成らず、いわゆる悪しき癖の酷かった鷹に育ってしまい、一度だけ獲物を捕らせているのですが、使い勝手が悪く、狩場の状況がシビアで、当時やじろべえが全盛期の頃だったので、出番の回ってこない鷹のまま、ちょうどやじろべえが怪我でリタイアしたのと同じ時期に終わってしまいました。私は「鷹ガチャ」と言っておりますが、オオタカは思った様な鷹に育つとは限らない、典型例みたいな鷹でした。
私のオオタカはいずれもハンドレアードで、大なり小なり問題行動に遭遇しております。飛梟は、食餌を前にすると激しい興奮に包まれる鷹で、拳に呼び戻した際に私の顔に何度も攻撃を加えてえらい事になりました。そんな鷹でも、フィールドでは綺麗な姿勢を保ち、獲物に向かって投げる事が出来る鷹だったので、最初の猟期が終わる頃には問題行動の解消された鷹として、普通に自宅前で飛ばしていられるくらい「理性の鷹」に成りました。ところが、捨て歩は、3シーズンを経ても問題行動が消えず、据えた途端に姿勢の崩れてしまう迂闊に投げる事が出来ない鷹のまま、そうならなかった鷹で終わりました。私は、ハンドレアードでこういう鷹を2羽経験しております。
昔から、「姿勢の良い鷹が良い」と言います。拳の上の鷹が背筋をシャンと伸ばし、周囲を、あるいは前方を凝視して獲物に向かう瞬間を「今か今かと」待ち構えている。そういう姿勢が出来る鷹が、「良い鷹」です。鷹狩りが出来ます。そうでない鷹は、拳に据えると、低い姿勢を取りながら、目摺という独特な視線をこちらに向け、隙あらば飛びついて来ようとします。鳴き始めたらいよいよ駄目で、逃げるとかではなく、据前を相手に獲物そっちのけで攻撃をしようとし始めるのです。もちろん、鷹狩りなんか出来ませんし、自由にさせたら、自分自身に何が起きるか分かりません。
捨て歩は姿勢が悪く、飛んで行かないで足元に降りる鷹でした。足元に降りる鷹はとても危ないのです。この鷹は、よく私の右手に食い付いてきたり爪を立てたりという事をしておりました。そして、すぐに興奮してしまい、猛烈にグローブを握りしめて拳から離れて行かない事が度々あり、終いにはグローブの上から穴を開けられて食い込んだ爪が抜けなくなった事があります。つまり、この鷹が私の手に残していった傷は右手にたくさんありますが、左手にもあります。
全てを皮膚筋炎で説明していいか分からないのですが、ちょうどこの鷹をいじっていた頃、ある期間だけ、私は何故か傷が治りにくくなり、いつまで経っても治らなかったその傷は、独特なタコと成って残りました。いちおう、糖尿病の話が出たのがその頃で、この病気は「傷が治りにくくなる」ことがあります。当時の話ですが、血糖値は基準範囲内に収まらない程度にそこそこありました。しかしながら、数値としては軽症でなければならないステージで、インスリンの補充は必要なかったし投薬も要らないくらいだったのですが、何故かめまいなどの自覚症状が猛烈に辛くて、一歩屋外に出ただけで意識がブラックアウトして、地面に激突しそうになる事が度々起きるほどでした。私は、「何かしなければならない」と思いまして、減量や糖質制限を頑張ったところ、1ヵ月くらいで自覚症状が消退しました。その後、何故か鷹が同じ様な傷を作っても、それなりの期間が過ぎたら治癒する様になります。しかし、当時捨て歩の残した傷跡だけが残り続けました。
私は当初、手の平全体を指す俗称だと思っておりましたが、皮膚筋炎における「機械工の手」とは、OKサインを作ったとき、相手側からではなく自分側から見た、親指、人差し指、中指の側面に角化した皮膚病変がある状態を言います。鷹をやる人ならばすぐに分かる話ですが、「この場所」は鷹によく突かれたり握られたりする場所です。口餌をかけたりすれば、簡単にやられます。私の場合、入院当初の段階で真砂に作られた小さな傷がたくさんありましたし、捨て歩の残したタコが目立つものだけで5つ以上ありました。
――――――さすがに無関係だとは思いませんが、これが医師からすると「皮膚筋炎の症状/増悪所見」に見えるらしい。
病変は他の指にも現れるし、側面ではない上下、指の手の甲側と手の平側の皮膚にも現れるので、普通は「ゴッドロン徴候」という名称が使われます。中でも、手の平側に現れる皮膚の変化は、鉄棒の練習をした時に出来るマメの様に見えます。つまり、皮膚が弱くなって、「車のハンドル操作をしていただけ」で、いつの間にかそういう物が出来ていたと私は思っておりました。
「これはおかしいぞ」と思ったのは、右手にあるのと同じ変化が左手にも現れる様に成ってからでした。捨て歩の残した傷跡は左手にもありましたが、何やかやでグローブに保護されている分、右手に比べて無傷です。「感覚はあるのか!?」と聞かれたりしましたが、入院前の私の右手はかなり色も悪くて膨れており、壊死しているみたいに見えたのです。以前に傷の治りが悪くなり、今も痕跡が残っているくらいですから、「こういうものだ」と私は思っており、実際に「鷹の爪が刺さって腫れているだけだ」と、当時あちこちで医師たちに説明をしております。
怪我は時間が経てば治るものでしたが、捨て歩が作ったタコは無くなりません。とにかく気になる硬度と存在感のそれが、どうかすると成長を続けながら、年単位で指から消えなかったのです。このタコが今なお続く創傷部位の炎症反応である事を知ったのは、入院後始まったステロイドの大量使用のお陰でした。つまり、中毒量を使用している間中、「このまま消えてしまうのか」というくらい極限まで小さく成ったのです。残念ながら、減薬に伴って復活してしまいましたが、思わぬイベントによって。根本的な対処法が判明します。摘出してしまえば良かったのです。
きっかけは偶然、口餌を操作していて飛梟に指を食い付かれたのです。本当にたまたまだったのですが、タコの所です。つまり、鷹ならばつい「そこ」に食らいついてしまうその場所に、目印のように、捨て歩の作ったタコがあったのです。ものすごい痛みが走りました。もちろん鷹を据えておりますので、その時は何食わぬ顔をして操作を続け、抗凝固薬の影響でものすごい流血を続ける手指を鷹から隠して、諸々を終了しました。実際には、嘴の鉤がいい感じに「ざくっ!ぐりっ」と、タコをえぐり出していたのです。そんな物を元に戻す理由もなかったので、私はその辺にあった爪切りで角化した残った組織を切り捨ててしまいました。当然、大きな欠損孔が出来上がったのですが、近所の病院にかかろうにも微妙な時間帯でなおかつ下手くそなのを知っていたので、やはり、その辺にあった絆創膏で患部を固定して様子を見てしまいました。毎日、感染症対策で抗菌薬を飲んでおりますから、今さら色々やる事も無かったのです。はたして、2週間ほどして包帯が取れる頃には、懐かしい綺麗な指が目の前にありました。こういう物の存在感を理由に抗がん剤の使用を勧められたりした訳ですから、私としては何とも言えない気持ちになりました。皮膚筋炎には、手指の病変だけでなく「整備士の足」という、足の病変についても発生があり、こちらは以前は歩くと痛みを訴えるほどの足底面が角化していたのですが、治療開始以降、依然として綺麗なままで、手のタコだけが妙な自己主張をしてしまい、ノイズとして機能していたらしい事が状況証拠で整ったのです。
――――――飛梟お手柄?そんなことはないよ。痛いだけだったよ。
その昔、人気の無い観光地の茶屋の裏手をのぞいたら、放されたチャボが歩いておりました。今では様々な理由から、探してもお目にかかれない光景になりました。
参考文献
厚生労働科学研究費補助金難治性疾患等政策研究事業 自己免疫疾患に関する調査研究班編, 多発性筋炎・皮膚筋炎診療ガイドライン(2020 年暫定版), 2020
←入院中,前日の血ガスの酸素飽和度が61%だったその翌日,スマホでダウンロードしてみたけれど上手いこと読めなかった資料です.やはり,酸欠の脳で理解するには難しかった….
次回投稿予定日は、2026年04月04日 18時00分です。




